妻と僕のPMDD生活8日目
悲しみの向こうに死があるのではなく、
張り付くように死は存在する。
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妻は秋が苦手だ。
PMDDと診断されたタイミングが、
秋だったらしくこの季節になると、
決まってカナシミンが現れる。
カナシミンとは妻のネガティブな存在を、
僕があだ名付けたものである。
カナシミンは希死念慮、
つまり自殺願望が強くなる。
イカリヤさん(怒りの感情)と違って、
カナシミンにキッカケはない。
何の予兆もなく嵐のように突然現れ、
赤ん坊のように泣きじゃくる。
そして「死にたい」と連呼し、
実際に行動しようともする。
だから僕は秋の妻を注意深く観察する。
ただずっとつきっきりで、
妻に張り付ける訳はなく、
むしろ僕の仕事は秋から冬にかけて忙しい。
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ある年の秋のこと。
その年は例年以上に多忙を極めた。
僕は「今日も遅くなると思う」と言い残し、
何事もないことを祈り仕事に向かった。
妻がPMDD期に入っていたからだ。
「はいよー」と妻はいつもと変わらぬ様子。
「今日は大丈夫そうだ」と思い、
なるべく早く帰宅できるよう仕事をこなす。
だが、繁忙期は繁忙期なのだ。
どれだけ作業をしても増える一方で、
中々その日も終わりが見えなかった。
大方の作業を済ませ家路を急ぐ。
時間は24時を過ぎた頃だった。
鍵を開け「ただいまー」と言うが、
反応が返ってこない。
電気も付いていない。
先に眠る際は一報を入れる妻だが、
僕のスマホに連絡はない。
「疲れて眠ってしまっただけ」
祈るようにリビングへ向かったが、
祈りは通じず月明かりが照らす中、
頭から血を流し倒れ込んでいる妻を見た。
妻の元へ走って向かい、
「どうしたん?」と聞くが、
妻は「死にたい」と連呼する。
なぜ血を流しているのか話を聞くと、
「滑って転んだら死にたくなった」
とのこと。
血はその時に切れてしまったらしい。
幸いなんて事ないケガだった。
コケて死にたくなる?
どういう意味?
ハテナが頭に浮かぶが、
カナシミンに概念はない。
「死にたい・悲しい」
その想いのみで構成されている。
「もう少し早く帰れれば…」と、
その当時の僕は猛省したが、
ボディガードでもない限り、
カナシミンを止めることは出来ない。
つまり「妻の死を覚悟しなければならない」
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ただここ3年ほどは、
激しいカナシミンが現れていない。
3年前のある出来事で、
一生分と言っとも良いほどの
カナシミンが現れたからかな?
とは言え、やはり注意は必要だ。
カナシミンが現れた際は、
速やかに傾聴して、
何も発さずにギュッと手を握る。
そして、少しばかりキザな言葉を伝える。
「死にたい〇〇の人生のおかげで、僕は生かされているよ」
「僕は〇〇が生きてるから、僕も生きられる」
ホストも青ざめる、鳥肌モノのセリフだ。
そんな言葉を言い続けていると、
カナシミンからやがて妻にスイッチする。
「キモっ」と言い始れば妻だ。
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悲しみの向こうに死はない。
死と妻は常に共存している。
もし妻が生きられない選択をしても、
僕はきっと必要以上に悲しまないと思う。
今までPMDDと戦ってきた妻を
真横で見てきた僕だからこそ、
「よく頑張ったね」と労うかもしれない。
だからこそ妻が誤った行動をしないよう、
僕は妻とのPMDD生活を楽しみたい。
メガッパ
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