アニクラ初体験で感じた「汎用コール」の不思議さと「一体感」の魔力

先日、生まれて初めてアニクラ、すなわちアニソンクラブイベントなるものに参加した。最近では、様々な場所で様々なタイプのアニクラが開催されているそうなので、私が体験したイベントが典型例ではないかもしれないが、そこで感じたことを備忘録代わりに書いておこうと思う。

私が参加したのは、小さなライブハウスで行われたイベントだった。ステージ上にDJブースがしつらえられ、そこで数名のDJがそれぞれ30分から1時間、懐メロから今期アニメの曲までいろいろなアニソンをかける。出演時間じゅうステージ上で飛んだり跳ねたり踊ったり、全身を使ってパフォーマンスする姿に、
「お客を楽しませるにはまず何よりもDJ自身が楽しくノリノリに過ごす必要があるんだなぁ」
と感じ入った。あと体力すごいなあとも思った。

セットリストがアニオタ向けである以上、オーディエンスもアニオタばかりだった。私が見た範囲では、お客の9割以上は男性で、年齢層は10代から40代以上と幅広かった。出演者である女性DJ(本業は声優だそうだ)のファンも来ており、いわゆるクラブイベントというよりはアニメ系ライブイベント、あるいはアイドルのライブイベントに近い雰囲気だったように思う。

私はクラブにもライブにもアイドルにもあまり詳しくない。なので、今から書く感想は、いち門外漢が抱いた素朴な気持ちとして読んでいただければと思う。

曲がかかっている間、お客たちは拳を突き上げたり飛び跳ねたりして大いに盛り上がっていた。その中で、特に印象的だったのが「コール」の存在だった。
オタクの現場において、コールはよくあるものだと思う。ただ、私は「コール文化」みたいなものをあまり知らないので、不思議に感じた部分があった。それが「汎用コール」とでも言うべき掛け声群だ。

私が参加したアニクラで叫ばれていたコールには、大きく二通りあった。
一つは、特定の曲の一部を一緒に歌ったり叫んだりするタイプ
もう一つは、いわゆるPPPHのように曲を選ばず使われるタイプ
私が「不思議だなあ」と思ったのは、後者のコール、すなわち「汎用コール」だ。

アニソン縛りのイベントだと、曲展開に一定の共通性を持つ「よくあるアニソンっぽい曲」が多くかかる。PPPHなどの「汎用コール」は、それらの「よくあるアニソン」との相性がいい。
その結果何が起こるかと言うと、
「どんな曲が来ても、とりあえずBメロでPPPH打てたら打つ」
みたいな盛り上がり方だ。
事実、私が参加したアニクラでも、複数の曲のBメロやサビで全く同じコールが使われていた。私は、それが不思議というか、一種の違和感を覚えてしまったのだ。うまく言えないのだけど、猫も杓子もPPPHでいいのか?みたいな感情だ。

「よくあるアニソン」は、いわゆる「アニソンっぽさ」を醸し出す、共通の基本ルールを土台に作られている。とはいえ、土台の上にどんな家を建てるか――つまりどんな曲を創り上げるかは、楽曲ごとに異なっているはずだし、そこに曲の個性というものが生まれていると思う。
一方「汎用コール」は、それぞれの家ではなく土台に焦点を合わせるものだ。私には、それが曲の個性をないがしろにするものに思えてしまったのだ。たとえるなら、柴犬とかゴールデンレトリバーとかサモエドとかがいっぱいいる中で「どれも犬じゃん」と言ってしまうような、ある種の解像度の低さ、思考停止を感じてしまったのだ。

とはいえ、曲の土台に注目することは、アニクラの主目的を考えると問題ないのかもしれない。これは完全な私見なのだが、アニクラを含めたクラブイベントの目的は、「踊る」こと――すなわち「盛り上がる」「騒ぐ」ことなんだと思う。よく知らない曲が来ても盛り上がり続けるには、低解像度でも見える土台部分を活用するのが一番だ。ゆえに、「汎用コール」でみんな一緒にテンションを上げることが多いのだろう。

ところで、この「みんな一緒に」という状況、すなわち「一体感」を味わえることもまた、コール文化の醍醐味だろう。
この効能は、「汎用コール」よりも、むしろ曲ごとに特有のコール、いわば「個別コール」により強く表れている気がする。

「個別コール」をやるためには、その曲を知っている必要がある。たとえば、私が参加したアニクラでは「紅蓮の弓矢」のサビで何も言われていないオタクたちが一斉に「イエェェェガァァァァァ!!」と叫んだり、「チルノのパーフェクトさんすう教室」では「バーカ!バーカ!」の大合唱が巻き起こったりした。
「同じものを知っている」者同士が「同じ場所で、同じ箇所で盛り上がる」ことは、ある種の仲間意識、あるいは共犯感覚を与えてくれる。そういう「お約束」は、アニソンに限らずライブや応援上映など「演者(作品)と観客」がいるジャンルではよくあるものだと思うが、「お約束」を守ることで得られる一体感こそが現場の醍醐味だと言う人も少なくない。

だが、私はこの「一体感」というものが、少し怖い。

私は、参加したアニクラでかかった「個別コール」のある曲はだいたい知っていたので、該当箇所になると思い切り叫んだ。ムチャクチャ楽しかった。でも、その楽しさも、それを楽しんでいる自分も、少し怖かった。
もし、会場じゅうのお客が、全然知らない曲の全然知らない「お約束」に則って、一斉に同じことを叫ぶのを目の当たりにしたら、すごく怖いと思う。外側から見た時に感じられるだろう「異様さ」のようなものに思いを馳せると、楽しいばかりではいられなくなってしまった。

また、「一体感」は「同調圧力」と地続きだと思う。みんな一緒のポイントで、みんな一緒のことを叫んで、みんな一緒に楽しくなる。それが自然にそうなるのではなく「そうならなければならない」ことになってしまったら、そんなの窮屈だし怖いし嫌だ。
以前ツイッターのフォロワーさんが言っていた、
「応援上映は好きだけど『この場面ではこういうことを言う』って暗黙のルールができてしまった上映会は苦手」
という感覚に近いかもしれない。

最大公約数的な盛り上がりのために活用される「汎用コール」も、仲間同士の一体感を高める効果のある「個別コール」も、アニクラという非日常空間の中では大きな役割を占めていたように思う。
自分の中には、それを楽しいと思う気持ちと怖いと思う気持ち、両方があるなあと実感した。

今後アニクラに行くことがあるかはわからないが、貴重な体験ができたと思う。


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