ゲームとしての絵画

○ ◎ ○ ◎  この記事の要約 ○ ◎ ○ ◎

・ 地図は「自分のいる場所の確定」という認識を与えている。地図の一般化は人間に自分自身と世界との安定した位置関係を与えてくれた。地図という名の絵画は人間心理に最も影響を与えているビジュアルメディアだ。

・ ほぼ全ての宗教が人間の住むこの宇宙の構造を合理的に説明しようとして象や亀に支えられる大地やドームのような天空など冗談としか思えないような宇宙像もあり、こんなものでも現在の地図と同じように、人々は自分のいる位置を確認し安心することができていた。人間は自分の居場所を確定し、そこを中心に世界を構築して行こうとするほとんど病的な心理を持っている。

・ 地図の目は無限の多点観測(あたかも地球上空を自由自在に動き回る目玉が地図の製作者であるかのよう)。人間心理の中に隠された自己の精神世界構築のための外界世界の完全把握という願望は、空への憧れと繋がり、熱気球や飛行船が登場し、航空写真は早くから一般化、さらにパリ万博ではそれまでの建造物の高さの概念をぶち壊すエッフェル塔が建築され、人々は実際に空の中に身を置くことができるようになった。地球上空のどの点にでも、無限に視点をすえ変えることができるという地図の意識は次第に一般化していった。

・ 地上を天空から多点観測する地図の目は、神の目だった。キリスト教的世界観を打ち壊した。

・ 地図の意識の確立という世界観の一身は、当然この時代の雰囲気と共にあり、そして世界観の一心に対応する絵画が求められ、20世紀に入ると先進的文化の中心地パリで画期的な美術・キュビズムが誕生する。キュビズムこそ地図の意識の上に立った、絵画の世界観の変革だった。

・ キュビズムは地図を読むように画面を多点観測できる絵を描こうとした。ピカソの不気味な女の顔をみても、目なら目、鼻なら鼻というように目で追っていくと確かに目であり鼻であるのがよくわかる。私たちが同じ人間である以上、目とか鼻とかに分解されてしまった情報でも、それを組み立て直して人の顔だと理解することができる。これは私たちが地図を読むとき、畑や工場、消防署などを記号で読み取り現実の風景を思い描いていくのと同じ操作だ。キュビズムの主流は複雑な記号読み取りゲームだった。

・ キュビズムが開発したゲームは、絵の中に文字を書き込んでしまう方法や、文字そのものよりもっと複雑な意味を持っている印刷物をそのまま貼ってしまう方法だった。ビジュアルイメージの中に文字情報をスーパーインポーズすることで両方の情報をさらに強める。(これは現代で絵画に限らず非常に一般的な方法になっている、CFの最終カットや雑誌広告などは全てこの手法)

・ キュビズムのこのゲーム(実験)は、印象派以降中産階級とインテリのステータスになってしまって少々だらけてきた美術を再生させようとするものだった。観客は読み取り、思考することを要求されているのだ。その先頭に立っていたのはピカソだった。

・ 世界初の殺人博覧会のようなものだった第一次世界大戦の終戦にたどり着けたのは人間の理性の力ではなく、むしろ化学兵器による破壊に人間の側が精神的についていけなくなったから。この結果大きな変化がおこった=それまでの楽観的で期待感に満ちた科学技術像の崩壊

・ この戦下で芸術家たちは徴兵されたり亡命や租界で戦争から逃げ回ったりした=パリ中心だった美術を拡散させることになった。そして、崩壊した科学技術信仰に代わる新しいコンセプトの開発が様々な場所で試されて行くことになる。科学や産業社会に対してどのようなスタンスで構えるか、がこの戦争を通して美術が学んだこと

