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エータくん、アルバイトをはじめる

(登場人物はすべて仮名です)

アルバイトをはじめることも一苦労

軽度知的障害と呼ばれる生徒さんは、アルバイトをはじめることも一苦労です。
フツーの高校生だと〈なんでもないこと〉でも、エータくんにとっては、とても大きなハードルだったようです。


高等支援学校に勤務していました

わたしが勤務していた高等支援学校というのは、軽度知的障害(療育手帳保持者)の生徒さんが(卒業後に)就労をめざす学校です。特別支援学校の高等部のみを設置しているということです。(特別支援学校ですので、高等学校の卒業資格にはなりません)
勤務校はおよそ2倍の競争率だった入学者選抜(いわゆる「入試」で、わたしの勤務地の場合は、筆記・面接・作業の3試験を実施し、総合判定します)をくぐり抜けて入学してきます。
これはわたしが高等支援学校で新一年生の担任をしていたときの話です。

アルバイトを勧める

エータくんはお母さんと弟の三人暮らし。自転車を10分ほどこいで通学してきます。
入学当初は(クラスや学校に慣れるまでは)表情もかたく、無口な印象でしたが、徐々にクラスメイトや先生方と世間話もできるようになってきました。遅刻や欠席も無くどの授業でもまじめな感じで取り組んでいたようです。
5月の家庭訪問のとき、わたしはエータくんのお母さんに「アルバイトをすすめてみてはどうですか? エータくんならアルバイトは可能だと思いますよ。就労への意識も高まると思うのですが、どうでしょうか」とお話ししていました。「本人も『やってみたい』と言っていました」というお母さんの返答をいただいたので、エータくんへのアルバイトをすすめていきました。
〈学校の授業やクラブ活動が終わってから2〜3時間アルバイトをする=平日のアルバイト〉という選択肢もありますが、まずは〈夏休み期間中に短期のアルバイトをやってみる〉という選択肢を(5月の下旬に)提案しました。「アルバイトを『やってみよう』と本当に自分で思えたら、『どうやってアルバイトをさがせばいいですか?』って相談してね。探し方をちゃんと教えてあげられると思うからね」というわたしに「ハイ、わかりました」とエータくん。その後、何度か「夏休みのアルバイトはどうするつもりなのかな?」とわたしはエータくんに投げかけていましたが、踏ん切りがつかなかったのか、ほかの先生に相談していたのか、わたしのところには来ませんでした。6月下旬には1泊2日の「宿泊研修」があったりと、学年の教員もバタバタしていたので、生徒さんたちも落ち着いてものごとを考えることができなかったのかもしれません。

どうやって探せばいいですか

7月に入るといよいよ目の前に夏休みが近づいてきました。そんなある日の昼休み、「先生、アルバイト、どうやって探せばいいですか」とエータくん。やっと踏ん切りがついたのでしょうか。それとも夏休みがせまってきたのであせってきたのでしょうか。
えぐち「二つの方法があると思うよ。例えば、自分が生活している中でコンビニとかスーパーとかに行く機会があるのなら、そこに『パート・アルバイト募集中』という張り紙がないかどうかを見てくることがいいかな。自分が利用するお店なら、場所もわかるし、どんなお店かもわかっているから、アルバイトもはじめやすいんじゃないかな。もうひとつの方法は、『タウンワーク』というアルバイト募集の記事ばかりを載せている冊子があるんだけど、それをもらっておいで。コンビニなんかにおいてあると思うよ。どんな冊子かというのは、うちの(この学校の)進路指導の部屋や図書室にも置いてあるから見ておいでー」
エータくんはすぐさま進路の部屋に行って、置いてあった『タウンワーク』をもってきました。
エータ「先生、これですかー?」
えぐち「そうそう。それそれ。(表紙を指さししながら)ここに(エータくんが住んでいる)○○市と書いてあるものをもらってくるといいよ。○○市と書かれた『タウンワーク』なら通える範囲のアルバイト情報が載っているはずだよ。コンビニなんかに行くと置いてあるはずだし、無料でもらえるものだからね」
2〜3日後、エータくんが教室で『タウンワーク』をめくっているところに出くわしました。
えぐち「見方、わかる?」
エータ「わかりませーん!」(←きっぱり)
この素直さは大切なのかもしれません(^^)
勤務地・労働時間・時給などの見方をレクチャー。ちょうど開いていたページが「高校生特集」となっていましたので、「この特集ページの中から、〈自分が通えそうなところ〉を探すといいよ。お客さんに対応するサービス業的なものがいいのか、そうではない軽作業的なものがいいのかもよく見ておいてね」とアドバイス。特に時給はびっくりしていました。「一日840円かと思ってたー。4時間働いたら3000円ももらえるん?めっちゃもらえるやん!」
(参考:この当時の勤務地の最低賃金が時給838円)
素直というか、純粋というか……。
「でも、一日働いたら『ハイ、きょうのお給料です』と渡してもらえるわけではないからね。そういう(日払いの)アルバイトもあるんだけれど」と、アルバイト料の支払われ方も簡単にこのときレクチャーしました。

