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推し≠なんでもアリ

推し活は素晴らしい。
時には心の緩衝材になる。
時には生きる活力になる。

✳︎

僕個人には妻以外に推しは居ない。
つまり僕は妻オタクなのだと思う。
好きという感情よりも別の作用、
「応援したくなる」「興味が湧く」という
意味合いの方が強い気はするけれど…
ただそれはきっと皆が言う推し活だ。

アイドル・歌手・YouTuberなど、
タレントにはあまり関心がなく、
会ってみたいと思える人は存在しない。
きっと妻以外に人に関心が無いのだと思う。

✳︎

妻に「人に関心が無いこと」について、
相談したことがある。
妻の答えはシンプルだった。
僕は人に対して壁を設ける癖があるらしく、
無関心ではなく、対人関係を恐れている。
と言うことらしい。

確かにそうなのかもしれない。

例えばの話だけど推しの女優が居たとして、
その人が誰かと結婚をした場合、
やるせ無い気持ちでいっぱいになる。
勝手に裏切られた気持ちになる。

人との繋がりは、失う恐さが付き纏う。
失うことが恐いのであれば、
最初から取り除いておけば良い。
そういう理屈のもと「人に関心が無い」と、
自分に蓋をしているのだと思う。

そして、先ほどの例えの話になるが、
それはきっと推しではなく好意に随する。
推しではなく恋に転移した場合、
きっと色々なモノを失い、
ズンズンと溺れていく気がする。

ファンからスタートした恋は、
対象者の全貌が見えなくなる。
良く言えば恋に盲目になる。

✳︎

とは言え僕にも好きな映画監督が居るし、
参考にしているライターはたくさん居る。
好きなブランドの洋服だってある。

それはきっと推しなのだと思う。

ただ推しが故にいつもの雰囲気と違えば、
違和感を覚えイヤになることもある。

「この映画監督なのに演出がアマイ」
「このブランドはこうすべき」
勝手に自分の中で理想を築いている。
そして理想と違えば、瞬時に離れてしまう。
また逆も然りで、どれだけ違っていても、
「この映画監督だから間違いない」
「このブランドは好きだから好き」
という一種のマインドコントロールも恐い。

✳︎

推しは活力になることは間違いない。
ただ時には客観視する必要もあると思う。

好意なのか?推しなのか?
正しいのか?正しくないのか?

自分らしく推していけるのであれば、
自分らしさに推しが必要であれば、
心の底から推しを応援してあげて欲しい。

そして、
願わくば僕に推しが増えることを願って。笑

メガッパ

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