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穴を埋める日々 #呑みながら書きました

ジャーン。待望の。

え? フライング?

わかってる。確信犯。でもまとめやらないぜって宣言されてたから気兼ねなく投下してく所存。だってこれ好きなんだもの。呑み書き。

 呑みながらな上に普段使ってるのと違う寝室のPCだからいろいろ勝手が違うな。ふだんはWindowsだけどこれはぃぬxだし。いやlinux。linuxって日本語モードだとぃぬxなのか。ぃぬっていいね。ワン。

 いやもうね、穴だらけ。なにがってわたし。

 6月にキャラクタ小説というかライトノベルっぽい体裁の、でもライトじゃないテーマの短めの長編(10万字ぐらい)を書き終えて、7月はエチュードでちょっと実験的な試みをやった。でもって8月はnote三昧で、ミューズに小説と詩を書いて、学校と乾杯を書いた。実は詩って初めて書いた。

 その間ずっと、中〜長編のアイデアを練っていて、9月になったらこれを書こうと思ってたんですよ。しかし書けない。書き始められない。だから気を紛らわすのにnoteフェスの長文レポとか書いたりしてた。

 大枠のプロットができていて、どうなってどう着地する、ということはみえてる。いつもはこの状態で書き出しの一文さえ見つかれば書き始められるのだけど、今回はそれができない。

 アウトプットなんてうんこだってnoteフェスで坂口さんが言ってたでしょ。うんこだから出せばいいって。「そのとおりだ!」って思ったのだけど、便秘ってことがあるわけよ。うんこだけに。もうね、脳が便秘。

 書けない理由ははっきりしていて、ストーリーのアイデアがあるだけで、それと自分の中のテーマをリンクさせる要素がないのだ。

 困ったわたしは一旦筆を置き、無作為に本を読んでる。なんて言えばいいかな、プログラムで言えばアプリケーションの仕様と対象のOSがあるのだけどAPIがないという感じ。

 いやよけいわかりにくいよね。地盤となるテーマがあって作品になるべき題材があるんだけど、その間をつなぐものが欠けてるわけですよ。それはなんなのかというと、たぶん共用って違う」「教養」って言われてるもの。

 いやこれ、英語キーボード仕様で日本語キーボードから入力してるからカッコとかがヤバい。普段英語キーボードをつないでるノートPCなんだけど手近に英語キーボードがないから本体のキーボードで打ってて慣れないから記号がひどいことになりがち。

 なんの話だっけ。教養。そう、教養がたりねえなと思うわけ。特に古典。古典読んでる数が少ないから当然知ってるべきみたいな作品を知らなかったりする。

 昔音楽をやってた頃に、ジャズのスタンダードと言われる曲はぜんぶ演奏できるようにしとけって言われたことがある。どんなキーでも演奏できるぐらいやっとけと。スタンダードはスタンダードだから知らないってわけにいかないんだと。

 同じことがたぶん文学でも言えて、文学のスタンダードというべきは多分古典なんだけど、それをちょっとわたしは知らなさすぎるんではないかと思ったりなどした。

 古典は読めてないくせにこういうのは読んでるわけですよ。

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 なんたら読本を読んでいてなんたらの本体は読んでないパターン。まぁこの本にしたって須賀敦子さんの文章が好きで、カルヴィーノの小説が好きだから買っただけで、これで古典を読む動機を得ようとかおもったわけじゃないんだけども。

 自分の中のミッシングリンクを埋めるべく初夏の違う書架の本を開いてみたりしている。

 書こうとしているものに自分が追いついてないという感覚は、特に長編を書くときには割といつもあるのだけど、いつもはだいたい題材に関する知識の不足で、そういうのは参考文献がわかりやすいから得やすくて、そう時間はかからずに解決するんですよ。今回みたいにミドルウェアが足りないのは珍しいケースで、ここをクリアしたら成長できる気がする。けど書けないのは辛いね。


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