応募先を見つけてきたエータくん

そうこうしている間に、〈あしたから夏休み〉という前日の金曜日になりました。「これがいいかなー、と思うところをみつけました」とエータくん。スーパーの店内作業のようです。
労働条件などもサッとその場で確認し、放課後、落ち着いてじっくりと話をしました。
えぐち「通えるの? 自転車だと何分くらいかかりそう?」
エータ「通えると思うけど…。どれくらいかなあ…」と少し不安そう。これは具体的に見える化=視覚支援が必要かなと思ったので、iPadをもってきて、エータくんの家とアルバイト候補先の経路を見てみました。エータくんの家から学校とは反対方向に約4kmほど。
えぐち「通えそうな距離だね。んじゃ、電話してみよう。ケータイ持ってる?この電話番号に電話してみて。『〈タウンワーク〉を見て電話しました。エータと言います。』と言えば、アルバイト担当の人が電話に出てくれるはずだから。『タウンワーク』を見て電話をしたこと、〈まだアルバイトの募集をしているか〉を尋ねること。これが電話の目的だよ。『エータくんがアルバイトをしたい』と言っても、もうすでにアルバイトの人が決まっていたら、募集が終わってるかもしれないからね」
〈軽度知的障害〉という〈軽度〉とはいったい何をさしているのでしょうか。〈軽度〉とは言っても、ものごとへの認知・認識や見通しをもつことにはかなりの困難さを持ち合わせています。エータくんも「もうすでにアルバイトの人が決まっていたら、募集が終わってるかもしれないからね」というわたしの説明でようやく電話をする意味が理解できたようです。エータくんにしてみたら『タウンワーク』見ていて「ここだ!ここに決めた!」とアルバイトを申し込むことで頭がいっぱいだったに違いありません。
だれも来ない教室でわたしはエータくんに向き合います。自分のスマホを出しておそるおそる電話をかけるエータくん。電話の向こうはどうやら店⻑さんがでてくれたようです。
電話の途中、通話口をふさいであわてたようすでエータくんがわたしに相談します。
エータ「先生…いつ(面接に)来ますか?って……」
えぐち「あわてない、あわてない。『学校の許可が必要なので、先生と相談して、もう一度連絡をさせてもらいます」って言える?」(「学校もちゃんと把握しているよ」というメッセージを先方に伝える意味も持たせました)
電話でのやりとりが終わって、「あ〜、緊張した〜」と電話を切ったエータくん。どうやらアルバイトはまだ募集していることがわかりました。

