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天満レインボーチャーチはどんな教会ですか:傷ついた人のための教会

傷ついた人のための教会
 
詩篇22編
 
22:1 わが神 わが神
どうして私をお見捨てになったのですか。
私を救わず 遠く離れておられるのですか。
私のうめきのことばにもかかわらず。
22:2 わが神 昼に私はあなたを呼びます。
しかし あなたは答えてくださいません。
夜にも私は黙っていられません。
 
5月22日、29日と、天満レインボーチャーチは、どんな教会になるのかについて話をしました。第一に、LGBTQのための教会です。第二は、女性のための教会です。今日が三回目、最後になります。天満レインボーチャーチは、傷ついた人のための教会です。
私は、アメリカ聖書協会傘下のトラウマヒーリング協会のトレーニング・ファシリテーターをしています。トラウマヒーリング協会の働きは1990年代にアフリカで始まりました。アフリカのとある国では、内戦で多くの人たちが苦しみました。クリスチャンも例外ではありませんでした。内戦は終わった後も苦しみは続きました。そこで、ある村のアフリカ人牧師は、クリスチャンのために聖書の勉強会を開きました。讃美歌を歌い、聖書を学び、そして、クリスチャンたちは癒されると信じていました。しかし、現実は違いました。クリスチャンたちの状態は、ますます悪化して行きました。
その村には、アメリカやヨーロッパから聖書翻訳の宣教師たちが住んでいました。宣教師たちが所属している団体には、メンタルヘルスの専門家がいました。そして、メンタルヘルスの専門家がケニヤのナイロビに集まり、アフリカのクリスチャンたちを支援するためのトラウマヒーリング協会を設立しました。
トラウマヒーリング協会の日本での働きとして、「トラウマリカバリー:聖書に基づく回復の旅」というテキストを使って、トラウマや心の傷からの回復のお手伝いをしています。「トラウマリカバリー」では、第一にトラウマや心の傷を持っている方々が、グループの中で自分の経験した苦しみや悲しみを話せるようにします。癒しや回復は自分の体験を話すことから始まるからです。そのために、自分の発言が否定されたり、信仰を批判されたり、アドバイスされたりすることのない環境を作ります。恐らく、アフリカの教会でも同じようなことがなされたでしょう。
「トラウマリカバリー・グループ」を始める前に、参加者には、「自分の心の傷を話すための約束事」を決めてもらいます。これまでに出てきた約束事は、
·         頭ごなしに否定しない。
·         話を遮らない。
·         聖書のことばを教えようとしない。
·         聖書のことばで意見を変えさせようとしない。
·         アドバイスや解決方法を示さない。
今これを見てくださっているクリスチャンの方や教会に行ったことがある方なら、こういうことを経験したことがあるんじゃないかと思います。
心の傷とは、喪失からくる深い悲しみのことです。私たちは人生の中でいろいろな悲しみを経験しますが、必ずしもとトラウマになるとは限りません。しかし、親しい友人や家族が予期せず亡くなってしまった時、親しい友人や家族に裏切られた時、虐待のように長期間にわたって危害が加えられるとき、その悲しみはトラウマへと変わっていきます。
皆さんは、自分の不安や悲しみを自由に口にできるでしょうか。自分の不安や悲しみを口にすることは、自分のプライドが傷つくように思うかもしれません。不安や悲しみを口にすることが文化的に歓迎されないかもしれません「過去のことは忘れて、前を向いていこう」という人がいるかもしれません。「不安や悲しみがある時は、とにかく祈りなさい」と言われるかもしれません。不安や悲しみがあるということは、神の祝福や愛を疑うことになるんじゃないかと思う方もいるかもしれません。
しかし、詩篇22編の詩編は、
22:1 わが神 わが神
どうして私をお見捨てになったのですか。
私を救わず 遠く離れておられるのですか。
私のうめきのことばにもかかわらず。
22:2 わが神 昼に私はあなたを呼びます。
しかし あなたは答えてくださいません。
夜にも私は黙っていられません。
神さまに自分の苦しみを訴えています。それだけではありません。「あなたは答えてくださいません」というのは、「神が答えない」という事実だけを言っているのではなく、神さまに苦情を言っているのです。「神様、これは一体どないなってんねん」!聖書を読むと、神様は私たちが悲しみを口にすることを許しているのがよくわかります。それだけではありません。神さま自身に苦情を言うことさえ許してくださっています。
今日紹介した詩篇22編のような詩を「嘆きの詩篇」と呼ばれています。150編ある詩篇の3分の1は「嘆きの詩篇」と数えられています。嘆きの詩篇の中心にあるのは、神さまへの苦情です。文句です。
イエス・キリストは十字架に付けられたとき、大声でこの詩篇22編1節を叫びました。「神よ!これは一体どういうことや!」って。
旧約聖書にある詩篇は、大昔のユダヤ人たちの神殿での礼拝で読まれたと言われています。皆さん、想像してみてください。キリスト教の礼拝で、「神様、なにをしてくれんねん」とか「神様、はよ助けてくれ!」こんなことを言っている礼拝です。しかし、これこそが神様への信頼です。イエス様が十字架の上で、叫んだことも、また神さまへの信頼です。
岩本エノクさんという大学教授で、牧師さんという方がいますが、この方が仰っています。「神はいない」の反対は「神はいる」ではない。「神はいない」の反対は、「神に叫ぶことだ、神を呼ぶことだ」と仰っています。実にその通りです。
·         「なぜ私はこんな目にあうのか」
·         「LGBTということで、どうしてこんなひどい言葉を言われ続けなければならないのか」
·         「女性だからと言って、どうして馬鹿にしたような言葉を言われるのか」
·         「なぜウクライナの人たちが、戦争に巻き込まれなければならないのか」
·         「なぜ地震で、多くの人たちが亡くなるのか」
礼拝は、「神様、感謝します」とか「ハレルヤ!」だけをいう時ではありません。神さまに苦情を言って、文句を言って、助けを求める時です。天満レインボーチャーチは、そういう教会です。
神さまが、ご自分に苦情を言うことを許しておられるなら、クリスチャンは愛と憐れみの心をもって、お互いの悲しみに耳を傾け、話を聞きましょう。私たちにはこの意識をもって、実践することが必要です。人が悲しんでいるときに、批判やアドバイスは必要ありません。私たちが耳を傾ける時、初めて、教会は誰もが自由に心を開くことができる場所となります。それが安心して集まることができる場所ではないでしょうか。
天満レインボーチャーチは、こんな教会を建てたいと願っている方、一緒に教会を始めてみませんか。

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