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「多様性の科学」感想

多様性の科学 画一的で凋落する組織、複数の視点で問題を解決する組織

タカヤオオタさんが結構前にイベントで話題にあげていたので会社のお金で買って読みました。面白かったので感想を書きます。書籍購入費、ありがたい福利厚生です。

人種や指向のことではない  「認知的」多様性

ここのところ属性や指向・性別・人種などを「多様性」の1カテゴリと捉えてそこばかりを尊重するポーズをとるような風潮には疑問があったが、この本で言及される多様性は全く違うものだった。それは「認知的な多様性」であり、フォーカスされるのは思考の方だ。
もちろん育ってきた環境などはその人の思考を培ってきた重要なものだから所属なり人種も間接的には関与しているといえる。が、要素や要因であってそれ自体は本質ではない。

多様性の尊重とは

この「認知的多様性」は、人口統計的な観点で個人を何かにカテゴライズしていってその絶対数が少ないものを順に認めていこう、という考え方よりもよほど個人を尊重している。

前者のやり方は尊重するようで表層をなぞるだけの作業だと思う。あと本来マイノリティと言われる何らかは、存在に気がついて初めて上から目線で「認める」という姿勢で取り沙汰するものではなくて、見えなくてもどこかに存在する時点でただ「ある」ものだ。最近多様性の文脈で語られることの増えた性的指向などは特に、揺らぎや変化もあって明確に分けられないものが多いと思う。

カテゴライズは尊重ではない

ではなぜ明示的に分類するような事象が起きるのか。それは時代のせいで、今が過渡期だからかもしれない。多くの人は、自分が「知らない=無い」と感じていたものの存在に気がついてそれを分類・ラベリングすることで初めて「ある」と捉えるのではないか。

そして多くの人々が「ある」ことに慣れて初めて名前は溶けて、特別なものではなくなる。そう考えると、過程として広く存在を認知させるには名前ないし分類は必要なのかもしれない、と思える。その先に展開があるはずだから、未来に期待も持てる(でもやっぱり個人的には、理解が及ばぬだけの存在をマジョリティの持つ認識の範疇に引き摺り上げて無理やり定義しているように感じる場面もあって、そういう時はなんか強引で嫌だなーとは思ってしまう)。

まあこれが見当違いでも、名前をつけてカテゴライズした後どうしていくかの方が重要なのは言わずもがなで、分類すること自体が尊重になると履き違えてはいけない。

集合知の強さ

本書の中で「認知的多様性」が欠如した例として挙げられていたのは、9.11テロ時のCIAの体制や世界の高い山(どれか忘れた)の登山で起きた遭難の原因に関する考察など。どれも壮大な話で、小説を読んでいるようだった。

9.11テロの話題で描かれていたのは、画一的な組織には盲点が生まれるということ。当時CIAは「白人エリート集団」で、みんな同じような育ちで同じような思想、視野しか持っていなかったためにテロの計画に気がつくことができなかった。
これは示唆に富んだ話で、どんなに優秀な人を大勢集めても全員似通った背景を持っているのでは視野が広がることがないということが分かる。

周囲に同調することの危険性

別の章にあった事例で、議論に関する実験があった。
同じような考え方を持っているメンバー同士での議論は共感と肯定を得られるので気持ちが良い。導き出された一つの結論は同じような意見が繰り返し出されることでより強固なものになるし、振り返りではみんな元気いっぱいに「良い議論ができた」と言う。
対して、多様性を持った(異なった考え方を持つメンバーで集められた)チームの方は、話し合いは意見がぶつかり難航する。しかし最終的に答えに近づくことができたのは後者の方だった。

優秀な人に同調するという経験は多くの人にあると思う。私もある。自信がない分野においては特に。優れた人が言うのだからそうなんだろう、と思考放棄して責任を手放すのは楽だ。「些細な意見はむしろノイズになるかも」とか「このくらいみんな知ってるよね」とか、気遣いや謙遜のつもりで意見をそっとしまうこともあると思う。
しかし集合知の観点で改めて考えてみると、この波風立てまいとする考え方は何にもならないどころか組織にとって逆にマイナスになるということに気がつけるだろう。

組織の視野は個人が広げられる

心理的安全性が担保されたチームでも、時に前述のような個人の遠慮から「言えるけどあえて言わない」ムーブが生まれてしまう可能性は0ではない。

しかし、どんなに優秀な人だって時に盲点の一つや二つはあるだろう。第三者の意見はそれを埋められる可能性がある。たとえ埋められなくても、他の人の新たな発想を生み出す手がかりの1ピースくらいにはなれるかもしれない。
多様性がつくる集合知においては、自分が天才や秀才と別の人間だと思っているのなら思っているほどにその可能性は高い。

この気づきは、私みたいな特に優秀じゃない人が臆せず発言しよう思える根拠というか、お守りになると思う。

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