『北野天満宮』の魅力
北野天満宮は学問の神様とされている菅原道真で有名。受験の時期に人気な場所ですが、私は妖怪に関する聖地として、月に1回は必ず参拝するほど好きな場所なんです。
北野天満宮の宝物殿には、源頼光の部下で四天王の渡辺綱が、鬼の茨木童子を切ったとされている日本刀の鬼切丸が奉納されています。また、北野天満宮の本殿の近くには、渡辺綱が立てたとされる灯籠があります。
酒呑童子や茨木童子の退治に関わる内容が記されています。この灯籠を見るだけで鬼の存在をはっきりと感じることができ、私はもう…興奮がおさまりません。当たり前のように本殿に存在するので注視する人も少なく、灯籠を見ている人がいただけで私は声をかけようか悩むほど。笑
また、北野天満宮は梅でも有名な場所です。菅原道真が梅を愛したことにより、天満宮内には梅の木が多く植えられています。梅の販売や庭園に入って花見をすることも可能で、梅の咲く時期には是非足を運んでみてください。
菅原道真は学問の神様としての認知が一般的ですが、神霊としてのスタートは恨みを残して非業の死を遂げた人間の怨霊です。その怨霊の強烈なパワーが平安時代の政治家で優秀な学者・文人だったという道真の生前の業績と結び付けられて、人々から神として崇拝されるようになりました。
道真は幼少から文才に優れていて、異例の出世をします。ところが当時の権力者・藤原氏の反発をかい、延喜元年(901年)に藤原時平のでっち上げの告げ口によって失脚し、北九州の太宰府へ左遷されます。道真は太宰府に来て2年後の延喜3年に無念の思いを残しつつ、他界。延喜5年に門弟によってその墓所に建てられたのが、太宰府天満宮です。
太宰府で死んだ頃から、都では天地変異が続くようになり、雷が宮殿に落ちたり、道真をざん言した張本人の藤原時平が病死したりします。人々は菅原道真の怨霊の祟りとして恐れ、とくに延喜8年(930年)に宮廷に落雷があり、死傷者が多数出たことから、道真の怨霊は元々京都の北野の地に祀られていた地主神の火雷天神と合体したものと考えられました。そこで怨霊の怒りを鎮めるために、天暦元年(947年)にこの地に北野天満宮が創祀されました。
北野天満宮では、期間限定で雷除の御守りも販売しています。怨霊としての菅原道真を知ってから、私は学問の神様の祀られる場所としてではなく、妖の存在する場所として好きになりました。
北野天満宮 公式HP
〒602-8386 京都市上京区馬喰町 北野天満宮社務所
TEL:075-461-0005 FAX:075-461-6556
【参拝時間及び受付時間は、新型コロナウイルス
感染拡大予防のため随時変更しています。
●参拝時間 4月~9月 5時~18時
10月~3月 5時30分~17時30分
*毎月25日のライトアップは日没~21時まで
*秋のライトアップは日没~20時まで
●受付時間 お守り 9時~17時(本殿前「授与所」)
ご祈祷 9時~16時30分(本殿前「授与所」にて受付)
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