「死にたい」と思うこと(希死念慮)はいけないことではない
2020年7月18日、ある俳優さんが自宅で亡くなっているのが見つかった。
まだはっきりしたことは分かってないが、おそらく自殺であろうと報道されている。遺書らしきものもあったそうだ。
自殺が真実かどうかは置いておいて、このニュース速報を聞いた私は「彼はとてもつらかったんだろうな」と思った。
そして同時に「やはり、『死にたい』は誰にでも起こる自然な感情なんだ」と思った。
「死にたい」と漏らす人に対して、なぜ周りは「だめだよ」としか言えないのか
「自分から死のうとするなんてだめだよ」、「世界には生きたくても生きられない人だっているんだから」。果たして本人はその助言を聞いているであろうか。
少なくとも、自分が仕事で悩んでいる時も母親に同じようなことを言われたが、ちっとも響かなかった。むしろ鬱陶しく思った。
程度はそれぞれだが、人間つらいことがある時ふと「死にたい」と漏らす。だが、周りはそれに対して本人が少しでも耳を傾けてくれるようなアドバイスができるだろうか。「自殺はだめだ」とは言えても、その先は言葉に詰まるのではないだろうか。
重要なのは、「自殺を思いとどまらせる」ことではなく「生きていてもいいんだ」と思ってもらうこと
最初に述べた俳優さんの死について、私はまずTwitter上でこう呟いた。
今は「なんで自殺に至ったの?」とか「いい俳優さんだったのに」とか言う状況じゃないと思う
つらかったんだね、誰にも相談できなかったんだね、あなたのその選択肢は他人が是非を問うものではないけれど一つ言わせてください
わざわざあなた自身が壊れてしまうまで頑張る必要はないんです
残念ながら、「死にたい」が自殺という行動になってしまった人は、周りが自分をすり減らした結果、最後は自分で自分を壊してしまったのである。
ではなぜすり減らしたのか。何かと窮屈な学校、職場での期待など人によって様々だが、「その時点で何かアクションを起こせなかったのか」と私は考える。それでも「死にたい」と呟く人に「あなたは生きていてもいいんだよ」と伝えることができるだろうか。
他人の人生に直接関わるよりも、なにかアドバイスくらいはできないだろうか。
「死にたい」に込められた思いを汲む
誰かの「死にたい」をすぐ否定してはいけないのは、そこにはやはり何かしらの思いが込められているからである。
人によって様々だが、私は「死にたい」と思う人は「他人に存在を認めてほしい人」なのだと思う。少し期待を込めすぎたような言い方だが、簡単に言うとこういうことなのであるのだろう。それが、「あなたは生きていてもいい存在なんだよ」ということなのである。
ここで、「死にたい」の一言に対する周囲の助言の例を挙げてみたいと思う。
例1
「もう嫌だ…死にたい…」
「死にたい、なんて簡単に言ってはいけないよ。世界には生きたいと思っても生きられない人だっているんだから。」
これはしてはいけないアドバイスNo.1である。むしろ本人を責めることしかできていないのでアドバイスですらないだろう。
死にたいと思うのはいけないこと、それは本人も分かっている。しかしここで率直に思った「死にたい」という感情をまず最初に否定することは決してあってはいけない。「死にたい」と思った本人の存在すら否定してしまっているからである。
例2
「もう嫌だ…死にたい…」
「そうか、死にたいくらいつらかったんだね。それでもよく頑張ったね」
親身に相談に乗れるか不安な人は、まずはこの対応がいいと思われる。
きっと本気で「死にたい」と感じる人は、本来は真面目で誇りを持っている人なので、うまくいかないとかなり希死念慮が強まる。
そんな人には、まずねぎらいの言葉をかけるのがいい。過度に褒めると「自分なんてそんな褒められる価値はない…」と悪循環に陥る人もいるので注意。
例3
「もう嫌だ…死にたい…」
「死にたいくらいつらいの?まずはゆっくり休んで、落ち着いたら話せる範囲で相談してね。話したくなかったら、まずはその原因から離れて、ゆっくり休んでね。」
大切な親友や家族が心配で、今すぐ話を聞いてあげないといけないような状況では、まず本人に休息を取らせる。本人が罪悪感を抱いても、休ませる。
本人が収入の心配をしても、医師の診断があれば傷病手当金だって出るし、失業手当だってある。お金の心配に対しては救済措置があること、自殺は起きてからでは救済措置がないことを伝えよう。
「死にたい」はどこから来るのか
学校や職場が原因で希死念慮が強まることは先程述べたが、もっと根本的にいうと、どこから来るのだろうか。
私自身が最初に「死にたい」と思ったのは、職場での上司の注意だった。
「前も教えたよな?メモしろってもう3回も言ったよな?」
「教えてくれる人にも(何回も同じことを言わせることが)失礼だって分かってる?」ときつめに言われ、最後は、
「なんでこんなこともできないの?」と言われた。
ああ、自分はなんてだめなんだ、簡単なメモすらできないなんて。
就職した同級生は簡単にこなしているんだろうな。
誰でもできることができない自分って…。
こんな自分生きる価値ないや、死にたい。
上司は、同じような業界での経験が長く、今の会社に来たばかりでもかなりの仕事を任されていたが、問題なくこなしていた。
きっと自分は、そんなスーパー新人上司と同じハードルで仕事をこなさなくては、と考えていたのだろう。知識も経験も全く敵わないのに。
強く固定化された『すべき脳』に完全に縛られていたのだ。
それは、自分が精神科を初めて受診して分かったこと。だからこそ、体調や精神に少しでも異常が見られたら、無理せず休んで病院を受診することが大切である。
「死にたい」と感じる人へ
「死にたい」「自分は生きる価値がない」と思ったあなた。
自ら死を選んだらきっと楽になると思います。でも、自殺に失敗したら?成功しても、家族が悲しんだら?
あなたが少しでも「自分が死んだら、”あの人"は悲しむかな」と考えたとすれば、あなたが自殺したとき、真っ先に悲しむのは"あの人"なのです。それでも死にたいと思いますか?
死にたい?じゃあ、どうせ死ぬなら、まず一日休んでみましょう。会社や学校に連絡して、やりたいことを思いっきりやってみましょう。読みかけの本を読む、ゲームセンターで何円使ったか分からないくらい遊んでみる、なんでもいいです。
楽しかった?楽しくなかったら、次は精神科か心療内科に行ってみましょう。「死にたい気持ちが強くて、楽しいと思っていたはずのことが楽しくない」と相談してみましょう。医師はきっと具体的な改善策を教えてくれるはずです。悩みを親身に聞いてくれるカウンセラーもいるでしょう。
そうやって、『死をちょっと先延ばしにしてみる』だけでも、"あの人"は嬉しいかもしれません。"あの人"という存在がなくても、あなたの死ぬまでの人生を何かがちょっぴり楽しくさせてくれているのかもしれません。
『どうせ死を先延ばしにするなら、それまでは楽しく生きてみたい』、そんな適当でもいいんじゃないでしょうか。お金もどうにかなるし。何か少しでも「やりたい」と思ったことがあればやってみましょう。三日坊主かと思いきや、死ぬまで続けてしまうくらいハマっちゃうかもしれないですね。それならそれでいいんじゃないでしょうか。そう、どうせ死ぬならね。
ちょっと長くなってしまいましたが、読んでくれてありがとうございました。私も皆さんも、死ぬまでゆる〜く自分のペースで生きていけることを願っています。
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