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運命の子猫 5

覚えていられる思い出

「久子さん…。この子どうされたんですか。」

 田中さんは少し落ち着いたようで、またゆっくりと私に聞いてきた。

「昨日、拾ったみたい。」

私は棚にしまっておいた日記を取り出し、全て田中さんへ読んで聞かせた。

「うーん。久子さんはこの子猫ちゃんを飼いたいんですか。」

私は再び日記を見返す。
日記にはあったことが書いてあるだけで、飼いたいというようなことは書かれていない。

「そういうわけじゃないわ。ただ、拾ったの。」

田中さんは少し困ったように私の手元の日記を見た後、私の服をクローゼットから取り出しながら

「じゃあ、子猫ちゃんは今日私がとりあえず引き取りますね。」

と答えた。
猫を見ると、また少し開いたドアの隙間からこちらを窺っている。

子猫に気付いた田中さんは少し嬉しそうに笑った。

「本当に小さな子猫ちゃんですね。目は少し青みがかった黒でしょうか。綺麗なグレーの毛並みでとても可愛らしいです。」

 それから田中さんは私の身の回りのことをてきぱきとこなしつつ、猫の世話もしてくれた。
田中さんは私の後に猫もお風呂へ入れてくれた。

猫はとても大人しく気持ちよさそうに湯船に浸かっていたようで、とても驚いたと田中さんは話した。

 今、田中さんは即席で作った猫じゃらしで猫と遊んでいる。

 ふと、猫がハッとしたような様子で猫じゃらしから目をそらした。
その目線の先はテレビの奥で真剣な様子の女性アナウンサーだ。

「ニュースをお伝えします。2ヶ月前行方不明になった小林菜吉(こばやしなよ)さんは未だ見つかっておらず…」

ニュースの内容は行方不明になっている女性についてのようだった。
最近はこの話題ばかりが取り上げられている。

「物騒ですね…。早く見つかると良いのですが。ニュースを見る度に辛いです。」

田中さんはそう言うと、テレビのチャンネルを変えた。

「ニャー、ニャー」

すると、猫が田中さんの足を登ろうとし始めた。

「あらら、まだ遊び足りないんでしょうか。」

田中さんがリモコンを置いて猫じゃらしを探し始めると、猫はちゃぶ台に飛び乗ってリモコンのスイッチを押した。

「あら、チャンネルを変えたかったのかしら。」

私には猫がとてもテレビのニュースが見たいように思えた。
猫はテレビに映る女性の両親に釘付けだ。母親はかなり憔悴した様子で、インタビューを受けながら肩を震わし涙を流している。その傍らで父親はその肩を支えていた。

「そんな訳ないですよー。もしそうだったら天才猫ですね。」

田中さんは笑いながら私に言った。

~・~・~

 私はテレビから目を離すことができなかった。テレビでは母が声を震わせまいとしながら懸命に言葉を一つ一つ話していた。

「私のかけがえのない娘です。とても真面目で心優しい大切な大切なひとり娘です。どうか、どうかお願いします。私達の娘を、見つけて下さい…。」

母の側で真っ直ぐ前を見つめる父からも目が離せない。本当に、本当にどうしてこんなことになってしまったのか。私はどうすることもできない自分が情けなく、しかしテレビを見つめることしかできなかった。

