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小4長男との朝カフェ学習タイムを通して見えること

今週は小4長男が通うフリースクールが夏休み。

ピクミン4をやりたいという長男と相談して、夏休みの学習として学校に行かなくなったことでやってない過去のドリルが終わったらというルールを決めた。

家だと集中できないし、フリースクールが休みになると長男はほぼ家から出なくなるので去年と同じく朝一緒にカフェに行って勉強することにした。

基本的には本人がひとりで進めるのを隣に座って仕事したりしながら見守り、長男の手がとまったり困っているときにフォローする、というのがわたしの役目である。

1年半ほどの学校に行かない期をへて、去年の秋ごろからフリースクールに通い出した長男は問題を解いていくという筋肉みたいなものがずいぶんついていて、へんに励ましたり盛り上げたりしなくても、すいすいと問題集に取り組めるようになってなんだかお兄さんになって…なんてこころの中で思う。

問題を解く筋肉というのは、正しい答えが分かるということではなくて、問題に向き合って考える力だ。

ちょっと分からないなと思っても過度に落ち込んだりあきらめず考えてみる。

まちがえてしまったとしても、過度に自信をなくすのではなくもう一度考えてみたり説明を聞いてなるほど!と理解することの楽しさのほうに感情が動く。

だから、長男はまさに「黙々と」という表現がぴったりなくらい集中して問題を解いていく。


フリースクールでは椅子に座ってひとりで問題を解く時間よりも、みんなで活動したり、運動をしている時間のほうが長い。

それでも、学ぶことのおもしろさや何かに興味をもって調べたり考えるという体験をたくさん積んでいることが、問題を解くということの意味にも変化をもたらしているんじゃないだろうか。

そんなことを思う。


問題に向き合う顔は真剣でなんだかいつもより大人っぽくて、終わってふざけてクスクス微笑っている顔はまだまだあどけなく、大人への階段のはざまにきっと彼はいる。

だからこそ、一緒に隣に座って過ごせる時間が楽しくて幸せで、なんだかちょっとさみしい気持ちになるのだろうな。

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