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推し、逢ふ

人生の最推しが結婚した。あまりに好きであまりに衝撃だったため、「結婚」という字のタイピングを2回失敗した。けこん、っけっこん、結婚おめでとうございます。咳こんでる??

堂本剛(敬称略)について語るのは凄く難しい。何故なら本当に大切だからだ。自分の心の柔らかい部分にいる存在なので、話して他者に粗暴に踏み込まれると再起不能になるし、そもそも言葉で表現できる自信がない。
周りにKinKi Kidsが、堂本剛が好きだと言えたのも大学生になってからだ。一番好きだったのは中学生の頃なのに。
恥ずかしくて言えなかったのではない。自分の中にある思いを外に出すことが怖かった。人の眼に触れる場所に出すことが恐ろしかった。多分当時は匿名のSNSにすら書けなかった。それくらい大事で大切にしていた。

昨日の3限、座って出席カードさえ出せばいい授業を受けながらスマホをいじっていると、Twitterのトレンドがキンキ関連で埋まっていた。「剛くん」「光一さん」「堂本剛」のラインナップに、多分剛さんに何かあったなと思った。
「解散」のワードがトレンドにはないから、結婚か…??……結婚⁉エ⁉最推し結婚!?…するかな~~?もうしないんじゃないかと思ってたけど、
でもそうだったらいいなと思って開いたら本当に結婚だった。あの堂本剛が、結婚した。体内から湧き出るように嬉しかった。だってあの人が、あの人が、あんなに優しい人だから……!!!嬉しすぎてちょっと泣いた。

近年仙人とか悟りを開いたとかそんな感じで、「うわーこの人結婚できなそー」というか「そもそも色恋に興味なさそー」って思われるさまだったけど、実際のところ底なしに優しくて愛に溢れた人だろうから、結婚がよく似合う人だと思う。最初の方はテレビでもそんな感じだった気がする。でも「結婚なんか」と口にするようになり、その後人類愛を語りだし、ここまで来たらもう結婚しないのかなとは思ってた。

多分アイドルやってなかったら、もっと若くにすんなり結婚してただろうなとずっと思っている。そう思っていたからこそ、独り身である事実が少し悲しかった。だとしたら私の好きになった「アイドルの堂本剛」が、彼の幸せの足枷になっているだろうから。

私は堂本剛に救われた。

学校に行けなくなり始めた時期に、KinKi Kidsのデビュー当時の映像を初めて見た。仕事と声援に忙殺されて、命を削って輝く姿に魅せられた。今にも焼ききれそうなくらいギリギリの状態で17,8の青年がステージに立っていた。20年以上経った画面越しでも肌がヒリつくくらい鋭い眼光だった。
生まれて十年そこらで、どうしてここまで研ぎ澄まされているのか。どれだけの事に揉まれたらこうなるのか想像がつかない。
たった2,3歳上の人がここまで懸命に生きている事実に衝撃を受けた。その姿は刹那的でかっこよくて壮絶に美しかった。ちゃんと生きようと思わされた。

引きこもっていた時期に『春涙』を聞いて泣いた。一度手足を血まみれにして「死にたい」と泣いて縋ってから、諦めたように感情が死んだ。その日以来、久々に泣いた。
誰もいなくなった昼間、カーテンを全て閉め切って、リビングの床に座り込んで『春涙』を聞いたのをよく覚えている。最後のどこまでも突き抜けて届くようなフェイクを聞いて自然と涙が出た。何を思ったのかは覚えていない。多分当時も言語化できるようなものではなかった気がする。正しく「えも」かった。
その瞬間から「堂本剛」が神聖化された。止まっていた心が動いて、その隙に奥に入り込まれた。大事すぎてもう誰にも話せなくなった。

高校受験の直前はずっと剛さんの曲を聞いていた。『これまでの日を跨いで来たのだから』『きみがいま』『I'm you You're me』この3曲はお守りだった。
『これまでの日を跨いで来たのだから』は受験当日の車の中でも聞いていた。不登校・引きこもり期間は本気で辛くて本当にどうしようもなかったけど、私以外からしたらただの社会生活における空白期間でしかないことは気付いていた。だからこそ外に出て人と並ぶことが怖くて仕方がなかった。それでも本当に苦しんでここまで来た。誰からも分からなくても、それだけは本当だった。それをいつだって肯定してくれたのが剛さんの歌詞だった。
人生を進むのが怖くて、その自信がなくて逃げ出したくて堪らない車中で、「これまでの日を跨いで来たのだから」と何度も縋るように心の中で唱えた。行った面接で尊敬する人を聞かれて、迷わず「堂本剛」と答えた。

