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まだ、あの壊れた光の中にいる。【マイ・ブロークン・マリコ】

『マイ・ブロークン・マリコ』という漫画を知ったのは、Twitterに誰かのRTでたまたま流れてきたツイートがきっかけだったと思う。

物語は、OLのシイノが営業回り先の飲食店で、親友のマリコが自殺したというニュースを耳にするところから始まる。

あんたは どうだったか 知らないけどね 
あたしには 正直あんたしか いなかった

マリコを長年虐げ続けてきた父親から奪い取ったマリコの遺骨を抱えて、立ち尽くすシイノがつぶやいたセリフだ。
たちまち、わたしが中学生の頃、友達が口にした切実な響きが、10年以上も経って突然立ち現われてきた。

「わたしにとってあの子はいちばんの友達なのに、あの子のいちばんはわたしじゃないの」

そういって彼女は顔をくしゃくしゃにして、プリーツスカートのひだをぎゅうっと握った。授業中に突然倒れた友達が、保健室に運ばれていくのをふたりで見送ったあとのことだった。セーラー服に包まれた小さな肩が震えていた。

その気持ちは、よくわかった。痛いくらいに。
わたしたちは、あの子がかわいそうでかわいくて、好きでたまらない気持ちと独占欲とを持て余した、ただ無力な少女たちだった。

中学生の頃、わたしにはふたりの友達がいた。わたしたちは、いつも3人で過ごしていた。お昼には机を寄せ合って一緒にお弁当を食べ、体育の時間は壁ぎわに座って好きな歌を口ずさむ。授業中にはノートの切れ端を折った手紙を回して、秘密を共有した。

ある時から、友達の一人の華奢な手首に包帯が巻かれるようになった。かさぶたが乾かぬうちに増えていく新しい傷を見つける度、心は張り裂けそうなのに、その子がわたしを頼ってくれるとなんだか自分が特別なものになれた気がした。

この子にとって、他の友達よりもわたしがいちばん近いのではないか、この子を理解できるのは自分だけなのではないか。そう思う度に、じわり、と幼い独占欲が甘く満たされて、たまらなくくらくらした。

平気よ もう怒られっこないわ
だからマリコ 
行こう 海

漫画の物語の中では、もうマリコが存在していない現実と、シイノの記憶の中のマリコのエピソードが交互に紡がれていく。

中学生のマリコとシイノが、ふたりで行きたいね、と話した海。そして結局実現できなかったマリコの願いを叶えるために、シイノはマリコの遺骨を抱いて、何もかもを捨てて最初で最後の旅に出る。

『マイ・ブロークン・マリコ』という物語は身に覚えがありすぎて、まるで自分の物語のように感じた。
本当に個人的な出来事だけれど、作中の同じセリフを言ったことも、言われたこともあった。

中学生の頃のわたしたちは、当時苦しんでいた友達に降りかかるこわいこと、大人の理不尽さや、弱さや、それから生まれるあらゆる痛みから、あの子を守ってあげたかった。

それが正しい方法だったかどうかもわからぬまま、たくさんの言葉を尽くした。わたしたちが愛するその子に、わたしたちの愛を伝えたかったし、理解してほしかった。
今にして思えば、ただの自己愛だったのかもしれないし、そうして"必要とされる自分"に自分が救われたいだけだったのだと思う。

わたしたちは傷だらけだった。
誰かのいちばんになるには、全力で自分を捧げることしか方法を知らなかった。

わたしの友達が、いつか本当に死んでしまうのじゃないか。

そう思うとこわくてたまらなかった。けれど、幸運なことにわたしの友達は生きていてくれた。学校が別れて、いつしかわたしにも好きな人ができて、大人になって、そう日々を繰り返していくうちに疎遠になってしまった。あの時のわたしにとっては、彼女が自分のすべてだったのに。

漫画のページをめくる度に、どんどん心が時間を遡っていくような気がした。
この物語に照らされた心の中には、まだ幼いままのわたしが息をしている。

マリコを心の中の誰よりも”特別”な場所にそっと抱いたまま、物語の中シイノは猛スピードで駆け抜けていく。そして、海にたどり着く。
かつてマリコが行きたいと言った、「まりがおか岬」だ。

シイノという女性は、痛々しいくらいに誠実な人物だ。
マリコをめんどくさい女だと言いながらも、誰よりも彼女へ向かう理不尽な出来事に真剣に怒り、心配し、支えてきた。

愛を受けずに生きてきたマリコの心は、あらゆるものを飲んでも飲んでも癒えないように底なしで、いつも焼け付くようにからからに乾いている。
マリコの飢えは、自分へ向かう感情ならば例えそれが愛情ではなく暴力的なものだったとしても受け入れてしまうほどだ。

それを「壊れている」と呼んだシイノに、そーだよ、とマリコは肯定する。

「シイちゃんがいるってコトしか」
「わたしに実感できるコトってないの」

疾走感のある物語の展開とは裏腹に、何度もページをめくる指先が止まってしまう。喉から昇ってくる嗚咽をぐっと噛み締めるのに、涙がぼろぼろ落ちてくる。

この涙の正体は何だろう、と胸の中を探ると、やりきれない悲しみの向こうに、思春期の自分自身が焦がれた、壊れた光のようなものを見つけた。

心配や怒りでシイノの気を引くマリコの言動は歪だ。なのに、純度が高くて痛いくらい眩しい。

そして痛みも憎悪も、何もかもを飲み込んでしまう真っ黒なマリコの孤独が、マリコ自身を焼き尽くしてしまって、骨になっても、シイノのマリコへの気持ちは変わらない。

誰かの"特別"でありたい。そう、誰もが願っている。
マリコとシイノの関係性は友情も恋も愛も超えて、お互いの孤独でヒリつくような自己愛と独占欲とを補完しあっている唯一無二の完全なふたりだったのだと思う。
そんなふたりの姿が光って見えて、目がくらむほどの眩しさと羨ましさに胸を焼かれた。

わたしたちは、失ってしまう。
それがどんなに大切なものであっても、愛を注いだ命であっても。他者の命の長さは、わたしたちにはどうすることもできず、その死を受け入れることしかできない。

けれどシイノはマリコを思う気持ちで、どこまでも行ける。その手で他の誰かを救うこともできる。きっとこれからも生きていく。
そして、わたしたち読者ひとりひとりもまた、誰かにとっての愛する人だったりするのだろう。

明日、死んでしまうかもしれない。
けれど、わたしは今生きているし、あなたも生きていて、生きていてくれて、ただそれだけのことなのに、それだけのことが、こんなにもうれしい。




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