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結局どこにも属せてねぇなというお話し①

現在 趣味で ある団体に所属している
怪しい団体ではない
むしろその業界では正統派の団体といえると思う

私のその趣味歴はとても長い
表現の趣味なので
最初やりだしたのが中学生からだから歴だけは長い
紆余曲折あり
結婚や出産を経て
まだやり続けていた
いやむしろ 子育てが終わったら
思う存分ガンガンイベントをいれて毎週のようにやってやるんだ!!なんて
思っていた

ところが

今までの人生のツケがまわってきたかのように
犬猿の仲だった親が倒れ 認知症の人とゴミ屋敷をプレゼントされ
借りてたマンションを出る羽目になり
コロナになり
病的に上を目指す私に長年一緒にやってくれていた相方が離脱し
所属団体はぎくしゃくし

私は怒涛の中で完全に一人になった

これはコロナのせいではなくて
自分の人望のなさだなとつくづく思う
自分では精一杯やっていただけのつもりなのに
気づかないうちに人を傷つけ
必死すぎて痛い人になっていただろうから

そこからの私の迷走っぷりは 周りからみたら滑稽だったと思う
趣味をもう一度やりたい→また人に期待し→裏切られたと悲しみ→人に絶望し→もう誰も信用しない→でも趣味はやりたい→と最初に戻る
負のループだ
これを3年も繰り返した

いじいじして これではだめだと思い 立ち上がり 
眠れないほどがんばり
そしてカウンターパンチをくらい またひきこもった

もうあの趣味やらないの?
と人に聞かれるたびに
親の介護があるからと免罪符にして誤魔化してきたけど
ちがうちがう
介護と呼べることなんて私全然やってないの
プロにお任せしているし 私なんて大したことしてないの
でも そういえば大抵のひとは 
そっかぁ大変だもんね、残念だけど。。と言ってくれる
だからそれで自分気持ちにも蓋をして
できないのは自分のせいじゃない 才能や人望がないせいじゃない

と思いたかっただけだと思う ちっぽけなプライド いらないプライド

当然 その趣味の関係の人たちとは 連絡はとっていない
連絡をとれる人もいないし
とってくれそうな人もいない
私と一緒にやりたいと思う人もいないはず
人生はよくできていると思う
ちやほやされていた時期にいた人たちは全部いなくなった
そして私は誰にも自分の気持ちを話さなくなった

コロナが落ち着き 方々でイベントが始まってきた
歴だけは長いので 何月に何があるか知っている
見覚えのある名前がイベントに連なっている
今まで常連でいた私の名前はもちろんない
だって何も活動できていないから
その名前を見るたびに
コロナを経ても一緒に活動してくれる仲間がいて羨ましいなと思う
それを維持できているということは
人間関係構築不適合者の私には かなり難易度が高いことなのだ

そして
このままでは 人を羨ましいと妬んだまま 
年取って死んでいくんじゃないかと思い 怖くなり
半年前から その正統派団体に足を踏み入れた

その趣味の歴は長くても「のら猫」の私は
正統派に入り とても戸惑った
もちろんやり方も全然違う
自分の個性を如何にだせるかが勝負の世界にいた私は
自分の個性を殺し 周りにどれだけ合わせられるかが基本の
団体に所属したのだ
それでもその趣味に少しでも関わっていたいと思う
一心だった

この趣味がない自分は
なにもない自分で
存在していても意味がなくて
「らいまるさんは何もなくても存在していていいんですよ」
というカウンセリングの先生の話も全然実感できなかった

つづく


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