それくらいのこと

11月某日。

最近書くのが疎かになっていた。

なぜか。

ここまで書いてきた日記というか備忘録はiphoneで行っている。

毎回小さな画面を見ながら画面のキーボードをフリックして入力していた訳だが

それがなんとも辛くなってきた。

別に何がという訳でもないのだが

「やった感」

がしないのである。

画面を触るだけで物事が進んでいるというのは文明の力を感じられるすごい事なのだが、どうもやった感じが不足している気がする。

これはこのnoteを使用している以外にも感じていた。

例えば、電子書籍。

エッセイが好きな私は外でも本を読むことがある。

しかし、文庫ではない本は割と大きかったりしてズボンやジャケットのポケットなどには入らない。

荷物を少なくして出かけたい時には不便だったりする。

そこで出会ったのが電子書籍である。

この魔法の箱iphoneは本さえもその媒体の中に取り込んでしまっているのである。

最初はこれはいいなと使用していたが、明らかになったことがあった。

それは読み切るまでに圧倒的に時間がかかっていることだった。

それはなぜか。

まぁオマエの気が足らないんだろと言われてしまえばそれまでではあるが、
iphoneでは次のページに行く際の紙を捲るという行為がスワイプに変わる。
紙媒体の本であれば指ページを捲るという行為が先に進んでいる感じがしていたのに。

「読んでいる感」

をあまり感じれない事に気づいた。

少なからずやっぱり自分的にはこの体がそれを感じるということは必要なんだな
と思った。

電子書籍で読むことを否定している訳ではなく、私には紙媒体の方が合っているだなと感じたまでで。

荷物を少なくして出かけたい時にはまた電子書籍を使用するだろうし、一人暮らしの家の中が本で溢れてしまっても困るわけで。そこはケースバイケースになっていっている。

でも、その「⚪︎⚪︎感」は大事にしていきたい。

それが自分には必要なことだから。

この話はipadにキーボードを接続して打ち込みでやっている。

どうだ。

「やっている感」が私をまた満足させる。

いや、ちょっと待てよ。

こうやって書かれたものをiphoneで読む時、全部スワイプしているぞ。

人間は曖昧な生き物です。

あれは良くてこれは悪くて。

でもそんなもんです。

それくらいのことです。

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