 今朝気が付くと側で眠っていた久子さんという女性は認知症のようで、どのように私と出会ったのか全く分からなかった。

 私はどうやってこの家にたどり着いたのだろうか。
久子さんに拾われることが無ければどうなっていたことか。

 ここには久子さんとは別に、また一人私と過ごしてくれる親切な田中さんという方がいらっしゃった。

田中さんは私のためにトイレを作り、ご飯やお風呂までお世話になった。
どうしようもない悲しみを紛らわす猫じゃらしにも付き合ってもらっている。

「ふふふ。こっちですよー。」

田中さんも楽しそうなので、一石二鳥ということで長い時間付き合ってもらっている。

「あっ。」

 急に田中さんは時計を見るなり立ち上がった。

「子猫ちゃんと遊んでいるといけませんね。お夕飯を作るのが遅くなってしまいます。」

田中さんは猫じゃらしを久子さんに渡すと、台所へ行ってしまった。

「こっちへいらっしゃい。」

 久子さんが呼んでいる。私は久子さんの膝の上に飛び乗った。

「あら、お利口さんね。一緒にお歌を歌いましょ。」

久子さんはとても愉快だ。さっきまでとてもゆったりしていたように見えたが、今は満面の笑顔で歌っている。

私は久子さんの歌に合わせて尻尾を揺らした。だんだん身体の動かし方が分かってきた気がする。

 しばらくの間楽しく歌を歌った後テレビを見ていた久子さんは、疲れてしまったのかテレビを見ながら眠ってしまった。
少し冷えてきたのか、時々僅かに震えている。

私は久子さんの膝から飛び降りて、ひざ掛けを咥えた。

重い。ひざ掛けをかけるだけでこんなに大変だとは思っていなかった。

私はなんとかひざ掛けを咥えたまま、久子さんの足をよじ登る。
久子さんはよっぽど疲れたようで、何度か転げ落ちても起きる様子は無かった。

少し不格好だが、ひざ掛けを無事に久子さんの膝上へかけることができた。
冷えは収まったようで、久子さんは心地よさそうに眠っている。

 田中さんは私を連れて帰ると言っていた。
私はそれを聞いたとき、田中さんが私を飼うつもりなのだと思った。
しかし、落ち着いてじっくり考えると他の可能性が思い浮かんでくる。

 田中さんは私を保健所へ連れて行くつもりなのではないか。

その考えが浮かび上がってきたとき、恐怖から全身の毛が逆立った。

 ここにはもう居られない。
私は死んでしまうわけにはいかないのだ。懸命に私を探してくれている家族が私を待っている。

 しかし私の命を救ってくれた人に何も言わずただ出ていくのは、人間の常識として許されざることのように感じた。

私は何か恩返しがしたいと強く思った。

~・~・~

「あら久子さん、眠ってしまったんですか。」

 いつの間にか、テレビを見ているうちに眠ってしまったようだ。
いつものひざ掛けがかかっているので、暖かくて心地よく眠ってしまったのかもしれない。

「子猫ちゃん?どこですかー?」

田中さんが猫を探している。どうしたのだろう。そんなに田中さんは猫好きだっただろうか。

「久子さん、子猫ちゃんがどこにいるか知りませんか?」

田中さんがいつものはきはきしたよく通る声でゆっくりと聞いてきた。

「猫がどうかしたんですか。」

 私がそう言うと、田中さんはとても驚いた顔をした。みるみるうちにとても辛そうな顔をして、涙をポロポロと零した。

「ごめんなさい。私はなにか、田中さんにしてしまったでしょうか。」

田中さんのこんなに悲しそうな、辛そうな姿は初めて見た。私が取り返しのつかないことをしてしまったのなら、深く謝罪しなければ。

「いいえ、いいえ…。そんなことはありません。さあ、お夕飯が出来ましたから頂きましょう。」

なんだか分からないが、猫について辛いことがあったようだ。なんとか慰めてあげたいが、どうしたら良いか分からない。

 慌てて立とうと手を開いた途端、手に何か小さな紙のような物を握りしめていたようでひらひらと小さな紙が地面へ落ちていった。

「これは…。久子さんが書かれたんですか。」

田中さんが驚いた顔で紙を見つめている。私もそんな田中さんにつられ、紙へ視線を向けた。

(ありがとうございました。運が良ければまた今度。)

 紙にはなんとか読めるような字と、くしゃくしゃな皺がついていた。

ちゃぶ台の下にはボールペンが転がっている。

「いいえ。私は書いていませんよ。泥棒でも入ったんでしょうか。」

 私は気味悪くなり、その紙を拾うとゴミ箱へ捨てた。

その後何もなかったように田中さんは夕飯の片付けをした後、いつも通りに帰っていった。
私は毎日の日記を書いて、眠りについた。

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