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「ほしとんで」から考える、子連れ親子キャラの理想と現実

※小難しいタイトルにしましたが、「ほしとんで」は誰でもカジュアルに楽しめる漫画なので未読の方は買って楽しんで、この記事の存在は忘れて貰えたら嬉しいです。

ほしとんで、を買いました。購入時点で3巻まで出ていて、電子で買った私は寝る前にちょっとだけ読もうと思って読み始めました。夜更かしして3冊読み切りました。

下記は微妙にネタバレも含みますので、真っ新な心で楽しみたい方は原作を先に読む事をお勧めします。

※下記から何かわあわあ言うていきますが、「何かわあわあ言うとるな」と思って貰えれば大丈夫です。

※ほしとんでの作者さんは「ガイコツ書店員 本田さん」の人です。

「ほしとんで」に出てくる親子キャラ

(作者さん本人のTweetを引用するのはどうなのかと思ったものの他に引っ張ってこれるものが見つから無かった)

「ほしとんで」は大学の俳句ゼミを舞台に繰り広げられる物語なのですが、主人公の「ゼミ仲間の学生」として「井上みどり」という子連れキャラが出てきます。
「子持ち」ではなく「子連れ」であり、お子さんである「ひばり」さんも基本的にみどりさんと授業を共にしています。

感の良い方は既にお気づきかと思いますが、続けていきましょう。

創作における「子供キャラ、都合よく利用されがち問題」

ここで一旦「ほしとんで」から離れて現代の創作(ドラマ・劇など含む)におけるありがちな問題を考えたいのですが、「子供キャラを創作に欲しい側面だけ取り入れる」、いわば「良いとこ取りで使う」という傾向がそこそこある様に思います。(※エビデンスとかはない)

端的に言えば、子育て経験者が「ありえねー」と思う描写・設定がよくあるという事ですが、あまりにもそれが蔓延しているので、「現実の子育てを甘く見る」という効果まで発揮してしまい、当事者になってから現実に泡を吹くという事も珍しくありません。(※エビデンスとかはない)

これは「子育てめっちゃ大変でワンオペとか無理クソの無理やで」という事実が伝承されてこなかった社会のせいであり、創作や1つの作品に全ての責任を負わせる事は出来ないのですが、周り回ってそれがまた「都合のいい子供キャラ」の登場に繋がり、認識が再生産され「泡を吹いたり」「辛さを理解されなかったり」する、という地獄が続いてしまったりもします。

創作物には力があるので、社会が伝承してこなかった重要な事実を読者にそれとなくお届けする事も出来ます。勿論、伝承してこなかった事をそのまま伝承せず誤った認識を強化させる事も出来ます。「責任」が無くとも、「力」はそこに存在するのです。

では、「子供キャラを都合よく使わないぞ!」と創作者が思ったとして、実際問題それは可能なのでしょうか。

子育ての大変さを入れ込もうとすると邪魔になる

子供、或いは子育て、子持ちが都合よく利用される状況というのは、基本的に「子供や子育てが話の主軸では無い」という事があります。

他に伝えたい、メインとして描きたいものがある時、「リアルな子供の言動や育児の実態」を入れ込むと、得てして邪魔になりがちだと考えます。勿論それは不可能では無いですし、丁度良く落とし込める方は素晴らしいとも思いますが、話がとっ散らかって纏められなくなってしまえばどんな話も面白くなくなってしまいますし、真剣にやり始めるとダークサイドに何処までも落ちていけるテーマなので、軽い雰囲気の作品では加減が難しいです。

「ほしとんで」の話に戻ると、みどりさん自身の想いや描かれ方というのは決して表面的では無いものの、ゼミの進行が子である「ひばりさん」によって妨げられるという事も無く、排泄や食事に触れられる事も無く、さらさら~っと物語は流れていきます。

「子持ちのハンデ」や「心無い風当り」の描写は微妙にあるものの、「子育ては大変なんだ」と思うような描かれ方は特別されていないです。

※みどりさん&ひばりさんだけが掘り下げられていないのではなく、登場人物の全てにおいて「ゴリゴリ掘っていくタイプの作品では無い」という事は補足しておきます。

そもそもみどりさんは主人公でも無いですし、「ほしとんで」という作品自体が「現実の重さ」を何処かに内包しつつもそれをメインに取り扱っている訳では無いので、この「重すぎない読みやすさ」と「時折にじみ出るしょっぱさ」の絶妙な塩梅を維持する為には、子育ての大変さを読者に分かるようにねじ込むのは不可能なのではないかと考えます。

もっと1人1人を掘り下げて、1年の期間を5巻くらい使って辿っていく「人間関係に重きをおいたストーリー」なら可能だと思いますが、主役は「尾崎流星」という18歳の男子大学生であり、本質的には「俳句」をメインに据えた物語であるので、「子供がッ……!ご都合主義すぎるッ……!」と思ったとしても、仕方がない作品ではないかと思うのが、個人的な所です。

※「ご都合主義と合致する乳幼児」が「現実世界にも存在する」という事については、とりあえず横に置いておきます。

"子連れの大学生"が出てくる事の「意味」

物語を重視するにあたってリアリティが出せないという判断をした時、「そのキャラは起用しない」という選択肢も作者は持っています。

つまり「みどりさんというキャラを無い事にする」という選択肢や、「子連れのみどりさん」ではなく「子持ちのみどりさん」にする事も可能だったはずです。

「子持ち」を「子連れ」とした時、例え作者が意図しなかったとしても「子供を預けられない背景がある」という事が、一部の読者に伝わってきます。親戚や近しい人は勿論、保育園などの施設が預かってくれればわざわざ子連れで来てハンデを背負う必要はありません。(「子供に大学の雰囲気を体験させたいんだ!」などの明確なキラキラ理由があるなら別ですが)

また、「子連れ(子持ち)で大学へ行くなんて!」という風潮が社会にある時、子連れの大学生キャラが作品に「主要キャラとして登場する」のはそれ自体がアンチテーゼとなったり、同様の立場にある人の勇気や心の支えになったりもするはずです。

他の国の事は知りませんが、少なくとも日本では(特に女性は)「家庭を優先すべし」という価値観により、学業以前に仕事ですら嫌味を言う人が居るのが実情です。その中で「子持ちかつ子連れであるみどりさんというキャラ」が大学生として登場している姿は、それだけで価値があるのでは無いでしょうか。

明確に物語として描かなくとも、細やかな部分から感じる人だけがその闇を感じ、共感したり想いを馳せたりするという楽しみ方が出来るのが本作なのではないかと考えます。

わあわあ言いましたけれども

何やかんやとそれっぽい事を言ってきましたが、私の想いとしては「ほしとんでは面白いので機会があれば読んで見て欲しい」というだけなので、「ほーん」と思った人が「ほーん」と思いながら購入して読み、この作品にハマる事を願っています。

LINEマンガでも読めるよ!

(おしまい)