脳と神経細胞を鍛錬しつつ、自分自身で考える

期間限定(続くかもしれないし、続かないかもしれない)でブログ形式で書いてみる。テキトーに進めていく感じですのでご了承をm(_ _)m

ブログには大きく2通りあると思う。1つは日常に起こったことを書き記したもの。もう1つは思想・心情を書き記したもの。考えであるか行動結果であるかの違いとも言えるかもしれない。もちろんその両方を含んだものもある(だからそれも含めれば3通りかもしれない)
今回は後者の思想・心情でいきたいと思う。

インターネットの中では思考停止になりがちだと思う。かつ、その状態に気づきにくい環境でもある。インターネットというととても広く、広大な農園のような、果てしない海のようなものに思えるが、そのどれも無限では無い。有限だ。
特にTwitterでは「対話」ではなく「批判」をしがちだ。もちろんこれは当たりなのかもしれない。日常で1つのことを140字で語れと言われてもまぁ無理だろう。だから僕はそういったことを書くのを辞めた。書いても語弊がある表現にとられることがある(というかとられる)。そもそも対話する気がないのだから当たり前だろう。
語弊のない言い方をしようと思えば「語弊を生む表現かもしれないが」などの前提条件をつけなければいけなくなる。それに僕の場合は、仮にAに賛成する時はAを反対する立場にも立つということを常に肝に銘じている。140字ではどっちかを言って終わりだろう。超絶頑張って三段論法で書けるか書けないかという具合だ。
それにこんな文章では荒唐無稽な文章でもないのでバズらないだろう。

ここで話がまた変わる。文章はバズるために書くのか。これだけ書けば「そうじゃないだろう!」と言える。でも実際に文章を書く目的がバズるためになっている人は多いのではないか。他者を迎合させようとした文章に価値はあるのか。そもそもバズりたいのは孤独である自分を認めたくない、自分の意見は間違っておらずその証明材料として書いているのではないか。
まだこのパターンならマシかもしれない。書くことをする側、強制しようとする側、発信しようとする側だからだ。まずいのは自分の意見は間違っていない事の証明を誰かが発信した材料をもって安心する人だ。この状態に陥ってしまうと思考することを怖がり、自分の意見を他者の意見と合わせて安心するだけの思考停止人間になってしまう。

インターネットの特徴は「速さ」である。しかしその「速さ」こそが考えることを停止させることに繋がっているのかもしれない。僕が子どもの時はこのインターネットの速さこそが世界をより加速させていくのだと思った。もちろんテクノロジー面で見て行けば加速させた点は多い。しかし人間の思考はそれに追いついているのか。テクノロジーが人間を超える、まるでAIが人間の知能を超えるシンギュラリティのようにも聞こえるが、それ以前に我々は思考が間に合っていないのではないか。だだっ広い海の中で溺れていることにも気づかず、脳が死んでいる状態にも気づかず、あいつも溺れている、あいつも同じ考えをしていると言って思考停止になっている。

さてそろそろ結論としようか。ここまでグダグダ話を書いてきたが打開策はネットに出てくる意見に迎合せず(これはTwitterに限らず、出版・テレビなど全てに当てはまる)、自らの頭で考えること以外にはない。人間は楽な方へ、安心する方へ向かう生き物だ。だが同時に抗う生き物でもある。僕はその可能性にかけるしかないと思う。自分自身も気づかずのうちに他者の意見に迎合しているのではないかと疑いの目をかける必要がある。最初のうちは決して簡単に出来るものでは無い。重症であればある程難しい。
35歳を超えてくると自分の経験値に沿った意見を信じやすくなる傾向があるらしく、そこがボーダーになってくると思われる。(年齢は1つの指標だからあまり関係ない、完結に言えばおじさん脳になるなと言えばいいか)

日々、自ら考え、脳を、神経細胞を活発に働かせるしかない。世の中そんな簡単に答えは出ないし、難しいことは難しいのだ。難しいことを簡単に言ってくれる人もいるが、それが本質を本当に掴めていると言えるかは些か微妙である。(もちろん教え上手な人は沢山いる)

といった具合か、そろそろ19歳になる僕の考えでした。

今現在読んでいる本↓
遅いインターネット(NewsPicks Book) https://www.amazon.co.jp/dp/4344035763/ref=cm_sw_r_cp_api_i_eSNuEbG5K0HKN

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