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「足立区滅亡百合」の危うさと「そうは見えない」理由を考えてみた【2020.10.7追記】

はじめに

ツイッターを見ていたら、「足立区滅亡百合」とか「足立区滅亡アンソロ」とかの単語が目に入った。

何事かと思って調べたところ、足立区議会議員の「LGBTが広がると足立区は滅んでしまう」という主旨の発言、そしてそれを受けて急遽企画された「足立区滅亡創作SFアンソロジー」なる同人誌のことだとわかった。

区議の無知かつ差別的かつ時代錯誤な発言に関しては、リンク先のヤフーニュース記事の批判が個人的な主張を代弁してくれているので、このnoteでは主に「足立区滅亡創作SFアンソロジー」(以下『滅亡アンソロ』)について、私が思ったことを書く。

「社会問題をネタにする」ということ

『滅亡アンソロ』企画者(足立区民だという)による参加者募集ページでは、当誌のコンセプトについて

例の足立区が滅亡するという発言を受けて、「百合やBLで滅亡する・滅亡した・しそうな足立区」がテーマの創作アンソロです。
※主催は例の発言には怒りを感じてますし100%反対の立場ですが、アンソロの主旨としては「それはそれとしていろんな方法で百合やBLで滅びる足立区エモいしなんかいろんなパターン見たいな…」という方向性です。

としている(太字:引用者)。

このコンセプトについて、私が見かけた意見は大きく分けて2種類あった。

ひとつは、
「差別へのカウンターとして有効な試みである」
という賛同の声。

もうひとつは、
「現実の同性愛差別に無頓着な危うい企画である」
という反対の声。

私の考えは、どちらかというと後者の立場に近い。

まず、『滅亡アンソロ』のやろうとしていることは「社会問題をネタにする」行為である。
いわゆる風刺表現であり、古くから国家や権力者を(正面以外から)批判する手段として行われてきたことだ。

だが、人々の間には、「これはネタにしたらまずいだろう」という暗黙の共通認識が存在することがある。
たとえば、次のような事例を想像してみたい。

A地区の政治家が「外国人の住民が増えるとA地区は衰退する」と発言した。
この発言を受けて、A地区のある住民が「『外国人が原因で衰退したA地区』や『衰退したA地区の外国人』をテーマにしたアンソロジー」の制作を企画し、地区内外から参加者を募った。

この『A地区アンソロ』の例は、『滅亡アンソロ』の企画経緯とほぼ同じ構図である。
だが、この例について「これはシャレにならない」と感じた方もいるのではないだろうか。

現実において、外国人差別は深刻な「解決すべき問題」である。多くの当事者が制度面でも心理的な面でも排斥や差別を受けて苦しんでいる以上、軽々しくネタにしてはいけない――そういう認識が、「シャレにならない」と感じさせたのかもしれない。

だが、「多くの当事者が制度面でも心理的な面でも排斥や差別を受けて苦しんでいる」のは同性愛差別も同じはずだ。
にもかかわらず、なぜ『滅亡アンソロ』のテーマには少なからぬ人が賛同し、「エモいよね」と共感するのだろうか。
更に言うなら、なぜ「百合・BL」を「土地(コミュニティ)を滅ぼすもの」として描く(≒ネタにする)ことは、「外国人」をそのように描くことより忌避感が少なく思えてしまうのだろうか

理由1:「ありえない」ことだから

最初に思い浮かんだ理由は、「そんなことはありえない、荒唐無稽なことだから」というものだ。

同性愛差別に反対する人たち(私含む)にとって、「同性愛が土地を滅ぼす」などという発言は、まずありえないことと受け止められる。
だからこそ、そのような荒唐無稽な発想は創作のネタとして捉えられ、風刺のため、あるいは「エモ」のために消費されるのではないだろうか。

だが、件の区議のように「同性愛が土地を滅ぼす」と本気で考えている人たちはいる。そのような人たちが(多くは無自覚なまま)何気なく行う差別的な言動もある。
実際のところ、この社会の決して少なくない人たちにとっては、「同性愛が土地を滅ぼす」というのは「ありえること」なのだ。

そのような状況において『滅亡アンソロ』のようなネタをやると、ネタがネタでなくなってしまう、あるいは「風刺」だと認識されない可能性が出てくる。
それは現実に生きる同性愛者を傷つけるリスクとなりうるかもしれない。

理由2:「百合・BL」だから

もうひとつの理由として考えられたのは、『滅亡アンソロ』で主題となっているのが「同性愛」ではなく「百合・BL」だから、というものだ。

百合・BLという言葉及び概念は、多くの場合フィクションの分野で用いられてきた。
百合・BLの成り立ちについて詳細な流れを把握しているわけではないが、「やおい(BL)はファンタジー」という言葉に象徴される、「フィクションとしての百合・BL」と「現実の同性愛」を別のものとする考え方は、最近までごく一般的なものだったように思う(し、多分いまも続いている)。

『滅亡アンソロ』のコンセプト説明には、「同性愛が足立区を滅ぼす」ではなく「百合・BLが足立区を滅ぼす」という表現が採用されている。
そこにどういう意図があったにせよ、後者を採用したことによって、『滅亡アンソロ』は「現実の同性愛」からある程度切り離された(ように見えた)のではないか。
それによって、「シャレにならない問題をネタにしている」という雰囲気が薄れたのかもしれない。

しかし、私は「百合・BL」と「同性愛」は地続きのものだと考えている。
男女の恋愛を描いたフィクションが、現実の「異性愛」と地続きなのと同じだ(リアルなフィクションもあれば、「ファンタジー」みたいなフィクションもある)。
地続きである=切り離せないものである以上、『滅亡アンソロ』は現実社会とのつながりを持ち続ける。そしてそれゆえ、それが現実社会の同性愛問題に与える/から受ける影響を考える必要がある。

おわりに

ここまでの文章をまとめると、こんな感じになる。

『滅亡アンソロ』は、風刺の題材にするにはセンシティブな問題(同性愛差別)をコンセプトにしているが、一見そうは見えない。
その理由としては、①受け手側に「(同性愛で土地が滅ぶなんて)ありえない」という認識があるから ②テーマになっているのはあくまでも「百合・BL」だから というものが考えられる。
しかし、①「ありえる」という認識の人がいること ②百合・BLと同性愛は地続きであること から、安易に「ネタ」にすることで当事者の不利益に繋がりうる企画であろう。

今回noteを書いてみて、改めて「オタクであること」の難しさを感じた。
でも、たとえ正解がわからなくても、間違って人を傷つけることがあっても、そのたびに価値観のアップデートを続けながら、百合やBLを楽しむオタクであり続けたい。

【追記:2020.10.7】
本日、アンソロ企画の中止が発表されたとのこと。
創作者の発想力と倫理観のバランスについて考えさせられる出来事だったと思う。

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