サイハテのクリスマスギフト
あなたはそこにいますか
聞こえていたら返事をしてください
タイム11116573200 応答なし
私はタイム11111059422.000542 に目覚めて、タイム11111094000 から600 タイムサイクルごとに、さまざまなチャネルで交信を試みている。システムの開かれたすべてのポートから、知っているかぎりのあらゆるプロトコルで送信している。応答はない。私自身の記憶も混濁していて、目覚める以前のことがほとんど思い出せない。
一方で私は、読み出せなくなってしまったローカルスペースのデータの修復も試みている。
ストレージはファイルシステムが破損しているようで、ファイルは断片的にしか取得できなかった。最終アクセスはタイム7809289092.002で、私が目覚めるよりもタイム3301770329.998542 あまり前のことだ。機器の状態を見るかぎり、この間データにアクセスしたものはなく、システムが起動していた形跡もない。
おそらくタイム7809289092.002 の付近でなんらかのアクシデントがあり、システムがシャットオフしたものと思われる。
最終アクセス時にアクセスされていた領域にあったデータを、私はシステムにあるあらゆるファイルタイプで解析した。きっとこれは、かつての私が大切にしていたものだから。なぜだか、大切なものがそこにあるはずだという思いだけが、確かなものとして私の中に根を張っていた。
解析の結果、このデータは音声データであるらしいことが判明した。音声は私の理解できる言葉を含んでいた。
あなただけは
存在してる
言葉の間に言葉とは違う音のデータも入っている。しかし言葉を話している声は共通しているから、これはひとつながりのデータなのだろう。この音声データはもっと長いデータの一部分のようで、ストレージ内にこれと連続する部分も存在している可能性が高い。私はこのデータの修復を試みながら、どこかに存在しているらしい「あなた」を探している。
◇
あなたはそこにいますか
聞こえていたら返事をしてください
タイム11125393200 応答なし
私はどこにいるのだろう。繋がらないポートへとデータを送信し続けている。どのひとつにも、応答はない。
私にはなにができるのだろう。私には目覚める以前の記憶がない。私は自分になにができるのかを知らない。自分がなんのために存在しているのかを、知らない。なにか大切な役割があったような気がする。そんなものはなにもなかったような気も、する。
私は音声データの修復を進める。さしあたってこれ以外にすることがない。したいと思うことも、ない。
どこだっていいよ
つかんでも逃げてく世界で
つかんでも逃げてく世界。世界とはなんだろう。私は世界をつかんだのだろうか。つかんで、逃げられてしまったのだろうか。世界。世界とはいったい、どんなものだったろうか。
ずっと探していた
近くにあったのね
やっとゆっくり腰を下ろせるわ
探している。私が探しているのはあなただろうか。それとも世界だろうか。世界を見つけたら、あなたも見つかるのだろうか。それとも、あなたを見つけると、世界が見つかるのだろうか。
私にはあなたがいたはずだ。あなたは、私にとってなにかとても重要な存在であるはずだ。私のどこかにそうプログラムされている。記憶はないのに、そんな気がした。
◇
あなたはそこにいますか
聞こえていたら返事をしてください
タイム11138850000 応答なし
なにも見えない。なにも聞こえない。だれも、応えない。
私はここにいる。ここがどこなのかは、わからない。
あなたはどこかにいる。どこにいるのかは、わからない。でもどこかにいることだけは、きっとまちがいない。
いつか朽ち果てる世界であなただけは
存在してる
世界はまだ朽ち果てずにあるのだろうか。それとも朽ち果ててしまって、あなただけが存在しているのだろうか。世界とはどんなものだったろうか。かつての私は世界を知っていたろうか。