履歴書・面接練習

えぐち「まだアルバイトの募集があってよかったね(^^)。次は履歴書の書き方だけれど、きょうは(お昼ご飯もまだだし)ここまでにしよう。夏休みに入るけど、学校に出てこられる? だったら次は○○日の午前中に筆記具(黒のボールペンも)持って、学校へでておいでー。土日には一度、このスーパーへ自転車で行っておいで。面接の日に場所がわからなくて時間に遅れると困るから、事前に場所を確認しておくことが必要だよ」と経路確認も促しました。
約束の日、約束の時刻にはほんの少し(寝坊して)遅れてきたものの「先生、ちゃんと行ってきたで!通える、通える!」とうれしそうなエータくん。「そっかー。場所を確認してきたんやねー。すごい、すごい。ヤル気満々やなあ〜」と笑顔でこたえました。静かな教室でわたしとエータくんはふたたび向かい合います。
えぐち「きょうは履歴書を仕上げようね。でもね、面接の申込もしないとね。いきなり行って『面接してください』と言っても、向こうにもお店を開けていて都合というものがあるからね。もうお店の人は働いている時間だろうから、いまから電話をしてみよう。うまく都合がつけば、きょうの午後か夕方で面接の約束をするといいと思うよ。でもお店の都合次第だからね。遅くても明日か明後日で約束をすればいいよ。エータくんの都合は大丈夫?」
またおそるおそるエータくんは電話をします。うまく電話で約束をしているようです。
どうやらきょうは「会議があるから明日にしてくれ」ということのようでした。
ようやく履歴書の書き方です。エータくんにとっては生まれてはじめての履歴書の記入です。一つひとつ意味を説明しました。鉛筆で丁寧に書いていきます。あとで消すことを考えて、筆圧もやさしく書くようにアドバイス。写真も貼り付けて履歴書を仕上げました。
そして、学校の茶封筒を渡しました。(ここでも「学校が把握している」ということを先方ににおわせる意図を持っています)
えぐち「この封筒に入れて、『これが履歴書です。よろしくお願いします』と言って渡すんだよ」
エータくんはどの話もわりと素直に聞いてくれます。ていねいに履歴書を三つ折りにし、封筒に入れていました。
えぐち「じゃあ最後に面接の練習をしておこうか? それとも練習しなくて大丈夫?」
エータ「(練習)お願いします」
いくつか想定される質問をして、面接練習をしました。わたしが質問したことを必ず聞いてくれる訳ではないこと、面接は正しい答えを言うことが大切なのではなくて、質問したことにちゃんとこたえられるかどうか(コミュニケーションができているかどうか)がもっとも大切なことを伝えました。「『きょうはここまでどうやって来ましたか?』って聞かれて、『ボクはハンバーグが好きです』なんてこたえたらダメだってわかるでしょ?」というとエータくんは笑っていました。同時に、「面接が終わったら、どの面接でも『もっとああ言えばよかった』『こう言えばよかった』って思うもんなの。必ず思うものだから、それは心配しなくていいよ」

そして応募・面接、連絡待ち…

これだけの準備をして、ようやくアルバイトの面接の日を迎えたのです。面接があった日の夕方、電話で少しエータくんと話をしました。緊張して何を聞かれたか、どう答えたかは「まったく記憶が無い」ということでした。面接の結果は2〜3日後に連絡するとも言われたそうです。
スーパーはアルバイトがたりなくて困っているようすもうかがえたので、(採用、不採用のどちらにしても)すぐに決まるだろうと予想していましたが、これはわたしの予想がはずれました。2〜3日と言っても、明くる日くらいには電話連絡があるだろう、と言うわたしの予想もはずれました。
「アルバイトが決まらなくて困ってるスーパーだと思うんだけどなあ。面接でダメだったかなあ。それとも〈支援学校の生徒〉ということで、向こうがびびってるのかなあ」と職員室でもわたしはそわそわしていました。
その週末の金曜日。「合格しました!アルバイトはじめます!」とエータくんから連絡があったときは本当にうれしかったです。職員室で学年の先生とも喜びあいました。アルバイト許可書の関係で、保護者とエータくんにすぐに来てもらいました。仕事を覚えるまではいろいろ失敗することがあること、そのときは「ごめんなさい」とちゃんと謝ること、同じ失敗をしないようにどうすればいいのかを考えたり、まわりの人に相談すること、アルバイト料は無駄遣いしないようになども話をして、生徒指導部から許可書が発行されました。
夏休み明けに、エータくんからアルバイトの話をいろいろ聞きたいなあと思っています。
きっといろいろ失敗して、怒られて、注意されて、落ち込んだりしてるんだろうなあ。

(初出2015年8月16日)


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