頑張れって言葉が嫌いだった。

今の私は「頑張れ」って言葉が嫌いじゃなくなった。
あんな考え方をしてしまっていたのは自分に余裕がなかったから。

だから頑張れって自分に対しても思えるし、頑張る、頑張りたい、頑張れそうって思う。
言われるのだって嫌じゃない、応援してくれて嬉しいと思う。

ただの応援の言葉なのに。


当時「頑張れ」が嫌いだった時の私は

もう充分頑張ってきた。
言われなくても頑張っている。
これ以上どう頑張れって言うんだ。
まだ足りないってこと?
これ以上は苦しい。
もう今までだって苦しかった

「頑張れ=死ね」

勝手にそう思ってしまっていた。
毎日つらいと思っていた時に頑張れって本当に嫌だった。


今はそう思わなくなったからこそ、私も人に「頑張れ」って言ってしまう。
無理しないでね、とも言うけど、結局は無理しないと生きていけないのかも。
なんて声をかけるのが正解か、
自分も周りも余裕があってこその思いやりを持てる。

無責任な頑張れは言いたくない。言って欲しくもない。
だってもう頑張ってるからね。

応援の頑張れ


課題頑張れー!とか、
受験頑張れ!とか
早起き頑張れー、とか
本人がやらなきゃいけないと、頑張ろうとしている特定のことに対しての応援はいいと思う、私だったら嬉しいけど。

けど、つらいと悩んでる人に対して
頑張ってこい、とか
頑張れ!っていうのは違うんじゃないかな、
私は苦しかった。

私が頑張れって言うなら、
あなたがつらい時は助けるから、いつでも話聞くから、また会うために今はつらいかもだけど頑張って。
くらいの意味を込めて言いたい。
書いてて思った、重い。
だからつまり、つらい人と悩んでいる人に頑張れっていうのは無責任じゃだめ。

つらい人に手を差し伸べるのって
分からないし、難しい。

つらい時、誰も助けてくれない、結局は自分が変わるしかない って思ったけど。

助けてくれないのはそもそも自分がSOSを出してない、何してほしいとかも伝えず、勝手に1人で抱え込んだ。
何がつらいか、どうして欲しいか。
話を聞いて欲しい、聞いてくれるだけでいい。
そういうことなのかも。

大切な人にしか興味が無い
興味のない人間の悩みなんてどうでもいい。
多分人の考え方ってそんなもん。
基本的に自分にも余裕なければ人の悩みなんて聞いていられない。
みんな助けたい、なんて寛大な心と余裕を持つ人間そうそういない。

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書いてて分からなくなった。
頑張れって言ってくれる人は無責任なのか、
それとも私に興味を持ってくれてる人なのか。
私の悩みがウダウダうるさいからぶった斬るためにとりあえず頑張れって言っているだけじゃなかったか。

今は自分の考えのメモにしかならないけど、
いつかこの考え方をまとめて、解決させたい。
人間関係や自分自身に答えはあるのだろうか。

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