見出し画像

教養をインストールしよう

教養がないと生きるのが辛い理由

僕は教養がないと生きるのが辛いと思う。
教養がないと辛い理由は、私たち人類にはもともと自分の縄張りを確保する性質を持っているからだ。
だから、相手に対して攻撃をする。それがいじめや、あらゆるハラスメントとして発現している。
それらは、確実に防止することのできる部分である。この点において、それらがまだまだ根強い人類はまだまだ途上なのだと思う。

人類の進化と欲望

多分、今の人類はまだ、生きることに精一杯な時の悪癖を、いまだに引きずっているのだろう。
というのは、これまでは、生きるのに喰うか喰われるかの競争に晒されるのが常だった。
いつだって、食料は多い方がいい。いつだってお金はいっぱいあった方がいい。だけど、今の僕らの周りにはそういった富は、どこを見たって溢れ出ている。コンビニに行けば、いくらでも食料が置いてあり、街に出て見渡せば、立ち並ぶ摩天楼。
それなのになぜ僕らは飢えている。
僕は気づいてしまった。
この飢えは満たされることはない。
僕らはこれまで見てきたような、際限のない欲望をひたすら追っているのだと。まさに、永遠に出口のないトンネルをひたすらに潜らされているようだ。

このトンネルをどう生き抜くか

そこからどうするかは、抜け出すか進みながらも抜け出すことを自体を諦めるかである。(今回は、抜け出す事自体を諦めるの部分に関しては省く)
そこで、トンネルを抜け出す方法として、僕が見つけた方法は教養を身につけて、人間としてインストールしていないそれらを身につけた状態でアップデートしていくことである。
どういうことかというと、人間の再現ない欲望は満たされることがない。
だから、ある程度満たされている状態を常に作り上げることが大切なのだ。それを体感として理解し日常の体験に引き落とすロジックには、言葉がいる。
言葉を通じて理性に語りかけ、行動を変容させる必要がある。教養を身につける方法はおそらく、今のところ言語以外で身につけれない。なぜなら、私たちは言語によって、物事を分節し認識しているからである。
言語に磨きをかけることで、概念や事象を分節できる箇所をより多く作り出すことができる。
そして、分節のできる箇所が増えるにつれて、一個の事象に関しても、多面的なものの見方ができる。
それは例えば、良い悪いといういがみ合いの二項対立しか捉え所のなかった切れ目に、新しいグレーゾーンの何かが生まれる。
そのグレーゾーンの何かを受け取り、一緒に自己になる力が言葉にはある。
その言葉の総体として、ある程度まとめられ、一定上の価値の担保してくれるのが教養やリベラルアールといった類の本である。しかも、教養の本は図書館で借りれる。
ただし、教養の本を読めばいいといって、初めから原点に挑戦する必要はさらさらない。

新書から始める教養学習

とりあえずは、新書を読むのだ。
例えば、講談社や新潮社、集英社などから出版されている。これらのうちから、適当に面白そうな本を手に取って読んでみる。なんだっていい。とりあえずは興味のある分野を読むのだ。例えば、なぜ人間は生きているのかとか、なぜ恐竜は絶滅したのか、なぜ日本は税金を上げようとしているのかとか。自分が普段興味を持った部分に対して、少し深掘りをしてくれる本を探すのだ。日本人の中でおそらく半分ぐらいの人には、これらの本難なくを読むことができる。
ここまでかかる費用はゼロだ。いいか?ここまでは時間と足さえあれば、誰にでもやってみることはできるんだ。
じゃあ、次に進むぞ。
そうしたら、読んでいく内に共通のパーツとなる単語がある。それは、例えば宗教だったり、システムだったり、人物だったりと、今の私たちの思考に影響を遍く及ぼしているものが、厳選されて表出していく。分からなければ、リスト化書籍を漁ってみてもいい。
具体的には、キリスト教や仏教、資本主義や民主主義、ニーチェやフロイトやマルクスにブッダなどがこれに該当する。
僕らはそれらの言葉を伝って、帰納的にまとめられた、普遍性や総括を理解する。
すると、現代の事象や概念のかなり多くのことが、ある一定のフレームワーク上に基づいて動いていることがわかるようになる。そうすることで、ようやく自分自身の思考や行動に対して自覚的になれる。すると、自分自身の思考からもたらされたアクションが、現存するシステムに、上手く軌道に乗っているのか、わかってくる。例えば、今苦しい思いをしているのは、どうしてなのか。どうして上手く行っていないのか。たいていはシステムに対してを有効な手段を打ててないことに起因する。そして、ここに来てようやく対策やアクションが起こせる。対策の打ち方も、前までにみていたのとはまるで違う視点からもみることができるので、アプローチの仕方がいっぱいででくる。そして、かなり多くの部分が共通項を持ち合わせて繋がっている。
使ってみる例を挙げるとこんな感じです。「これは、仏教的に考えれば執着するべきシーンじゃないな」とか、「デリダの脱構築を図って今ある二項対立から抜け出そう。」まさにこんな感じです。教養を学ぶ際には、必ず一般性と具体性の両方を持ち合わせている教材を選ぶことです。一般性だけが高い原点は難しすぎて、具体性しかない自己啓発本には、より広義の意味でのものの捉え方まで到達できません。導入として読んでみるのはいいのですが、お金をいっぱい払うまでの本ではありません。

まとめ

このように、概念的な思考を教養という形で身につけることによって、かなり多くの事象に対して多面的なアプローチをかけることができます。多面的なアプローチをかける事ができたら、同じ事象に対してもさまざまなやり方で対処できる事ができます。ですから、皆さんも一緒に教養をインストールしてより生きやすい世界を作っていきましょう。

おすすめ著書

現代思想入門 (講談社現代新書)
武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?