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説明をせず立っていてもいい湯気

本日はこちらです

 わたしもそうなのだが、ほかほかのごはんが苦手という人がたまにいる。変わり者、もしくは変わり者と思われたがっている者、と思われるのが嫌なのであまり主張しない。が、確実に一定数いる。知人のおばあさんがそうだと聞いたときは、会ったことのないそのおばあさんに「ぼくのほんとうのおばあさんになってくれませんか」と懇願したい気分になった。結局変わり者か、詐欺師に思われそうだ。

 母方も父方も、祖父母らはわたしが生まれた時点ですでに全員他界していた。もともといなかったのでとくに喪失感をおぼえることもないが、もしひとりでも祖父母が生きていたら、人格形成にかなり影響しただろうなと思う。わたしには、うまくいかないことがあると、「祖父母がいなかったからだ」と思ってしまうようなところがある。そういう性格になったのも、祖父母がいなかったからだと思う。

 そういうこともあって、わたしはふだん、知り合った人に対して「この人は、最高4人までいるはずのおじいちゃんおばあちゃんのうち、何人とともに育ったか」を考えるのが好きになった。つまり、その人の人生では何人の祖父母が存命していたか、ということになる。それはその人の行動や性格にうっすらと透けて見える、ような気がする。気がするだけだ。祖父母に囲まれて育ったから優しい人柄になる、といったかんたんな話なはずがない。その人の人生において何人の祖父母が存命していたかも当たることなんてまずない。当たっても偶然だ。


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