お別れ会のために
認知症の父親と呼ばれる人のことを書けていない。
でも今書きたいことを書いておこう。
整理するためにも。
趣味でお世話になった恩師が亡くなった。
咽頭癌だった。
東京に住んでいたので知らせを受けた時には
ご時世もあって火葬まで終わっていた。
なので実感がない。
知らせてくれた昔の趣味仲間に知らせてくれてありがとうと
お礼を言い、お墓がわかったらよかったら教えてほしいと伝えた。
いつ行けるかわからないけれど。お線香ぐらいあげたい。
亡くなったんだなとわかってはいる。
でも実感がわかない。
悲しくないわけじゃない。
でも涙がでない。
私の中で一番の憧れの人だった。
目標であり、手が届かない天才であり、才能の全てが羨ましい人だった。
レッスンを最後に受けたのはもう5年ほど前なので
遠く感じるのかもしれない。
また自分がその趣味から今離れているのも手伝っているのかもしれない。
上がってる動画を見て、こんなに才能がある人も死んじゃうのか、と
変な気持ちになった。
程なくして別の趣味仲間から3日後に有志でお別れ会をするらしいと連絡がきた。
有志の方々は知らない方ばかりだったし
行っていいのか、でもお別れしたいなとぐちぐち迷いに迷っていくことにした。
そして、この機会に礼服を新調した。
今まで幸いなことにお葬式などに参列する機会が少なく
お通夜などの時は黒のジャケットやスカートでお茶を濁していたので
ちゃんとした礼服がなかった。
父親と呼ばれる人が近々死ぬかもしれないし(なんの根拠もない)
その時、私が喪主になるのならあまり変な恰好もできないなと常々思っていた。
だけど喪服は準備するものじゃないと言われ続け結局機会を逃してしまった。
なので恩師に便乗して礼服を新調した。
年齢に合わせ、丈が少し長めのワンピースとジャケットのようなシンプルなものを購入した。
かばんや靴、袱紗や数珠は綺麗なまま持っているのでそれを使うことにした。
礼服を購入して、花屋に寄りお別れ会の2時間前までに仏用のお花をお願いした。
当日の会場はライブハウスで密を避けるために
携帯番号の末尾の奇数偶数で分けられていて
有志の方が受付をしてくださった。
白い菊の花を一輪供えて
笑っている先生の写真を見ていた。
有志の方々と先生について話ているうちに
泣きたくなってぐっと堪えた。
お酒もタバコも大好きで
でも飲みすぎて暴れたりするので
私は発表会のあとの打ち上げには殆ど行かなかった。
酒に飲まれている姿は好きじゃなかった。
彼の演奏はとても素晴らしかった。
脚でリズムをとる癖や
ミスったときの笑顔。
呼吸しているかのように演奏する彼に
私はいつも圧倒された。
そして一緒に舞台に立てる時は
吐くほど緊張し
曲の初めから終わりまで
一瞬たりとも気が抜けなかった。
それでもその時間は今でも私の宝物で
もうその時間は返ってこないのだと思って泣いた。
有志の方々
ありがとうございました。
お蔭で先生にお別れができました。
厳しくも優しく私に教えてくれた貴重な時間を
今の私は生かしきれていなくて
ただ生きているだけのポンコツで
ごめんなさい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?