・ 新しいコンセプトの一つがシュールレアリズム。

史上初の科学戦争(肉体と肉体のぶつかり合う古典的戦争をはるかに超える狂気の世界)を目の当たりにしたとき、芸術家たちが狂気と芸術の関係を考えるようになった。

狂気は理性の逸脱だ、ならば理性に支配されず過去の因習にもとらわれず、より自由に作品を作るには狂気へのアプローチが有効なのではないか=シュールレアリズムが芸術の革新を精神分析学に求めた理由

・ シュールレアリズムが注目したのはフロイトの精神分析の潜在意識(自分では気づいていない隠された感情の存在)という概念。人間心の構造と精神医療の体系化。フロイトは夢解釈(夢の中には夢特有のサインがあり、このサインは一種の言語であり、人間は皆この言葉によって意識下の世界を夢の中で語っている、これが潜在意識。)の研究からはじめて、近代的な精神分析の手がかりを見つけていった。

シュールレアリストたちはこの夢解釈のなかに理想の芸術の可能性を感じた。この夢解釈の潜在意識の暗号を芸術作品そのものの中に表現したものは本当の芸術になるはずではないか、と。

・ しかし実際はまるでオカルト的で、フロイトの言った人間に普遍的な言語としての意識下の世界の表現というよりは、画家の個人的な世界の表現にすぎないようだった。何かフィクション臭い物語めいた世界だった(ダリのとろけた時計やキリコの寂しい街角など)。

・この矛盾を生んだ理由は、フロイトの精神分析学自体が因習的な古いキリスト教の性意識への科学主義的挑戦だったということ。シュールレアリズムは科学主義を越えようとしながら、科学の後を追う科学主義的美術の枠から出ることができなかった。(それは自由な絵画を目指しながら、光学理論の虜となって印象派のコンセプトからはずれていった点描主義のエセ科学と通ずるものがある)

・ シュールレリズムの現代美術への貢献は、人間心理を科学しようとする実験精神をテコにして画家の思考の素直な表現に注目したこと

・ シュールレアリズムは作者の心情が素直に表現されたものであれば、うまい・へたやスタイルなどおかまいなしに全部良い作品とする=これまで芸術と認められなかったもの(子供の描いた絵、狂人の描いた絵、アンリ・ルソーのような素朴派の絵画、アフリカ美術のような原始美術など)もどしどし芸術にした=芸術の範囲がシュールレアリズムのおかげで非常に広く開かれたものになった

・ ところがシュールレアリズムが宣言した芸術の方向は残念ながら行き止まりだった。それは、科学の時代の不信から出発しながら精神分析の科学に頼りすぎたことと、印象派以来パリを中心に展開してきた芸術が活力を失ってきていたから。重たい哲学的テーマに立ち向かっていく詩的で洗練されたパリ風の芸術は、激動する時代に合わなくなっていた。

・ キュビズム時代に枝分かれし近代建築の誕生に密接に関わっていた幾何学抽象、現代デザインの基礎となったドイツのバウハウス、ロシア革命と構成主義、アメリカに飛び火したダダイズムなど、洗練されたパリの芸術とは一味違うコンセプトが同じ時代に世界中に豊かに広がっている。こうした世界中でそれぞれに発展していった美術こそが現代美術に直接繋がっている。


○ ◎ ○ ◎ ○ ◎ ○ ◎ ○ ◎ ○ ◎ ○ ◎ ○ ◎ ○ ◎ ○ ◎ ○ ◎ ○ ◎ ○ ◎ ○ ◎






★★★ 地図の心理学 ★★★

地図を絵画だと考えるのは、私たちの日常的な感覚からすればかなり無理があるかもしれない。

ところが専門の技術者がハンドメイドで仕上げたという意味では、やはり絵なのだ。

地図は遠近法とは違った、さらに重要な認識を私たちに与えている。それは自分のいる場所の確定だ。

地図の縮尺をどんどん大きくしていく、自分の住んでいる街から始めて、地方、国、アジアなどの世界州、半球、そして地球といった具合に進んで最後には宇宙の中にある自分の位置が確定できる。

