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「母」でいるとき。いないとき。

昨日の朝はちょっと気になるなくらいだった左耳の違和感が、今朝起きてみたらひどくなっている。

これはだめなやつっぽい。

朝から予定変更して耳鼻科へ行くことにした。大人になって耳鼻科に行ったことはたぶんない。ネットでいろいろ調べてみたけれど、口コミをみてみても迷うばかり。

いつもめちゃくちゃ混んでるけど、息子が中耳炎になったときに丁寧にみてくれて、息子がセロテープのかたまりを鼻の穴につっこんで取れなくなった時に助けてくれたおじいちゃん先生がいる耳鼻科へ行こう、と決めた。時間がかかるのは仕方ない。

通勤で駅に向かう人たちの流れに逆流しながらのんびり歩いて病院へ向かう。自転車に子どもを乗せて保育園に向かうであろう人を数えていたら、お母さんよりもお父さんの方が多かった。すれ違いながら、お父さんスムーズにバイバイして会社に行けますようにと勝手に応援する。

受付開始の少し前に着いて並んだけれど、診察は2時間後くらいになりそうだということで、近くの喫茶店的なお店に移動して本を読むけど、耳も気になるし順番も気になるしでなかなか集中できない。

順番が近くなって病院に戻るとすぐに名と呼ばれて診察室へ。
耳の中の写真を見せてもらいどうも左耳が内出血しているらしいという説明を受けながら、聴力検査をしながら、わたしは先生がずっとわたしのことを「お母さん」と呼ぶことが気になって仕方ない。

たしかにわたしは息子のお母さんなのだけど、今日は一人で自分の診察にきている。

最初はみたむらさんと呼ばれてるのかな?と思ったけど、何回聞いてみてもお母さん、のようだ。

もしここに息子がいたら、「もうちょっとだから」「小さい声でお話できる?」「靴でのらないで」「わかったから靴ぬいで」「いいよ、靴下もぬぎたいならぬいだらいいよ」「だからもうちょっとしずかにできる?」「あぁすいません…」と、息子の一挙手一投足に気を張って周りに謝ったりというように過ごしているだろう。

だけど今日はひとり。

スマホは機内モードだから手持ち無沙汰でぼーっと過ごしている。「みたむらさん」と呼ばれても自分のことだと気付くまでほんのちょっと時間がかかる。先生の説明を聞きながら頭の中ではこんなことばっかり考えている。

母でいるときとくらべると、ふだんのわたしはだいぶん気が抜けているのだ。

そんなぼんやりモードのわたしに先生は「お母さん」を連呼する。

そうだわたしはお母さんだよなぁとぼんやり考えながら、お母さんでいる時間が長いとつかれちゃうのは気を張ってるからなんだよなぁと思い当たる。お母さんになって4年もたつのに、わたしはいまだに家の外でお母さんでいるときにうまくリラックスするのがむずかしい。ちゃんとしなきゃ、という見えないプレッシャーとひとりで勝手に戦っている。

息子が生まれて、わたしは物理的にずっとお母さんではあるのだけど、今ここにいるわたしのお母さんじゃない、と思っていたけどそうか外からみたらお母さんだよなぁとぐるぐる頭を巡らせる。

ぼんやりした頭でそんなことを考えているうち検査結果も出て、とりあえず聴力は問題なく、自然治癒を待って様子を見ることになってホッとする。

検査結果の説明が終わって帰り際、先生から「まさかやらないとは思うけどお風呂で潜ったりしないでね」というアドバイスをもらった。

最近息子と一緒にお風呂に入ると「はい、ママも潜って!せーの!」と言われて潜ったりしてるわけで。そのまさかだ。先生に言われなかったら今夜も息子と一緒にお風呂にもぐって耳を悪化させていたかもしれない。

もし先生がわたしをお母さんと認識してなかったら、そんな言葉も出て来なかったわけで。まぁそう考えてみるとそれはそれでよかったのかもしれないなぁと、会計を終えて家に向かって歩きながら思った。

お母さんは、オンオフで切り替えるようなものじゃなくてもっとグラデーションの中にあるのだろうなぁ。

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