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笑顔になるため。

今朝、とても些細なことで主人と喧嘩してしまった。

普段なら気にもしないくらいなのに、今日は胸の中がもやもやして。

ついに噛みついてしまった。

ああなんじゃない、こうなんじゃないの。だってこうでしょ?なんでそうなの!

もう止まらない。

涙が溢れてきて、まばたきしたらポロポロと流れてしまう。


それ以上は言ってはだめ


頭の中で警告音が鳴っているような気がした。

主人はそんな私に

「分かった、俺の言い方が良くなかった。ごめんね。」と、すんなり謝ってくれた。

その姿を見て、言い過ぎてしまったことによる自己嫌悪と今の自分自身が限界まできているんだと痛感した。

この喧嘩が起きた前日、主人が約一週間ぶりに出張から帰ってきたばかりで私は期間限定のワンオペ育児に疲れ切ってしまっていた。

主人と娘が朝の公園に遊びに行く準備の最中の喧嘩だったので、自然と喧嘩後に時間をおくことになり冷静になれた自分がいた。

喧嘩の内容に対して間違ったことを言ったつもりはないが、私ももう少し優しく言えたら良かった。言い方にも問題があったのかもしれない。

娘と公園から帰ってきた主人が普通に接してくれる姿をみて、さっきの自分の態度が恥ずかしく思えた。

お昼ごはんを食べながら普通に会話していたが二人になった時、素直に「さっきはごめんね。」の一言を言うことができた。ごめんねを言葉にするといろいろな感情が爆発してまた涙になる。

黙って頷いてくれる姿に有り難さと申し訳無さでどんな顔をしていいのか分からなかった。

私が今、どんな状態なのかはきっと私よりも分かってくれているのだろう。すぐにお昼ごはん後の洗い物に取り掛かる主人を見てそう感じた。

だめだ、自分でちゃんと気持ちを切り替えなきゃ。どうしたらいいのか、、

まだ3ヶ月の次女はミルクは全く飲んでくれず、長時間預けることは難しい。主人自身も出張後で身体が疲れてるはず。

いろいろ考えて閃いたのが、一人自転車に乗ってお気に入りのタルト屋さんに行くことだった。

娘を妊娠中に通っていた産婦人科の病院の近くにあるタルト屋さん。お店の外観も可愛らしく、溢れんばかりのフルーツがのっているタルトはキラキラしていて見ているだけでもわくわくする。

家から自転車で約20分程、往復40分にお店の滞在時間を足しても1時間弱。気分転換にはもってこいだと考えた。

主人に子ども達をお願いし、出発する。自転車に乗り、たった数メートルで身体の身軽さと風の心地良さで心まで軽くなる。

何をそんなにイライラし、悲しくて涙を流していたのか。どうしてそんなに心の真ん中が真っ黒になり、自分を醜く感じていたのか。

そっか。私、ものすごく疲れていたんだ。

単純にそう思った。家を出る前の私は全く分からなかったのに、『一人で自転車に乗ってお気に入りのタルトを買いに行く』たったそれだけのことでこんなにも気分が変わるのか。

たったそれだけのこと。

でも今の私には“たったそれだけのこと”をすることが難しいのだ。

何をするにも子ども達の状況最優先であり、タイミングが大切になる。また、小さな子ども達だけを置いて外出なんてありえない。

ほんの少しのリフレッシュには、周りの助けが必要なのだ。

私の場合は、故郷から離れて暮らしているため頼れるのは主人しかいない。

行政の子育て支援の制度もあるのだろうけれど、全く知らない人に突然お願いするのはどうしても気が引けてしまうし、よっぽどのことがあればまた別だが、予約してお金を払って数時間お願いするくらいなら遠慮しておこうという気持ちになる。

次女を出産した病院の助産師さんからあることを言われたのを思い出した。

「たまには自分を甘やかして、褒めてあげてね。自分を大切にしてあげて」


こんな状況になって初めて言葉の意味を充分に理解できた。

私、洗濯に掃除、料理も頑張ってる。子ども達のお世話も頑張ってる。だからご褒美にだいすきなタルトを食べよう。

 

そして心の休憩が出来たら、子ども達と支えてくれる主人にとびっきりの笑顔で

「ありがとう」感謝の気持ちを伝えよう。

どれだけイライラしても、心の真ん中が真っ黒になって涙が溢れてもそれは頑張っている証拠だと思うのです。

わたし、全然ダメなんかじゃない。

泣き疲れたらグッと涙を拭いて、美味しいものでも食べてまた笑顔になればいい。きっと数年後にはあのとき、頑張ってたなぁと懐かしくなる日がくる。

そんなことを考えながら自転車で走った道のりは本当にあっという間で、なんだかいつもより明るく見えた。


今、育児を頑張っているあなたにもこの気持ちが少しでも伝わったら嬉しい。


お互い頑張りましょう。









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