私たちは地図の中に自分のいる位置を確認して一安心する。地図の一般化は人間に自分自身と世界との安定した位置関係を与えてくれたのだ。

地図という名の絵画は、人間心理に最も影響を与えているビジュアルメディアであると言える。

過去の歴史の中では、ほとんど全ての宗教が人間の住むこの宇宙の構造を合理的に説明しようとしてきた。

象や亀に支えられる大地やドームのような天空など冗談としか思えないような宇宙像もあった。

しかしこんなものでも人々は自分のいる位置を確認し安心することができた。

人間は自分の居場所を確定し、そこを中心に自分の世界を構築していくほとんど病的な心理を持っている。そのためには、ただ安心できる材料さえあればいいのだ。




★★★ 空の時代 ★★★

地図にはもう一つ恐ろしい事実が隠されている。

それは地図を見るための視点の問題だ。

もともと球である地球を、真っ平らに広げた地図の観察者とは一体どこにいるのだろう。

地図の目は無限の多点観測なのだ。

それはあたかも地球上空を自由自在に動き回る目玉が地図の製作者であるかのようだ。

そこで、人間心理の中に隠された自己の精神世界構築のための外界世界の完全把握という願望は、一方では空への憧れへと繋がっていくのだ。

高い塔の建設や数々の飛行実験はこうした人言心理から出発した。

1783年、ついに熱気球での初飛行に成功する。

以来空の開拓は急速に進み、19世紀の末にはガソリンエンジンの実用化で硬式飛行船が登場する。こうして航空写真は早くから一般化したので遊覧飛行できる金持ちでなくとも上空からの眺めを想像することは誰にでもできるようになった。

1889年のパリ万博にはそれまでの建造物の高さの概念をぶち壊すエッフェル塔が建設され、人々は実際に空の中に中に身を置くことが出来た。

こうして地球上空のどの点にでも、無限に視点をすえ変えることができるという地図の意識は次第に一般化していった。



★★★ ベルエポックと絵画の変革 ★★★

一般に言われるヨーロッパ世紀末の退廃とは、ヨーロッパ人の世界の見え方のこのような革命的な変化に対しての保守側からの見解だった。

なぜなら、それは様々な社会状況と共にやってきてキリスト教的世界観を打ち壊したからだ。

まず、地上を天空から多点観測するのは神のみに許されていた行為だったのに、いつの間にか人々は神の目を持ってしまった

そして一方では、植民地主義の絶頂期にあってヨーロッパ人の付き合う地域は誇大な広さになり、キリスト教でタブーだった異教文化が生活のすみずみにまで大量に流れ込んできた。

