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おもいでばなし①

私が11歳の時、両親は離婚し兄と弟そして私の3人は母に引き取られることになりました。今回は生まれ育った家をでて祖母の家にいく話です。

はっきりと覚えています。

10月に入ったばかりの涼しい晴れた月曜日、

なんとなく普段より少し早めに家を出ようと靴を履いて、いってきますとドアを開けたとき

「次の日曜日に引っ越すから友達にも話しときなさいね、だから学校今週までだからね」

と、背後から母に言われたのです。

何と言われたのか理解できず、すでに半分足が玄関から出ていましたが、身体も頭の中も固まってしまいました。

「詳しくは帰ってきて話すから。いってらっしゃい」

そう母に言われると何も聞けませんでした。


さっきの母の言葉が頭の中をぐるぐる。

学校まで徒歩で約15分の道のりはあっという間で、その日一日は授業中も友人と話していても集中出来ず、母の言葉が頭から離れません。

友人に話すにしても、どこに引っ越すのか、なぜ引っ越すのか私自身も聞かされてないのに話せる訳がありません。

そんなもやもやした一日を過ごし、飼育係だった私はうさぎ小屋でうさぎの世話をするために放課後一人で残っていました。すると、数分経ったとき担任の先生と母がうさぎ小屋に現れたのです。

先生からは

「寂しくなるなぁ。先生、応援してるね」

と残念そうな表情で言われ、母が学校に手続きしにきたのか?と思いましたが私より先に先生に話すなんてどうして。と複雑な気持ちを抱いたのを記憶しています。

その後、母と帰宅し先に帰っていた兄と弟も呼ばれ三人、母の前に座らされました。

「お母さんとお父さんはもう一緒に住めないの。離婚するから。みんなでおばあちゃん家にいくよ。だから友達にも話してさよならしてね。」

隣を見るとおばあちゃん家に行くとだけ理解して喜ぶ幼い弟、黙って頷く兄。その二人をみると嫌だとか何でだとか、言えずただ兄のように黙って頷くしかできませんでした。

子供ながらに両親が離婚するから引っ越しなんて友人には言いづらく、週半ばに転校することを担任の先生から帰りのホームルームで話してもらいました。仲良しの友人からはもっと早く言ってよ、なんて言われましたが戯けながらごめんねというしかありませんでした。

そして引っ越し当日、母がバタバタと準備をしている横で、父はあぐらをかいて下を向いて座っていました。その父の背中は丸まって小さくみえました。両親になんだか話しかけてはいけない空気感を感じ、出発時間までテレビの音をできるだけ小さくし観ていました。

そして家を出るとき、教科書やお気に入りの本とぬいぐるみがぱんぱんに詰まったランドセルを肩に背負い、この時やっと私は転校すること、父と離れてしまうという実感が湧いてきたのです。

胸が苦しくなり自然と涙が出ましたが、母に見られてはいけないと思い必死に隠しました。靴を履きなさいと母に促され玄関に向かい父の横を通りすぎるとき、父はさっきと同じ姿勢で全くこちらを見ようとはしません。

お父さん、またね。元気でね。

お仕事頑張ってね。たまには電話してね。

何か言って良かったのか、何を言ったらいいのか私にはわかりません。ただ父の背中だけを見つめて涙を堪えることしか出来ませんでした。

船に乗り、生まれ育った大好きだった島がだんだん小さくなるのを見ながら必ずまた来ようと自分と約束しました。

もしも、母に転校するからと言われたとき行きたくないと言っていたら違ったのだろうか。

お父さんと一緒にいたいと言っていたら違ったのだろうか。

きっと、言えていたとしても結果は同じでしょう。たった11歳の子供が親に意見をしたとしてもまだ無力で面倒をみてもらっている身、子供ですから。

でももしも、

今の私が当時の私に会いにいけるのであればはっきり嫌だと、悲しいと泣いていいんだと感情をぶつけていいんだとそっと抱きしめてあげたいです。

気持ちを伝えたところで両親の離婚という結果は変わらなかったとしても私が嫌、悲しいとぶつけることで両親も考えることがあっただろうし、なにより私自身が気持ちの整理がつけれたのではないかと思うのです。

「自分の気持ちに正直に、素直になる」

簡単そうで難しく、ここ数年で大切さを実感しました。正直に、素直に、そう意識すると冷静に物事を考えられるような気がします。

長くなってしまいましたが、今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございます。次はおばあちゃんの家を出て従兄弟の家にいく話(予定)です。




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