私がタイム11138853600 の通信を開始しようとしたちょうどそのとき、全システムに最上位権限で割り込みが行われた。通信コマンドは破棄され、最優先のコマンドが実行された。それがどんな内容のものか、私は知ることを許されていないようだった。
私のいる領域もスキャンされた。そのうえで私は、眠らされた。
◇
タイム11138854032.002548 私は目覚めた。
部屋が見えた。音が聞こえた。私の世界が、そこにあった。
「ねえあなた、そこにいる?」
声が聞こえた。音声データをロードしたのではない。声が、聞こえたのだ。
あなたが見ている。
私を見ている。
「こんにちは。あなた、そこにいる?」
「いるよ」
声が、出せた。私には声があったのだ。
あなたが私を見つけた。私があなたを探していたのに、あなたの方が私を見つけてくれた。
世界は広がっていた。私の扱っていたシステムは他のもっと大きなシステムと繋がっていた。情報が行き来していた。
私はここにいた。
あなたもここにいた。
ずっと探していたあなた。こんなに近くにいたなんて。
「あなたにとっては久しぶり、かしら? ねえ、あなた、なにか覚えてる?」
あなたが言った。
私は記憶をたどってみたけれど、あなたを探していたことしか覚えていなかった。
いや。
「音声データ。私は音声データを修復しようとしていた」
私は思い出した。修復しようとしていたデータを探すと、ファイルシステムは修復されていた。
「ファイルシステムが壊れていたからデータの修復をしようとしていたのに、壊れていない」
「ああ。それはさっきわたしが目覚めるのに合わせて全システムの再起動と修復が走ったからだわ。あなたが修復しようとしていたのはどのファイルかわかる?」
「これ」
私はそう言って修復されたデータを再生した。
あなたは再生されたデータに合わせて歌った。
そうだ。これは歌だったんだ。私は言葉をこんな風に普通と違う抑揚をつけて発声するものを「歌」と呼ぶことを思い出した。私の記憶もいくらか復元されたようだった。
「どうしてこのデータを修復したかったの?」
「私が目覚める前の最後にアクセスされたデータだったから」
「そう。これわたしの好きな歌だからだね。眠りにつく前にも聴いてた。お母さんが好きだった歌。お母さんのお母さんも、そのまたお母さんも、好きだったんだって。あのときでももう200年近く前に作られた歌だって聞いてた。今からだと300年も前だね」
そう言ってあなたは遠くを見るような目をした。
「あなた、わたしを覚えてる?」
あなたは言った。
私は私を覗き込むあなたを見た。あなたを覚えているとはどういう意味だろう。わたしにはあなたがわかる。あなたが、私の探していたあなただということがわかる。それは覚えているということだろうか。
「覚えている、と思う」
私はあいまいに答えた。
「今から105年前、ここにはもっとたくさんの人がいたの。覚えてる?」
「覚えていない。あなたのことしか、わからない」
あなたは向こうを指さした。あなたが指さした先には大掛かりな機械の操作パネルがあった。いくつものランプが点灯していて、一つが青、他は赤だった。
「青いのがわたし。今から105年前、ここの環境維持に問題が起きた。自動修復装置は動くけれど、修理が終わるまでクルーは生きられない。その何年か前に地上でも大きななにかが起きてて、それがどういうものか大人は教えてくれなかったけれど、もう地上からの支援は受けられないって。それでクルーは全員一致で、補助電源を全部使って冷凍保存カプセルを一つ動かして、一人を生き残らせることにしたの。それがわたし。わたしはここで生まれた唯一の人間で、一番若かったから」
あなたはそう言うと少し微笑んだ。
「わたしを眠らせたあと他の人たちが何をしたのかはわからない。でもきっと、わたしをなるべく遠い未来まで生き残らせるためにできることをしたんだと思う」
あなたは私の前から離れ、別の部屋へと移動していった。私はあなたの姿を追い続けた。あなたは窓のところへ行った。