「辛い時にはいつだって堂本剛さんの曲を聞きます。私の辛い気持ちを包み込むくらい、本当に深くて広い優しさを歌ってくれるからです。でも人の痛みが分かるのは、自分がその分傷ついてきたからだと思います。だとしたら彼はどれだけ傷ついてきたんでしょう。長く生きればその分いいことも起きて、悪いことも起きます。傷は増えるばかりなのに、それ以上に彼は優しいんです。傷つけてくる世界に優しくあろうとして、本当に優しいんです。私はそんな堂本剛さんを尊敬します。自分も例え傷つけられても、優しくあることを諦める人にはなりたくない」

その後入学したその高校で今も会う友達が2人できて、大学に進学して、バイトしたりサークル活動したり、今は普通に大学生ができている。ここまでまともになれたのは限りなく「堂本剛」という存在のおかげだ。

元気になって、彼が今もこんなに寂しかったら嫌だなと思った。私は彼の傷と孤独とそこから生まれた底なしの優しさによって救われたけど、じゃあ彼は何で救われるんだろう。ずっと寂しくて、それを曲にすることしかできないんだとしたら、それは多分悲しい。幸せになって。幸せでいてって願うことしかできないけれど。

彼が幸せであるなら何でもいい。それが結婚でも、辞めることでも、死ぬことでだっていい。未来の全てを投げ打ってでも辛い「今」があることはよく知っている。勿論そうなったら私の生活は一時的に破綻するだろうけど、それでも彼が辛いことの方が耐えがたい。願わくば私たちに見える形でいてほしいけど、それが我慢の末に達成されるのであれば、そんなのは一秒でも早く投げ打って逃げてくれ。
もう今後の人生一生優しいことしか起こらないで。もうずっと優しい中で生きていて、お願いだから。

KinKi Kidsにハマってからアイドルに目覚めて、韓国だったり地下だったり、その時々で熱を上げながら、ずっと核にはKinKi Kidsがいる。もはや推しというか、私の心の一部分はKinKi Kidsによって、堂本剛によって作られたので「好き」とかそういう域じゃない。「いる」って感じ。います(どこに⁇)。

堂本剛に対して神格化の末、激重感情を抱えて生きているのがベースなので、彼の結婚報告は本当に嬉しかった。やっと「あの日私を救ってくれてありがとう!あなたも幸せになってね!!」って言える日が来たのだ。
灯りのついている家に帰って、味の知っている温かい料理を食べて、他の人には言うでもない些末な出来事を共有して、そういう人が側にいて、そういう生活を彼は送るんだと思うと嬉しいが湧き出る。温かくて優しいものに囲まれて生きていてねって。

嬉しすぎてダイエット中だったけど、今日という日を特別な日にしたくてケーキを買って、今日はバイトないし明日は今年初の全休だしケーキ食べて酒飲んでキンキ見よ!ってルンルンで帰ったら、連日の睡眠不足が祟って帰宅早々こたつで寝落ちました。しかも11時間も寝た。体はすっかり元気なのに複雑な気持ちを抱えて、歯を磨いて化粧を落として、朝ごはんにケーキを食べました。剛さんに倣ってケーキはパックからお皿に移したよ。

ご結婚おめでとうございます!!末永くお幸せに!!

読み返すと何にも伝わらない気がするけど、これ以上の言語化は無理!!そんな素敵な語彙力は持ち合わせていない!!解散!!

Twitterを見ると複雑な心境の方が多くて、私の好きな「アイドル」はいなくなったんだな…みたいなツイートを見かけると、ほとんど私は今の堂本剛を「アイドル」として見てはいないのかもしれないと思う。私にとっての「アイドル堂本剛」は10代の頃で、それ以降はアーティストも飛び越えた唯一神なんだろうな。だから微塵も寂しい気持ちが湧かないんだろう。
今もアイドルとして見ていたら悲しかったのかもしれない。だとしても絶望を糧に生きているところがあるからな~小説に昇華しよ~~と思って、もし自分にとっての小説が誰かにとっての堂本剛だったら、それが失われたと感じられたなら、死ぬ思いがするだろうなと思い至った。私は腕がなくなってタイピングができなくなったら本当に自死を選ぶ。実際死ねるかはさておき、生きている価値はなくなる。ない方が得。そう考えればよく分かる。

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