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「好き」は互いを縛るものではない――舞台「やがて君になる encore」

こんにちは。かみなりひめです。
師も走ると噂の12月に突入しましたね。
私も例外なく多忙に次ぐ多忙でございます……。

そんな最中ではありますが、
今回はこの舞台を観てまいりました。

「やがて君になる」encore

(小泉萌香さん……ってなってました)

前回の舞台、ひいては原作の存在については
もともと認知をしていたワタクシ。

それが今回、
舞台を観に行こう!」と一念発起した理由は、
もちろん七海燈子役の小泉萌香さん。

時は遡って、2022年の1月。
小泉萌香さんが三船栞子役で出演されていた
R3BIRTHのファンミーティングでした。

ご存知の方も多いでしょうが、
ラブライブ!」シリーズでは、キャストが
担当キャラクターと同じ髪色になるということが
結構あったりします。

小泉萌香さん演じる三船栞子翡翠色
さて、この髪色になってくるかと思いきや、

エクステ対応となっておりました。

なにゆえにもえぴは染めんのだろう?
と、その理由を探す旅に出発してみた結果、
以下のつぶやきに至ったのです。

燈子のために」。
こう言わしめるだけの「七海燈子」という
キャラクターを、ぜひこの目にしたくなりました。

そんなときに目にした「encore」の文字。
観に行くしかないですよね、ええ。

……そして迎えた今日という日。

お席はまさかの舞台中心にかなり近い席。
可愛い小泉萌香さんが観られるなぁ!
なんて軽い気持ちでいたわけですが。

観劇し終えての私は、そんな軽い気持ちで
観に来てしまったことを激しく後悔しました。

共感し、泣かされ、そして考えさせられ。

今日はそんな、心を揺さぶられた
いち小泉萌香ファンの記録となっております。

※ 以下、舞台「やがて君になる」encoreの
 ネタバレを多分に含みますのでご注意ください※

1. 七海燈子とペルソナ、対象α

実は、この舞台を観に行く以前に、
やがて君になる」の予習をしておきました。

しかし、「予習」のための教材は、
アニメ版でも漫画でもありませんでした。

現代思想』第49巻10号にあります、
松浦優「アセクシュアル/アロマンティックな多重見当識=複数的指向――仲谷鳰『やがて君になる』における「する」と「見る」の破れ目から」
を拝読し、舞台に挑みました。

そのおかげで、
やがて君になる』という作品が描き出す「恋愛」
についての視点を得ることができました。

特に、主人公・小糸侑と同じ生徒会役員の
槙聖司くんの在り方に注目することで、
論題にある「する」と「見る」の差異を、
舞台版からも看取できました。

しかし、舞台を実際に観ていて気付くのは、
やはり七海燈子が抱えるアイデンティティ

七海燈子は、交通事故で憧れの姉を亡くし、
「お姉ちゃんの分まで」という周囲からの期待ゆえ
亡き姉のアイデンティティを背負って
今日まで過ごしてきたという経緯があります。

それゆえに、亡き姉のアイデンティティを
背負っている「七海燈子」として自分を見ない
小糸侑に対して惹かれていきます。

そして、燈子と接していく中で、
そんな燈子の姿を見透かし、変えようとして
彼女の内心に踏み込んでいくのです。

そのひとつの契機となったのが、
亡き燈子の姉の死によって途切れてしまった
文化祭での生徒会による演劇

その劇内劇では、こんな燈子のセリフがあります。

「この三人の他にも、違う私を知る人がもっといるかもしれない。みんなに違う仮面を被って、仮面の下の私のことはもう誰にも分からない。私にも、永遠に! だったら、仮面のどれかが本物だって信じて、どれか一人を選んで生きていくしかないじゃない!」

(舞台「やがて君になる」七海燈子のセリフより)

