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私たちはレジ係なのか、それともレジ戦士なのか。

レジ係。

レジは想像する以上に大変な職務である。
現在これを読んでいる読者諸君も関わる事が多いのではないか。今回はこの場を借りてお願い事があり、レジ界から代表して書いている。

どんな仕事も試して初めてその大変さが身に染みてわかる、とつくづく思うが、レジがその象徴と言っても過言ではない。

レジ係は本当に世の中が思ってるよりも大変な業務だ。それは、その簡潔さに全てがつながる。(特に忙しい職場のレジは本当に大変。)

レジが大変と聞いた時に、大衆の人々は言うであろう「あれやろ、覚えること多いからやろ。」と。そんな発言をする者は、一度、冷え切ったドブに顔を突っ込んだ方がいいだろう。頭がスッキリするからだ。それは、色んな種類の支払い方を覚えたり、カードがあったり、期間限定、キャンペーンがイベントごとにやってくるが、だいたい覚えておけば、働くことができる。従業員は自分だけではないし、マニュアルもある。センター試験でもないから、軽く覚えておけばできてしまう。



でも、違うのだ。
レジ係の落とし穴はその業務の簡単さ、簡潔さにある。

本当に想像しうるよりも簡単で、単純なのだ。

商品を素早くスキャンし、お客様が取りやすいようにセッティング、値段を言って、金銭の授受を行い、ありがとうございました。

ラジオ体操フルで覚える方が多分難しいのではないか、と思う。だからか、レジ係の世界には、アマチュアプロレベルが普通にいる。ゴロゴロといる。ワンピースでいうところの、賞金首5億ベリーがそこらへんにうじゃうじゃいるのだ。これは若手レジ係が成長しても目立たない、頑張って早くなっても、それが当たり前だからなんの感動もなければ、成長しているはずの本人でさえも困惑してしまうのである。これはレジ係界の問題が抱える一つである。さらには、白髭ならぬパートのおばちゃん達の手の動き、その速さ、これは若手レジ係にとって越えられない壁である。大手の企業に行くと、1レジ(レジ界の単価。1お会計を意味する。)の時間を測られており、先ほど言ったようにある程度のスピードを求められるこの業務において、数年戦士のパートのおばちゃんの記録は、想像を絶するものである。若手レジ係には、マネージャーとの面談で「最早、あそこには到達しようと思っていません。2番で何が悪いんですか。」と公言する者も少ない。

レジ。その簡単な業務を飽きているか否かはおいておいても、8時間通して働き続けなければならない。文字どうりの苦行である。

貴方は携帯ゲームの簡単すぎるレベルを8時間したことがあるだろうか。
きっとないだろう。

そう、あまり日常では味わわないくらいのレベルの苦行なのだ。

それにさして客は、その苦行を知らないが故に、横柄な態度を取る者もいる。心の中で貴様は魔王かと聞きたくなる。
彼らがしている事は、辛い滝行を行なっている途中に釘のバットで殴ってくるようものだ。それか、釘のついたバットで殴られている時に滝行の中に放り込まれるようなものだろう。

貴方はそんな場面を見たことがあるだろうか。きっとないだろう。(←これ書きながらアホみたいだと、感じるのは私だけだろうか。いや、そんなことはないだろう。)

皆、わかっていないのだ。
レジ係のあの笑顔は、あの『ありがとうございます』は、苦行の中で震える足を押さえて口から滲む血の味を噛み締めた偉業なのである。

でも、レジ係の人間がそれを伝える日はやってこない。なぜならば、彼らはそんな事よりも先に値段を伝えなければならないからだ。周りの人間が「どんな仕事?」と質問する日も来ない。わかっているからだ。その見え透いた業務に興味が湧くものはそう多くないだろう。簡単そうだからと下に見てくる世間に果敢に戦うレジ係を取り上げるドキュメンタリーがなければ、その孤独さや切なさを歌う歌もない。一体どんな世界に住んでいるのかと慄きを隠せずにいるが、それが抱えうる更なる暗い側面は、レジ係自身がその役割の大変さをわかっていないことにある。

AIが発達した世の中では、やっと今になってハリウッドがAIに代わられる将来を危惧してストライキを始めたが、レジ界への侵略なんか、とっくの昔に始まっているのである。あんなに果敢に戦ったはずなのに、世間では取って代わられて十分だと思われているし、業務の苦しさからか、レジ係が乗っ取って欲しいと望んでいるくらいである。(何度も言うが、レジ係の苦しさの根源はその単純さにある。)
レジ係が機械にとって代わられたスーパーは今では珍しくもなんともなく、以前の戦士達(レジ係)の多くはレジ界から引退せざるをえなくなってしまった。その中から、選りすぐられてもいない、たまたま運が良く残った戦士の何人かは同志に引退を強いた機械を、または客が不正を行わないか見張るという業務を任される。

