失うのがこわくなった
自己肯定感とはなんだろう。そんなもの必要なのだろうか。自分は認めたくない。泣いても叫んでも変わらなかったのだから。俺は優しくない。俺は自分の為に生きてない。分かってる。
それでよく躓いて転ぶ。己を傷つける材料が増える。
苦い血の味はもう味わいたくない。
自分はADHDと双極性障害をもっていて、薬を飲んで生きている。以前主治医と話し合って、発作の時に飲むようにとした薬など、あったのだが、毎朝飲む薬と朝昼夕に1種類1錠が3つ、合計3錠ずつ飲む薬の飲み方が切り替わっていた。
最近鬱が酷くて精神科も内科にも行けず、ずっと苦しかった。辛かったし悲しかった。
結局、その薬を処方通りに飲むことにした。やめた薬も再開。そうしたら、心が落ち着きすぎて静かで、頭がバグった。日本語おかしい。鬱は変わらないけど、そのくらい落ち着いていた。「えっ、人ってこんなに落ち着いてていいの…?」という程だった。マジか。
これなら行けるかもしれないと、内科の予約を入れた。頑張った。
今日は溜まっていた洗濯して干して、部屋の掃除を少しやった。あとは参加するイベントのお品書きを作ったり。忙しい。
5月の予定はだいたい見通しがたったので、6月のことを考えていた。4月に自分の中に野心や目標がないと気づき、「それは一体……具体的にゃ…どういうものだ……」という状態が続いていた。その中で、やはり「創作と生活のバランス」。が課題。
創作仲間である親友と話していたら、「君、ペンが早く創作ができた時は生活にゆとりや余裕があったよ」と言われてその課題に行き着いた。そうなのか……考えることが山積みである。
でも眠い。
少ししたらまた動こう。
今日もお疲れ様
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