これは、亡き姉というアイデンティティを装着した
普段の七海燈子自身のことも言い当てています。

亡き姉を目指したがゆえに開催に固執した
生徒会演劇が終わってしまったあとの自己像を
憂う燈子の姿も描かれていました。

しかし、この「仮面の下の自分」、
すなわち亡き姉のアイデンティティを装着しない
本当の自分」というものは、えてして
探してはいけないモノでもあるのでした。

精神分析家のラカンの言を借りれば、
それはまさに「対象α」なのです。

欲望の原因でありながらも、
それ自体が「無」であるようなモノ。
「本当の自分」もその一つです。

「自分」とは「他ではない」ということの
極致として存在しているモノだからです。

幕間からの後半部が始まってからも、
私は正直言って燈子のことが心配でした。

「本当の自分」を探し始め、それが「無」で
あることに気づいてしまったら――。

2. 七海燈子の「好き」と自己有用感

でも、私のその身勝手な心配は、
まったくの杞憂に終わることになります。

この「やがて君になる」というストーリーは、
七海燈子と小糸侑が、お互いが「こうでなくては
大事な人に好かれない」と思い込んだ自己像を
お互いに溶かしてもらう話
だったからです。

姉を亡くしたばかりの燈子
「お姉ちゃんの代わりに」という言葉で
周囲の人々が掛けた呪縛。

亡き姉を自分に幻視しないに、
「キミのままでいて?」という言葉で
燈子が掛けた呪縛。

好き」という感情の意味に気づいた二人が、
互いに互いの呪縛をほどいていくのです。

このような物語の全体像が見えたとき、
感涙を禁じ得なかったワタクシ。
この涙には、もうひとつの理由があります。

そもそも燈子が亡き姉のアイデンティティを
背負うことになったのは、姉と比較した自分が
劣っているという自己有用感の欠如ゆえです。

そこに、姉の死を目の当たりにした周囲の人々の
お姉ちゃんのように」という言葉が拍車をかけ、
燈子は亡き姉を目指すことになります。

お姉ちゃんのようになれば、周囲の人たちから
愛されるはずだと感じたからでしょう。

このような自己有用感の欠如は、
へ愛情をぶつけるシーンからも見て取れます。

燈子は、が許してくれるのをいいことに、
手をつないだりキスをしたりと、
臆面もなく愛情表現をしてきます。

これは、自分を愛せないがゆえに、
自分が愛情としてぶつけた具体的行為を
相手が拒否しないことをもって、
自己存在が否定されていないという安心感を
得ている
ということなのでしょう。

この燈子の姿に、私は自己の姿を投影し、
いたく共感してしまいました。

自慢ではないですが、
私も中学・高校時代は生徒会に所属して、
会長を務めてきました。

学年行事で挨拶に困れば、そつなくこなすと
いう理由で突然私にバトンが託されたことも
幾度となくありました。(結果自慢では?)

でも、私も自己肯定感が大変低く、
他者の目を気にして生きている節があります。

自分の恋人にはきっと苦労を掛けているのだろう
と反省するとともに、こんな私を受容してくれる
恋人の存在を思って、涙が溢れました。

今回の舞台のパンフレットにある、
座談会の中では、以下のようにありました。

河内 普通、物語って主人公目線で作品を見ることが多いけれど、『やが君』はそんなことなくて‥、
小泉 誰にでもなれる。
礒部 そうそう。どれがいいとかどれがダメとか、ないのがいい。

(舞台「やがて君になる encore」パンフレットより)

私は観劇中、小泉萌香さんを観ていましたが、
同時に小泉萌香さん演じる七海燈子でも
あったのだ
、と思ったのでした。

3. おわりに

すべてを観終わった私の頭に流れていたとある曲を
共有して、このnoteの筆を置きましょう。

ああ 私たちは何者でもない
夜明け前のほんのひととき
幸せよ、君はいずこに
それが何か分からなくても
例えばそれがエデンの果実でも

だから眩しい

(スタァライト九九組「再生讃美曲」)

好かれるために創り上げた自己像を互いに溶かし、
変わっていく自己像を互いに認め合い、
愛を深める二人の姿に感動しっぱなしでした。

人生、すなわちパンタ・レイだけど、
「愛情」という変わらぬ想いはずっと
ここにあるでしょう?

とまあ、いろいろに言葉を尽くしましたが、
言いたいことはひとつだけです。

「やが君」はいいぞ。観て。

(矢野妃菜喜ちゃんと同じ空間にいたらしい!)

4. おまけの与太話

生徒会長・七海燈子は憧れの姉がいる。
恋人の名前は「」ちゃん。
修学旅行のお土産として侑に渡したのは

‥‥どこかで聞いたワードばかりですね。

あと、大事なことを言い忘れました。

小泉萌香さん。
その黒髪、わがソウルメイトの
七海燈子のために
ずっと死守してください。最高でした。

(ありがとうございました!)

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