ちなみに、この機械のレジを世間の人間と会社はセルフレジと呼ぶ。それは、以前は戦士達(レジ係)が行っていた業務の一部、またはそのほとんど全てを人間のレジ係を通すことなく、客によって行われるからである。



このセルフレジでの監視業務は、以前の業務より一見ストレスフリーに感じるかもしれない。「ただ立ってるだけやん。」と言う人もいるだろう。そんな人はもう一度、冷たいドブの中に頭を突っ込んでから目玉をくり抜いて川で洗うことをお勧めする。新しい景色がみえて生きやすくなるはずだ。
さて、話を戻して、この監視業務だがはっきり言って不可能である。6台から8台のレジを1人(運が良ければ2人)で見張ることになるのだが、監視係の視界範囲はシマウマと同じではない。しかも、同時進行で複数人の手元を見ることはほとんど不可能である。さらには、世間も会社も『セルフ』と名付けたはずが、おおよそ半分の人間が、会計が終わるまでに監視係の手を借りないといけない。

『何がセルフだ。『介護レジ』に名前を変えろ。』という標語が流行したほどである。

さらには監視係が全員の手元を正確に把握できていないことを心配しているのか、「これ、万引きちゃんと見れているんですか」と半笑いで尋ねてくる客も中にはいる。「いえ、監視カメラと人間の目で見ているので一様正確に監視はしています。」と返答するマニュアルがあるにはあるのだが、係の(私の)本音は「なんでそんなこと聞くんですか。万引き計画中とかですか。今日が休日で、心に余裕があるとかそんな感じですか。貴方が質問してくるこの瞬間、私の業務は止まっているけれど、もし、私が、あぁ結構しんどいなと思っていたんです!って言ったらあんたは助けてくれるのか。」である。
従来のレジから比べると横柄な態度の客に当たることは格段に減ったものの、シマウマではないのに(私はシマウマ、私はシマウマ)と唱えながら8時間働くことがいかに厳しいか。貴方には到底理解できないだろう。

レジ係は大変なのだ。


私は今回を通してこれを読んだ読者諸君に是非ともお願いしたいことが3つある。
1つは、今回伝えてきたであろう、レジ係のそして監視係の大変さを理解していただきたい。立場が弱いのは、レジ係を含めたほとんどの人間がレジ係の重要性を正確に把握していないからである。「私たちはレジ係なのか、それともレジ戦士なのか」という文言で始まったかの有名なムーブメント、レジ界の中ではフランス革命に及ぶほど有名なのにも関わらず、いまだに世の中には広く知られていない。戦士達(レジ係)の地位向上には程遠い現実がそこにはある。

2つ目は、できれば横柄な態度や無理難題を要求するのはやめてもらおう。もちろん、客にはそういう態度を取ることが選択肢の中に存在するのもレジ係は把握している。しかし、レジ係を苦しめるということは修行中の僧侶に石を投げることと同じである。一見、何もやり返してこないから大丈夫だと思うかもしれないが、それが怖いのである。心の中で、頭の中で、または呪いを制して、貴方が決して知ることのない何かが彼らの中では起こっている。

そして最後に、どうか親切にしてほしい。こんなことを言うと、気が狂ったように「なぜ客なのに親切にしないといけない」と言われそうだが、そこまで難しいお願いではないはずだ。会計が済むまでの5分から1分に満たないまでの時間をお願いしているだけで、何も2時間や1日レジ係に親切にしろと言っているのではない。むしろ、戦士達(レジ係)が望んでいるのはなんの摩擦もなく平和に、8時間の勤務時間が体感2秒くらいで終わりを告げることなのである。そんなほぼ不可能に近い望みを毎日持って出勤し、彼らは不安定な環境の中でお互いを称え合いもせず、ただ黙々と簡単すぎる、なんの変化もない時間をサウナのように耐え忍んでいるのだ。サウナは体が軽くなったり、健康を促進するが、レジ業務は腰を痛め、首を痛める業務トップ3に仲間入りする仕事だ。皮肉である。

読者諸君よ、どうか、讃え、励まし、時には尊敬の敬礼をレジ係に捧げてはくれないだろうか。どうか、これにより、世界にレジ界ブームが到来し、戦士達(レジ係)の歌、伝記、ドキュメンタリーが作られることを祈ってここまでとする。

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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