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人が成長するときは、ひとりじゃない

2歳次男は顔がぬれるのが苦手。

お風呂でお湯をばしゃばしゃと遊んでいても、調子に乗って激しくやりすぎて自分の顔にお湯がかかって半泣き。
頭を洗うのも好きではなく、お湯で流すと「おめめがみえない〜」と毎回泣きそうになり(そのわりにシャンプーハットもいやがってつけない)、お風呂にはいるときは次男の顔ふき用のタオルが必須である。

そんな次男、最近長男の真似をしてお風呂に口をつけてブクブク遊ぶようになり、「こうやるんだよ、みて。はい、ママもやってみて」と、丁寧にわたしに指導してくれるようになった。

ブクブクがずいぶん上手になったので、横でもぐって遊んでいる長男を指さして「みて、長男いなくなっちゃった!次男もやってみる?」と聞いてみたら、ちょっと真剣な表情になってから「ぼくもする!」

でもいざやってみようとすると「こわ〜い」と顔を曇らせていた。そりゃそうだ、シャワーのお湯がかかるだけでもあんなにいやがってるんだから。

「ママと手をつないでやってみる?」
そうきいたら、パッと明るい顔になって「する!」という。

こちらまでドキドキしながら両手をつないで「せーの!」としたら、なんと顔をつけることに成功。

本人もちょっとびっくりしていたけど、タオルで顔をふくこともなく「もったい!(もう1回)」と、再び挑戦。
今度はさっきよりもがっつりお湯の中に顔が入っていた。

そこからは「よゆうっす!」的な雰囲気をだして何度も顔をつけることができた。

そして、その横では長男が「ぼくのほうがたくさん顔つけてるよ!」と、何度ももぐって、もぐる時間の長さの記録を更新していた。


子どもたちを見ていると、人が成長するときというのはひとりじゃないんだなと思う。

誰かのなにかをみて、やってみたいと思ったり、もっとやってみようと思ったりする。

そこにあるのは、「できないことをできるようになる努力」ではなくて、「おもしろそうで楽しくてやってたらできていた」という成長の体験。

赤ちゃんが寝返りできるようになるのだって、この時期までに寝返りを達成しようなんて考えてるわけもなく、あれなんか景色かわるぞ?とゴロゴロ動いてるうちに、くるっと回ってびっくりして、それを見てた親もびっくりして、でも体勢をもどされてを何度も繰り返して遊んでいるうちに、自分で寝返りしようと思ってできるようになる。

成長というのは目的ではなく結果で、そのきっかけをくれるのは自分以外のだれかだったりする。

息子たちがお互いにそういうきっかけをつくりあっているのをみると、なんだかいいなぁと思う。



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