これも「読み」ですか? 6
現代川柳の「読み」の文章シリーズ第6回です。
過去回は▼のマガジンにまとめてあります。
さて、今回取り上げる8句も、川柳作家の海馬さんが「診断メーカー」でこしらえた、任意の名前を入れるとランダムに現代川柳一句を返してくれるサイト「アサッテの川柳」をつかって選ばせていただきました。助かる〜
なお、今回(2022年10月30日)入力した名前は、いま読み返している、黒田硫黄『茄子』第2巻の各話タイトルです。
こんな感じで……
では、やっていきます。一気に8句いきます。
【1】
自転車で来たので自転車で帰る
/筒井祥文
■前後二箇所の「自転車」がまさに自転車の車輪のように見える。やって来て帰っていく自転車。シンプルな往復運動はあらゆる物事の基本で、たとえば『マッドマックス 怒りのデス・ロード』もその構造の川柳である。映画だとしても。
入力タイトル:『39人(前編)』
【2】
ふと異臭昔の犬が来たらしい
/竹井紫乙
■昔の犬の匂いをきっぱり「異臭」と言い放つ言葉えらびに今の犬との距離感が伺える。「らしい」もまるで昔の犬に「おまえなんかもう他人(他犬)だよ」とそっけない態度をとるかのようだ。えらばれた言葉それぞれが一貫性を持っている。
入力タイトル:『39人(後編)』
【3】
家を出るときに時計が鳴っていた
/金築雨学
■そうささやくことで作者はいつも読む側の目の前の光景を描き換えてしまう。それはたしかに「目の前の光景」であるのと同時に、どこかの誰かが「家を出るとき」でもあり、また「時計が鳴って」いるときでもある。まいった。おもしろい。
入力タイトル:『東都早もの喰』
【4】
さわらないでください架空の犬だから
/佐藤みさ子
■さわれないのではない。さわってくれるなと強く言っているのでもない。よく見ればさわるとまずいことが起きるとも言っていないし、さわらないでほしいかどうかも定かではない。たださわらないでとだけ言っている。そういうたぐいの大切さだ。
入力タイトル:『続 東都早もの喰』
【5】
鼻から入ってくるドガの踊り子
/青田煙眉
■視覚より嗅覚や味覚のほうが身体性が強いのはなぜだろう。それを考えるため来年から大学に入り直そう。で、もし目ではなく鼻から入ってくる絵があるとすれば、それは印象派の画家だろう。キュビズムは鼻から入ってこない。
入力タイトル:『残暑見舞い』
【6】
めりやすをはめるとつかむまねをする
/『誹風柳多留 五篇』
■第5回でも書いたように『柳多留』はまったくわからない。無知で。ならここに挙げるなよ、と自分でも思うが、あくまで臥薪嘗胆のたきぎや肝として記しておく。そのうちまとめて学習してやろう。待ってろよ。この『柳多留』めが。
入力タイトル:『お引っ越し』
【7】
江の島を落とし穴から見ていたよ
/我妻俊樹
■第3回の【3】でも取り上げた句。改めて読むと句末の「よ」にたんなる音数合わせ以上のなにかを感じる。もしかして穴の底からやっとのことで発音される「よ」かもしれない。消え入りそうな一音が定型を保った。句の印象って語尾で変わるなあ。
入力タイトル:『焼き茄子にビール』
【8】
小町が行くぼくは一本の泡立つナイフ
/石田柊馬
■ただごとならない気配の出どころがきちんとわかる句。ナイフが血、血が泡を連想させるのだ。傷口の血だろうか。小町は美しい女性の住む町・通りの名、転じて、美しい女性そのもの。おい、これ切り裂きジャックの句じゃないのか。ロンドンなのか。
入力タイトル:『電光石火』
おわりです。こんなかんじで週1ペースでさくさくやれるといいな~と思ってます。もちろん、思っているだけです。
各句の作者のみなさん、海馬さん、そして黒田硫黄先生にありがとうございましたの11文字をお送りします。急なことできっと先生も驚かれるでしょうね。えっ、なんのことですか?と。
ありがとうございました
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?