意見と認識の迷宮
SNS:①セミナーで交流➡自分はこの問題はこうに違いないという意見の強化
②弱者反映。
疑問:①色んな人がいる事をSNSで認知できるはずなのにその人と関わっていないのはなぜか?
②他人から批判される事をわかっているのにわざわざ理解が足りない事を言って論破される馬鹿が減らないのはなぜか?➡頭が悪いから?
③働いているのに政党交流や自分の町の行政の状態に無知なのはなぜか?
学問:①歴史➡昔の写真は教科書に載っているものよりもまだまだたくさんある。➡オルタネイティブまで行くか?
②社会➡会社は社長だけが得するシステム。会社法は学校で教えてもらえない。
③理科➡物質が人体に何の影響を及ぼすか。避難訓練はするけどどうすれば事前に防げるのかは教えてもらえない。
つまり、【自分が思っている事】と【自分が望んだ事を言われたい】事がまず第一で、そういう人はいちいち何かを吐き出さないと気が済まない人種なのだろう。
首都圏にいる人間は何故永田町と霞が関という駅近のエリアに行き抗議しないのか、私はわからない。
他人の問題であるはずなのにいちいち【それは違うと思います!】とわざわざ主張するあたり、どこか欠落しているとしか思えない。
子供が一流で大人は二流。素直に捉えられなくなった時点で教育の敗北なのか?
障害者を隔離しておく意味は?
物申す事が一番の優先順位になったせいで、弱者に手を差し伸べ社会問題を通知し実直にこつこつと世の中を改善する普通の人々が知られなくなった結果、デモも抗議もろくに起きない変な社会になったのではないのか。
いい加減に認めたらどうだ?そこら辺を歩いている現役世代は権威主義者だと。もっとも、【そのように教育されたから】、だが。
理解しているのは、
・歴史を知らない➡から➡世の中の流れを理解できないし大事な教訓も学べないし、
・自分や誰かの人生のトラブルが起きた時に哲学的に考えない➡から➡どんどん傲慢になっていきいざ自分が不幸な目にあわない限り反省もしない人間になるし、
・こうすればうまくいくという理論は誰かが既に言っている事で実践をしたかどうか、それでうまくいったかどうかが大事なのにそれを調べようとしない➡から➡ほんの少ししか得をしない変な教材がビジネスで取り扱われているという事だ。
変な事をするより実直に法律を学んだ方がいいだろう。
忘れないでほしいのは、自分の意見に同意しない人間を排除する行為は【差別主義者】であって、【自分は違うと思いますと自分の意見を言う】のは何も変な事ではない、という事だ。
もし人の交流が結果的にファシズムを助長するならばそれは人の接し方レベルから社会の構築をやり直さなければならないし、誰が何の不満を言っているのか調べればいいだろう。
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