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当事者であること、ないこと

当事者だからみえるものもあるし、当事者でないから見えるものもある。

どちらも大切で、そしてどちらの立場の人もいることが大切なのだと思う。


わたしはいまエンジニアとデザイナーの職種の人たちが集まる部門の専任HR担当をしている。

組織の中の数少ない非エンジニアであり、非デザイナーである。

ここ何年かはインターネット事業に関わり、エンジニアとも一緒に仕事をしていたし、エンジニアを理解するために何冊かの本を読んだりはしているけど、エンジニアリングについてエンジニアと同じレベルの知識はない。

だから異動して9ヶ月たつけれど、エンジニア同士が開発の具体的な話をしていると、まったくわからない単語があるだけでなく、何の話をしてるかわからない、という状態になることも多々ある。

そういう意味で、できることとできないことはある。

だけどというか、だからというか、別の視点を提供することがしやすくあったり、エンジニアではないキャリアだったからこそもっている知識やネットワークを活かしやすくなる。


子育てメディアの編集者をしていたときは、その逆で、自分自身が子育ての当事者であった。

当事者であることで、読者に対しての解像度を高くもてたり、企画にしてもリアルに考えやすくなる。

だけど当事者であるからこそ客観的にみえにくくなってしまう部分や、子育ての当事者といっても状況はさまざまだから、N=1=わたしで、子育てを語ることはできるわけもなく、自分のケースとそうでないケース、相対的なケースを切り分けて考える必要もあった。

子育て当事者ではないスタッフだからこそ思いつく切り口もあったし、当事者ではないスタッフから問われることで気付きが深まることも多かった。


で、何が言いたいかと言うと最初に書いたことで、当事者も当事者でない人がどちらもいることで、お互いの視点を広げたり深めたりすることができるということ。


当事者だからと卑下したり、当事者のことをわかってないと線をひいたりするようなことが起きがちなのだけど、同じテーマに向き合う中ではそれぞれの目線があることがとても大切なのだと、仕事の中でどちらもの経験をしてみて最近感じている。


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