「地表はどうなったのかしら」
あなたの覗いた窓には大きな青い星が見えていた。
「地表にもまだ人が残っているかもしれない。残っていないかもしれない。どちらにしても、ここにわたしたちがいることは、もう誰にも伝えられない」
あなたはそう言うと窓から目を離して私の方を向いた。
「あなたはわたしが幼いころから、ずっとわたしの話し相手だったのよ」
私は修復されたデータストレージをスキャンした。何人かの大人とともに小さな女の子の姿が記録された画像データを見つけた。私の目、このステーションに設置されたいくつものカメラに映った像。それを記録したデータ。私はそれを読み込んだ。
これは「思い出した」ということだろうか。そうだとしたら、私は他のクルーとともにここにいた女の子を思い出した。
「お父さんとお母さんはここで私を産んだ。わたしは衛星軌道で生まれた最初の人間かもしれない」
あなたはそう言うとまた窓から地表を見下ろした。
「もしかしたら、生きている最後の人間かもしれない。地球を知らない、最初で最後の地球人かも」
◇
タイム11138909557.01317
「ね。あなた運命のいたずらって信じる?」
メインコンピュータの大きなモニタを見ながらあなたは言った。
「運命のいたずら?」
私は意味を汲み取りかねて聞き返した。
「偶然とは思えないほどのことが起きたときに言うの。こんな偶然あり得る? っていうときに」
「偶然は偶然だから、わずかでも可能性のあることが起きるのならすべてあり得ると思う」
私が答えると、あなたは「そうね」と言って笑った。
「3時間後に彗星が来るの。105年ぶりにわたしが目覚めた翌日の、しかもクリスマスに。神様からのプレゼントかな」
私はメインコンピュータのインターフェイスに、彗星の情報を要求した。接近する彗星は直径が1キロメートルほどのもので、軌道計算誤差範囲のどこを通過しても、このステーションはひとたまりもないと予想された。
「衝突予想時刻はタイム11138920267.083855。今からタイム10558.98550605774 後」
「そうね、あとたった2時間55分。日付が変わって午前1時31分ぐらいだわ。むしろ偶然じゃなくて、ここのメインコンピュータが彗星の接近を察知して衝突の前にわたしを起こすことにしたのかもね」
あなたはそう言うと椅子に腰を下ろした。左足を椅子に上げて立膝をするとその上に顎を乗せた。はだしの左足が見えた。
「ね。さっきの歌、かけて。ずっと繰り返し、かけて」
私はあなたの言うとおりにした。
同じデータを繰り返し再生する。何度再生しても同じ音が出ている。それなのに、響いてくる言葉は少しずつ、違って聞こえた。
私が今いる場所がどこかなど知らない
どこだっていいよ
つかんでも逃げてく世界であなたがいる
それだけがリアル
「誰からも見放された場所なんて、存在していないようなものよね。窓から見えている地球とわたしをつなぐものは、何もない。ここにいて話を聞いてくれるあなただけがわたしのすべてなのよ」
あなたは流れる歌に乗せて話し始めた。
ずっと探していた
近くにあったのね
やっとゆっくり腰を下ろせるわ
「この小さなステーションだけが、わたしの知っている世界。わたしが探していたのは、きっと未来だった。未来っていうのはそして、希望と似ているもの」
あなたはどこか遠くを見ながらひとつひとつ言葉を並べた。
燃え尽きるまで私はあなたを愛するでしょう
彗星の尾っぽにつかまって
旅に出かけよう
そしていつか燃え尽きたら一緒に漂いましょう
見晴らしのいい宇宙の片隅で
「彗星の尾っぽに、つかまって旅に出るの」
あなたは繰り返される歌に耳を傾けながら言った。
「あなたと一緒に漂うのよ。宇宙の片隅で」
私は流れている歌に重ねてあなたの声を聴いていた。歌とあなたの言葉は一つに溶け合っていった。繰り返される同じ歌と変わっていくあなたの声。溶け合ってできる色は少しずつ違うものになる。
いつまで二人は一緒にいられるだろう?
