対話カフェ開催報告。ラスト回
こんにちは。対話カフェは第85回をもって終了することになりました。これまでご参加いただいた方は誠にありがとうございます。最後の開催報告になります。
1.はじめに
最後は「対話の限界とこれから」というテーマにしました。最後ということで、これまでの対話を冷静に見つめながら、今後の何かの糧としていただければと意図しました。
対話の魅力や、「できること」こそ強調されたり、意識することはありますが、逆に対話に在るかもしれない危険性や「できないこと」を冷静に考える場は少ないのではないでしょうか。限界があることは即ち劣っているということではなく、「できないこと」があるからこそ「できること」もあるのだと思います。
2.普段、どんな対話をしていますか?
まずは、現状把握ということで、普段どんな対話をしていますか?という問いから入りました。対話カフェでなくても、何かテーマがなくても、気がつかないうちに対話していたということもあるはずです。また、これを機に今年に入ってから対話カフェでどのようなテーマがあったのかを振り返る時間にしました。
運営メンバーだけではなく、多くの人を交えて「こんな話をしたよね」「あの回が印象深かった」など振り返ることができ、感無量です。やめてしまうことが非常に惜しくなります。
最終回ということで振り返れて良かったです。懐かしいですね。
3.対話の限界について
現状を振り返った後、改めて対話の限界について対話しました。結構さまざまな意見が出て、興味深かったです。対話できない時はたくさんあるという話から、戦争と対話に関する話題、戦争か対話かという二元論はおかしいのでは?といった考えも出ました。はじめてご参加いただいた方もいて、案外対話にできないことを自覚する機会も必要だったということを感じました。(もちろん、「今はできない」「私にはできない」といった限定的な物もありますし、無条件にできないことを肯定しているわけではありません)
最後にアンケートに、「あなたにとって対話とはなんですか?」という質問をしてみました
4.最後に運営からのコメントです
船岡より
これまで本当にご参加ありがとうございました。船岡個人が対話に関わるモチベーションとして、自己と異なる他者の世界を無理なく見ることができることにあると思っています。時々、対話とは答えがないしダラダラ話しているだけなのでは?と言われることがありますが、心の底から言いたいことが言えるばを作れば問いでいっぱいになり様々な発見と思考をもたらしてくれます。これぞ「学生団体ラジリア」が目指す激しい反応だと思っていました。その点で対話カフェはとても楽しい場をつくれたと自負しています。ただ、その場を持続的に作っていくとなると話は別で、様々な問題がありました。そこで、スクラップアンドビルドという言葉がありますが、一度壊して0からにするつもりで、対話カフェを終了という判断をしました。とても悔しく断腸の思いです。正直、いつからか「対話カフェ」で実現したかったことを運営として見失っていたような気がします。反省するところはきちんと反省しまた新しい、良い対話の場を作れたらと思います。最後に繰り返しですが、全85回の中で対話できた全ての方はもちろん、時に相談に乗ってくださった方、応援してくださった方皆様に感謝したいです。
宗像より
最終回に当たって
・私の元々の目的だった「対話って本当に良いものなの?」という問いについては、半分答えが出て半分答えが出なかったような気持ちです。色々な人とご縁ができて、色々な価値観を知れたのは楽しかったし、対話という形式でしか見えてこないものもあるのだということを実感として感じることができました。しかし同時に、対話は結局コミュニケーションの1つの形式に過ぎないのだということも痛感するようにもなりました。「対話しやすい場」は誰か1人の善性では成り立たないし、その場に至るまでに切り捨てかねないものがあるというのがぼんやり見えてきました。
・総合的な感想としては、対話というものが、どこか遠くにあるものから、隣人くらいにはなったように感じています。近くにきたから見えてきた良さも、難しさもある。まだ懐に入れるところまではできていないので、そんな対話と「私」はどう付き合っていくのかを模索していきたいです。
伊藤より
改めて「対話とは何か?」について考えることができました。みなさんの対話の思い出や対話カフェの思い出をきくなかで参加者の方とのつながりや温かさ、積み上げたものを感じられた回でもありました。ただ対話の限界を考えるなかで対話の種類や対話の使い方と姿勢の違いを考えさせられました。そして対話を対話として楽しむには、みんなで作り上げる、場の一員だと感じることがベースのラインにあるのではないかと思いました。
私にとっての「対話」は、身につける靴のようなものであり、友達のような存在でもあると感じています。対話があることで考えだせるものや仲間、視点を獲得できる一方で、異なった対話や、対話をしたくないときもあります。姿勢ではある一方で常にする必要があるものではないと感じています。まだまだこれは私が対話に出会い、対話カフェを運営する中で今でてきた仮説なのでこれからまた考えていきたいと思います。
これまで、ありがとうございました。また対話しましょう!
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