退廃の時代が、同時にベルエポックと呼ばれる都市的で開放的な中産階級の時代であることを忘れてはならない。

地図の意識の確立という世界観の一新は、当然この時代の雰囲気と共にあった。

そして世界観の一新に対応する絵画が求められ、20世紀に入るとすぐ先進的文化の中心地パリで画期的な美術が誕生する。

それがキュビズムだった。

キュビズムこそ地図の意識の上に立った、絵画の世界観の変革だったのだ。



★★★ ゲーム仕立ての絵画、キュビズム ★★★

キュビズムの画家たちの作品は、人物であろうと風景や静物であろうと真っ平らなのだ。

これを立体派と呼び、彼らは物体の本当の形を見つけようとしたのだと言われても素人にはお手上げだろう。

実は彼らは、地図を読むように画面を多点観測できるような絵を描こうとしたのだ。

ピカソの不気味な女の顔を見ても、目なら目、鼻なら鼻というように目で追っていくと確かに目であり鼻であるのがよくわかる。

私たちが同じ人間である以上、目とか鼻とかに分解されてしまった情報でも、それを組み立て直して人の顔だと理解することができる。

これは私たちが地図を読むとき、畑や工場、消防署などを記号で読み取り現実の風景を思い描いていくのと同じ操作なのだ。

こう考えて見るとこの絵画の実験は面白いゲーム仕立てになっているらしいことがわかる。

キュビズムの主流は次のもっと複雑な記号読み取りゲームに入っていく。



★★★ キュビズムの心理ゲーム ★★★

キュビズムが開発したゲームとは、

絵の中に文字を書き込んでしまう方法や、

文字そのものよりもっと複雑な意味を持っている印刷物をそのまま貼ってしまう方法だった。

ビジュアルイメージの中に文字情報をスーパーインポーズすることで両方の情報をさらに強める

これは現代では絵画に限らず非常に一般的な手法になっている。

CFの最終カットや雑誌広告などはすべてこの手法だ。

これを最初に意識的に始めたのがキュビズムだったのだ。

文字だけでもその文字から連想する言葉の意味が、絵の他の部分に描いてあるものと組み合わさって複雑な情報になり、受け手の読み取り遊びの答を多くする。

さらにこのゲームが上級者向けになると、キャンバスの上には何かの木の切れ端が貼り付けてあり、受け手はこの物体からの連想から絵の意味を探ろうとする。

このゲーム、キュビズムの実験は、印象派以降中産階級とインテリのステータスになってしまって少々だらけてきた美術を再生しようとするものだった。

観客は読み取り、思考することを要求されている。

その先頭に立っていたのが、すでに成功をおさめ裕福な流行画家となっていたピカソだ。

このことは、キュビズムの心理ゲームを余計遊びらしく見せていると言えないだろうか。



★★★ 科学神話の崩壊 ★★★

第一次世界大戦は世界初の殺人の博覧会のようなものだった。

核兵器と誘導ミサイルを除くほとんど全ての兵器と戦術の原形が開発され、すぐに実践された。

終戦にたどり着けたのは人間の理性の力ではなく、むしろ、化学兵器による破壊に人間の側が精神的についていけなくなったからだ。

この結果大きな変化が起こった。

それまでの楽観的で期待感に満ちた科学技術像の崩壊だった。

ヨーロッパ中が巻き込まれたこの戦争で芸術家たちも徴兵されたり、亡命したり疎開して戦争から逃げ回った者もいた。

こうしてパリ中心だった美術が拡散することになった。

そしてもう一方では、崩壊した科学技術信仰に代わる新しいコンセプトの開発が様々な場所で試されていくことになる。

科学や産業社会に対してどのようなスタンスで構えるか、がこの戦争を通して美術が学んだことなのだ。



★★★ シュールレアリズムと精神分析学 ★★★

それらのコンセプトの中の一つが第一次世界大戦後の1924年に発表されたシュールレアリズム宣言だった。

史上初の科学戦は肉体と肉体のぶつかり合う古典的戦争をはるかに超える狂気の世界だった。

これを目の当たりにしたとき、芸術家たちが狂気と芸術の関係を考えるようになった。

狂気は理性の逸脱だ、ならば理性に支配されず過去の因習にもとらわれず、より自由に作品を作るには狂気へのアプローチが有効なのではないか

これが、シュールレアリズムが芸術の革新を精神分析学に求めた理由だった。

シュールレアリズムが注目したのは、1908年に発表されていたフロイトの精神分析の潜在意識という概念だった。

フロイトは体が麻痺したり目が見えなくなったりするヒステリー症状の臨床的な治療を通して、人間には自分で気づいていない隠された感情があることに気づく。

フロイトはそれを潜在意識という概念で説明しようとした。

薬品や催眠術を使うことで患者の心の中で病気の元となっていた潜在意識が容易に現れ、患者に病気の本当の原因を知らせる、患者が原因を知りそれを取り除こうとするから治る。

これは、人間の心の構造と精神医療の体系化だった。

フロイトは夢解釈の研究から始めて、近代的な精神分析の手がかりを見つけていった。

シュールレアリズムに参加した詩人など文学者と画家たちは、この夢解釈の中に理想の芸術のある可能性を感じた。

なぜならフロイトは夢の中には夢特有のサインがあり、このサインは一種の言語であり人間は皆この言葉によって意識下の世界を夢の中で語っていると言うのだ。これが潜在意識だ。

