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「ぼくはキミが暴力的な引用をしても止めない」

※これはゲーム用のシナリオメモです

キミは暴力的な引用をする。それはぼくの目に入ってくる。朝から嫌な気持ちだ。だけどぼくは、それを指摘しない。

バズってる文章に、記事にコメントを書くように感想を書く人はいるさ。それにヒヤヒヤする事もあるけれど、キミのは明らかに違う。

あれは暴力だ。

見知らぬ人が、見知らぬ誰かと会話している。そこに割って入って、失礼な引用をする。聞いてもいないのに言葉を投げつける。

たまたま目に入った言葉でイラッとして、言葉を吐き捨てたくなる事はそりゃあるだろう。それを吐き捨てる時に、相手に通知が行く引用を〝あえて〟選択する理由は何だ。言葉を投げつけた未来に、キミはどんな理想を思い描いているのか。
きっとそんなこと、キミは何も考えちゃいない。考えずにやってるんだろう。そんな風に思うから余計に気持ちが重たくなる。

ぼくはキミの事をよく知らない。
キミもぼくの事をよく知らない。
良くてゲーム仲間、悪くてただの相互フォロワー、或いは 顔見知り。

見知らぬ人に暴力を振るう人間に、ぼくは関わりたく無い。だから、ぼくはキミが暴力的な引用をしても止めない。

遥か昔、キミのように暴力的な引用をしていた人をぼくは知っている。その人はどんどん過激になって、親しかった人の言葉も「敵」判定し切り捨て、「敵か味方か」を「自分の意見にYESかNOか」で振り分けるようになっていった。「YES」を返してくれる人達に囲まれ、弄ばれ、今も苦しそうに、自分は正しいと思い込んで、SNSで踊っている。

彼は特別だった訳ではない。キミと同じく、〝ふつう〟の人間だった。暴力的な引用をするうちに、キミもいずれそうなるかもしれないけれど、それでもぼくはキミを止めない。

だってぼくたち そんな親しいわけでは無いだろう?

暴力的な引用をする人に時間は割きたくないし、指摘したらぼくにも暴力な言葉を投げつけるかもしれない。

「正しさをぶつけるのも暴力だ」と書かれた文章を、キミはいいねする。まさか自分がぼくにそう思われてるとも知らずに、もしかしたら「アイツらのことを言っていて滑稽だ」とすら思っているかもしれない。

ぼくはキミの事をよく知らない。だから、リスクは負いたく無い。キミが過激になって、見ていられなくなったらミュートかブロックをすると決めている。キミがモンスターになっても、構わない。

誰の言う事も聞かなくなって、暴力の罪に問われて罪人になっても、誰かを間接的に殺すことになっても、ぼくはキミを止めない。

それはぼくにとってデメリットでしかない。

だからぼくは、キミが暴力的な引用をしても止めない。何も言わずに、ただ、キミが暴力的じゃなくなったら良いのにと 諦めるように願ってる。


誰も止めてくれないよ。


【追記:無事にゲームができました。本文章に若干の加筆・ラストに演出を加えています。】