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BASEが「おしゃべり」や「対話」を何よりも大事にする理由

あなたは、
話すことは好きですか?

「話す」と言っても色々ありますね。

講話や授業、講義など、多くの人の前で「話す」お仕事をされてる方もいらっしゃるだろうし

コーチングやカウンセリング、セッションなどといったマンツーマンで「話す」という場面もあります。

また、
「おしゃべり」というと雑談・フリートーク的な感じになり、ライト感出てきますよね〜。

「おしゃべり」は好きですか?
聞/聴き役になるほうが好きですか?

また、おしゃべりが好きだと言う人は、
自分の話をすることが多いですか?
自分の身の回りについて話すことが多いですか?

ちなみに、
私はどちらかというと、話すことは好きな方ですが、同じくらいに、聞く/聴くのも大好きです。
自分の話もたくさんしますし、周りの話もたくさんします。

「話す」と「聴く」って並べると

話すことは能動的で
聞く/聴くのは受動的、みたいなイメージを
持つ人も多いかもしれないけれど、

案外そんなことなくて、
「聞く/聴く」って、相手の話を自分の中に取り込んで、味わうことで、
どちらかというと食事と同じかな?と私は思ってます。
それも、食べさせて「もらう」のではなく、自分で、食べ物を口に運ぶ・摂取する感じ。
だから、「話す」も「聞く/聴く」も
アクティブな行為かな
と、とらえています。


(もちろん時と場合によっては、一方的に
「聞かされる」話もたくさんありますけどね😁)

‥とりあえず!

今回は、そういう前提で書きすすめていきます。
「おしゃべり」や「対話」について書かせていただきます。

またまた質問。
「おしゃべり」っていつ、誰としてますか?
私は家族や友人、仕事で出会う色んな方と
おしゃべりをする機会がありますが、

案外、「自分」とのおしゃべりもかなり多いタイプの人間です😁

へぇ〜、貴奈はこういうのが好きなんだね
今、ムカついたね、悲しかったね、
なんでかな?
なるほど。そうか。ふんふん。。

と、小さき自分「リトル貴奈」へ
事あるごとに話しかけています。

やばいやつだと思いましたか?🤣🤣(笑)

もちろん。それをブツブツと所構わずやってたら怪しいですが、静かに心の中だけでやってます。

歯磨きしながら、トイレ行ったついで、寝る前、、など。何かのついでにちょいちょいと
小さな私とフランクにおしゃべりをしています。

自己「対話」というやつですね。

話が逸れました。
自己対話についてはまた追々どこかで記事にするとして。

「おしゃべり」や「対話」の素晴らしさや、
BASEがなぜ対話を重んじてるのか、ということを今日は書きます。

話す=放す。そして離す
ってきいたことありますか?

話すことは、自分の内にあるさまざまな想いを
外に放つ、解放することです。
ネガティブなものも、ポジティブなものも。
なんでも。

さらに、「いらないな、もうじゅうぶん経験したな」と感じるようなものがあれば、それはありがとう。と、手放す。

やがて、
放すことは、離すことにつながります。

放すと、
離れた遠くから、客観的に、自分の内なる想いや起こったことを見られるようになってきます。

それは、自分を俯瞰できるようになるということです。
さっきの、私の「自己対話」のくだりにも
つながっていくんですけれど。。

こんなふうに考えると、

安心できる・信頼関係のある環境下で
自由におしゃべりや対話をすることは、
心のクリーニング、とも言える気がしませんか?

クリーニングすると、自分のことがよく
見えてきます。

自分が見えるということは
「自分と仲良くなる」第一歩です。

自分と仲良くすると、
身の回りのこともフラットに捉えられるようになります。
すご〜く、安定します。

おしゃべりなんて、しょせん、ただの
おしゃべりだ、
なんていう人もいるかもしれません。

しかし、侮るなかれ!です。

良質な対話やおしゃべりは
自己承認の扉を開くきっかけになりうるものです。

だから、
BASEでは
対話やおしゃべり
めちゃくちゃ大事にしてます。

私は対話やおしゃべりのプロになりたいです。
日々そう思って

本気で、

おしゃべりしていますよ。

いただいたサポートは、このnoteのおよび、私が代表をつとめる地域団体「食と農の学び舎BASE」の運営に充てさせていただきます♩