もしそうだとすれば、この潜在意識の暗号を芸術作品そのものの中に表現したものは本当の芸術になるはずではないだろうか。



★★★ ゲームからオカルトへ ★★★

シュールレアリズムの作品がどのように作られたかは不明確だ。

例えば意識下の世界を理性に邪魔されずに引き出し、絵に描く方法・オートマティズム(自動記述法)が開発される。

ところがこの方法で絵画を制作しても、最終的な作品になるためには絵の具を塗ったり形を整えたりと言う理性的な作業が必要になってくる。

もしすぐに割り込んでくる理性を排除しようと言うことになれば、麻薬の使用で理性を麻痺させるぐらいしか方法がなかった。

さらに心的エネルギーを高めて意識下世界がすぐに飛び出してくるようにするためには降霊術のような方法しか考えつかなかった、これではまるでオカルト絵画だった。

このような矛盾を生んだ理由は、フロイトの精神分析学は因習的な古いキリスト教の性意識への科学主義的挑戦だったと言うことだ。

シュールレアリズムは科学主義を越えようとしながら、科学の後を追う科学主義的美術の枠から出ることができなかった

それは自由な絵画を目指しながら、光学理論の虜となって印象派のコンセプトから外れていった点描主義のエセ科学と通じるものがある。

ダリのとろけた時計やキリコの寂しい街角は確かにオカルト的で、フロイトの言った人間に普遍的な言語としての意識下の世界の表現というよりは、画家の個人的な世界の表現にすぎないようだ。それに何かフィクションくさい物語めいた世界だ。

こうした意味では戦前からドイツで起こっていた表現主義と通じるものがある。

しかし、シュールレアリズムの現代美術への貢献は、人間心理を科学しようとする実験精神をテコにして画家の思考の素直な表現に注目したことだった。



★★★ 芸術の幅を広げたシュールレアリズム ★★★

シュールレアリズムは作者の心情が素直に表現されたものであれば、うまい・へたやスタイルなどおかまいなしに全部良い作品とする。だから、それまで芸術と認められなかったものもどしどし芸術にしてしまった。

それは子供の描いた絵や狂人の描いた絵、それにアンリ・ルソーのような素朴派の絵画だった。またアフリカ美術のような原始美術と言われていたものも、それまでのような単なる好奇心からではなく本格的な美術理論の上に立って非常に高く評価した。

このように芸術の範囲はシュールレアリズムのおかげで非常に広く開かれたものになった。

この素直で素朴な美術を歓迎する姿勢こそシュールレアリズムが現代に残した最大の遺産だろう。

ところがシュールレアリズムが宣言した芸術の方向は残念ながら行き止まりだった。

シュールレアリズムの跡を継ぐ「イズム」と名のつく美術運動は、もうこの後パリからは現れない。

それは科学の時代の不信から出発しながら精神分析の科学に頼りすぎたからだった。

しかしもっと重要なことは、印象派以来パリを中心に展開してきた芸術がそろそろ活力を失ってきたからだ。

重たい哲学的テーマに立ち向かっていく詩的で洗練されたパリ風の芸術は、激動する時代にどうも合わなくなってきていた。

こう考えると、現代美術に直接つながる様々な動きが見えてくる。

キュビズム時代に枝分かれし近代建築の誕生に密接に関わっていた幾何学抽象、現代デザインの基礎となったドイツのバウハウス、ロシア革命と構成主義、そしてアメリカに飛び火したダダイズムなど、

洗練されたパリの芸術とは一味違うコンセプトが同じ時代に世界中に豊かに広がっている。

こうした世界中でそれぞれに発展していった美術こそが私たちの現代に直接繋がっているのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?