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読書感想:決闘のヨーロッパ史

 今年の頭に図書館で借りた「決闘のヨーロッパ史」ですが、サバティーニの「スカラムーシュ」や、それに先立って「剣の輪舞」「剣の名誉」と、決闘者をテーマにした作品に触れる機会が多く、「映画D&Dの続編では決闘をテーマにできないか」とも考えたりしたので、復習を兼ねてもう一度図書館で借りて再読しました。

「決闘」として個人間の紛争が様式化されるまでの歴史の水流を見てみると、その川上や川下、そして支流の数々が大変面白いです。
 平たく言うと、ヨーロッパにおける「決闘」とは、古代から現代までつながるスポーツ文化史と密接につながっていることがわかります。
 決闘とスポーツに共通する「公正なルール」は古代ギリシャにおける奉納競技大会としての側面があったオリンピックに起源が求められますし、古代ローマのコロッセオでの剣闘士たちの試合や現代でのスポーツイベントまで繋がる「大衆社会への娯楽の提供」としての役割を決闘も果たしていた、という面もあったようです。
 なにより、紛争ではなく「技芸と精神を同じ条件で競い磨き合う」ことそれ自体を目的化する「競技」としての決闘もあります。
 本書冒頭で共著者のひとり菅野瑞治也氏がドイツ留学時に体験した「メンズーア」(学生決闘)がそれです。
 学生会同士の代表者による「メンズーア」で用いられるシュレーガーという剣は正真正銘の真剣で、セコンドやドクターもいるにはいますし、当人にも喉や体には致命傷にならないようにプロテクターが装備されるなど安全対策もされています。

 ですが、目を保護するゴーグル以外には頭部を守る防具はなし。さらにはフットワークなどを駆使して相手の剣を避けることは「ムッケン」(臆病で卑怯な行い)として、即座に失格が審判から宣告される。なので、相手の剣を逃げることも避けることもせず、剣で受けては自分の攻撃順番で剣を振り下ろす、そしてまた相手の剣を受ける、という攻防を繰り返す。
 これがメンズーアの大まかなルールです。
 剣術というより真剣を用いた度胸試しみたいですな。

 この段階でもう正気の沙汰とは思えないんですが、さらに正気とは思えないのが、当日の半年前から菅野氏はメンズーアに向けてトレーニングを積んでいたということから、この「決闘」は予定通りの行事だったことがわかります。

 さらにいうと、この学生会同士も別に名誉棄損などで紛争を起こしてるわけでなく、そもそもメンズーアそれ自体には勝敗は存在しないということと、ドイツ連邦裁判所の判例によって合法であると見なされてるそうです。ますますもっと正気の沙汰とは思えません。

 ちなみに菅野氏は、「ムッケン」することもなく、脳天に剣を受けた挙句に伝統に則り麻酔なしで傷を縫われながら「お前はムッケンしなかった! よく戦った!」と学生会仲間から賞賛されていたそうです。

 マジでヤバい光景だ。

 また、本書では明確には語られていませんが、決闘に持ちられた武器が、中世の騎士たちの馬上槍や長剣から、上記のメンズーア用のシュレーガー、あるいはデーゲンなどのRPGなら「レイピア」と呼ばれるタイプの剣へ変遷していくわけですが、おそらくこの過程で現代のフェンシングへ至る、ヨーロッパ剣術史の一側面が想像できるわけです。

 RPGついでにいうと、「決闘」の習慣を盾にとった強盗騎士による「私戦フェーデ」はオクトパストラベラーの主人公のひとりオルベリクのフィールドコマンド「試合」の元ネタであることが想像できます。

 なので、フェーデの下りについては、「身に覚えがありすぎる」と苦笑してしまいました。
 ヨーロッパで決闘に狂奔していたのは貴族や騎士ばかりではなく、学生たちも同様でした。
 ドイツの鉄血宰相ビスマルクも学生時代から決闘騒ぎの常習犯ですし、文豪ゲーテも自らはひた隠しにしていたようですが学生時代に決闘をやっていたそうです。さらには、軍の将校と決闘になり死に至った学生もいたそうです。
 こういった事例を見てみると、オクトパストラベラーの学者のアビリティにも属性攻撃だけでなく長剣技があったり、装備武器の中に長剣があっても良かったかもしれません。

 なのでてんぐは、サイラス先生のバトルジョブとして剣士をよく入れてました。
 サイラス先生みたいな優男の学者が、決闘用の細身の剣で斬り合いをやってるという光景は、結構絵になると思うんですよ。相手の弱点を暴くアビリティ「みやぶる」も、決闘時の剣術の描写として活かしやすいですし。

 決闘は古代から近代どころか現代にいたるまでヨーロッパに、形を変えて残っています。
 そんな「決闘」という風習やテーマは、TRPGであれ他のジャンルであれ、題材として取り上げてみても面白いでしょうね。

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