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誰に向かって文章を書いているのか、という話。

ちょっと前のこと。

ぽかぽかとしたいい天気だし、今日はこのままお散歩でもしたいなぁなんて思いながら、お気に入りのカフェで仕事をしようと歩いていたら、目の前をNHKの中継車が通りすぎた。

あれ?なんか昔に見たことある気がするけどなんだっけ。
考えながら歩く。

あれだ。

「クルマの窓からのタバコのポイ捨て、おこってるんだぞ」

小学校低学年の頃だと思う。NHKの中継がくることになって、国語の時間になにかたぶん子どもの主張的なものを書かされた。

それで私はさっきの文章を書き、選ばれてあの中継車の前でしゃべったんだ。

でもなんで私そんなこと書いたんだっけ。
考えてみるけどさっぱりわからない。
でもひとつ言えることは、私はそれに本当に憤ったりしていたわけではなかったということ。

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小さい頃から本を読むのが大好きだった私は、感想文や作文で賞をもらうことが多くて、自分は文章を書くのは得意なんだと思ってた。

でも社会人になって、山田ズーニーさんの文章表現ワークショップに参加して、自分が実は本当に思っていることを全然書けていない!ということに気付かされた。(それはそれなりにショックな出来事だった)

「あなたが言いたいことは本当にそれなの?」「あなたの根本思想は?」ズーニーさんのワークショップでは常にそれが問われる。

文章を書くという行為の手前にある、自分の伝えたいことを掴むというプロセスは簡単ではなくて。自分の気持ちや思想を、いかに自分が捉えられないままにコミュニケーションしてきたかに気付かされた。

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そういえば、学校の国語の授業で、あなたはほんとにそう思ってる?これがあなたなの?と聞かれたことは一度もない。

私にとって学校で書く文章は、周りや評価を意識したもので、自分が本当に思ってることなんて全然書けてなかったけれど、それが評価されることで、どんどん文章の中のわたしと、実際のわたしは離れていく。

だからかな。
小さい頃から日記を書いたり、記録したり、人にみられることのないノートに自分の気持ちを書くことは私の中で大切な習慣になった

文章を書くことって無意識にしてるけど、機能的な文章ばかり書いていると、ほんとのわたしも見えなくなったり、周りから見られる自分とのギャップが大きくなって苦しくなってしまうのかもしれない。

もっと素直に文章を書けたらいいなぁ。

そんな風に思っていたらカフェに着いた、というある日の話。

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