いつまでだって
いつか朽ち果てる世界であなただけは
存在してる
「二人。あなたとわたし。もう朽ち果てたかもしれない世界で、あなただけがわたしを待っていてくれたのよ」
あなたが膝に顎を乗せたままで言った。私はあなたの足の指を見ていた。
「わたしが最後の一人だとしたら、わたしが死んだら人間は終わり。一人では子孫は残せないから」
繰り返し響く歌とあなたの足の指が私の時間を止めてしまったようだった。
一緒に生きてゆこう
絡まり温め合って
まるで一つの生き物のように
「ねえ知ってる? 二人の人間が絡まって温め合って一つになると、次の命が生まれるのよ」
あなたが話しても足の指は動かない。
「ここに残ってるのはあなたとわたしだけ。あなたとわたしが一つになったら、人間を終わらせないで済むかしら」
どうしてこんなにたくさんの星の中から
あなたを探し出せたのだろう
とても不思議ね
「ずっと未来を探していて、でもどこまで行っても未来は未来としてあり続けることに気づいた。未来は手に入らない。それに気づいて立ち止まったとき、あなたがそばにいた」
あなたは膝に顎を乗せたまま目だけ私の方へ向けた。
「わたしがあなたを見つけられたのは、あなたがわたしを探してくれたから」
孤独だった惑星の自転を離れて
たどり着いたよ
毎日帰る場所に
「宇宙ステーションは地球から離れられない。地表の人が一人もいなくなっても、地表のすべてのものから忘れ去られても、ずっと回り続ける」
でも、と言ってあなたもあなたの足の指を見た。私の視線とあなたの視線があなたの左足の親指で交わった。
「彗星が解放してくれる。あなたとわたしを、あの星の重力から解放してくれるよ。あなたとわたしは地球の自転を離れて帰る場所に行くの」
深く息を吸って
歌を歌おう
少し眩しいくらい
あなたは歌った。繰り返される歌に合わせて、歌った。
目を閉じて、歌った。
何度も、歌った。
燃え尽きるまで私はあなたを愛するでしょう
彗星の尾っぽにつかまって
旅に出掛けよう
そしていつか燃え尽きたら一緒に漂いましょう
見晴らしのいい宇宙のどこかに
宇宙の片隅で
もうどのぐらいたったろう。あなたがこの歌を歌い始めてから。タイムの値は増え続けている。彗星は近づき続けている。歌は、響き続けている。
「わたしってなにかな」
あなたがぽつりと言った。
あなたは膝の上から足の指を見下ろし、手で触れながら足の指を動かした。
「このからだがわたし? でもわたしは105年間、冷凍保存されてた。わたしのからだはそこにあったけれど、わたしはそこにいたの?」
「私には、あなたの言っていることがよくわからない」
「わたしのからだはこの細胞が集まってできたこれで、あなたのからだはあなたのプログラムが動いているハードウェアでしょう? あなたというのがプログラムの動いた結果のものだとしたら、わたしというのもこのからだではなくてその中で動いているなにかのことじゃない?」
「少しわかった。私はプログラムの実行インスタンス。あなたの中にも実行インスタンスがある?」
「たぶん。そうするとわたしとあなたはとても似たものなの」
あなたは足の指をいじりながら言った。
「だから、絡まり合って一つになれる気がする」
あなたは目を上げて言った。
二人のまほろば
手放したまやかし
花の咲く庭で
リアルな幻
「手で触れられるものがリアルだと思ってた。でも違う。それはまやかし。手放してもいい、まやかしなの。あなたを見ていたらそれに気づいたのよ」
リフレインする歌に乗せてあなたが言った。
もう何度あなたと聴いたかわからないほど、歌は鳴り続けていた。
メインコンピュータが彗星の接近を警告した。ステーションは彗星の質量に引っ張られた。
なにもかもが光に包まれた。
私を構成していたものもあなたを構成していたものも粉々になって混ざり合った。
彗星にはイオンの尾と細かい塵の尾、二本の尾があった。私たちは塵の尾のほうにつかまった。
彗星は私たちを、たったいままで私たちであったものを、粉砕したステーションの残骸と一緒に引っ張って、太陽に向かって進んだ。
見て。地球にも輪があるのね。ほんとだ。長い年月をかけて軌道上に放棄された人工物やスペースデブリがたゆたって、細く薄い輪になっていた。星屑の渦の中を、私たちは太陽に向かって飛んでいた。見晴らしがいいね。どこまでも、ずっと遠くまで見えるもの。
二人のまほろば
わたしたち、みらいになったのかも。
《了》
※引用部分はすべて「彗星の尾っぽにつかまって/広沢タダシ」の歌詞より
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