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私たちの使命とは?(バクティ・ヴェーダンダ・ナーラーヤン・ゴースワーミー・マハラージャの言葉)

今日はバクティ・ヴェーダンダ・ナーラーヤン・ゴースワーミー・マハラージャの降誕日(誕生日)です。偉大なアーチャーリャであり、私の師であるジャヤーナンダ・ダーサ師の師であり、昨年初来日された聖者で私たちの愛する師、サドゥ・マハラージャ師も敬愛する偉大な人物です。

そこで今日は、1996年6月8日のラジオ放送でのインタビューより抜粋した訳をご紹介いたします。

Q:ヴェーダ文化と知識を教えるにあたって、特に西洋諸国の人々へのメッセージとしてどんなことをお話しされてきたのですか?

A:私は特に「サナータナ・ダルマ(永遠の法)」について話しました。シュリー・チャイタンニャ・マハープラブの指示に従うためです。私は、私のサンニャース(放棄者)の兄弟弟子であるシュリー・AC・バクティヴェーダンダスワミ師のところにやってきました。彼は、マトゥラーにある私たちの敬愛するケーシャヴァジー・ゴウディヤ・マタ(という流派)の私たちの師匠(グルデーヴァ)からサンニャースをとりました。私の師匠の名前はシュリー・バクティ・プラギャーナ・ケーシャヴァ・ゴースワーミ・マハラージャといいます。師はジャガグル(全宇宙の師)であるシュリー・バクティシッダーンダ・サワスワティ・ゴースワーミ・タークラに愛しく、シュリー・バクティヴェーダンダ・スワミの聖なる師でもあります。その彼が私のグルデーヴァです。

私の師は世界中を旅して以下のことを伝えました。

「私たちは肉体ではない」

「私たちは心でもない」

「私たちはクリシュナの拡張体の一部であり、クリシュナは主(創造主)ご自身である。」

クリシュナはバガヴァッド・ギーターでこう述べています。

「私に保護を求める者だけに、私は誰かを明かす。」

「サルヴァ・ダルマン・パリチャイヤ・マン・エカン マン・エカン」とは、ただクリシュナに身を委ねることを意味します。主は最高神の最高の人格を持った姿です。だから、私達が主クリシュナに全てを捧げるなら、主は主ご自身のすべての知識を与えるのです。私たちはクリシュナが誰かを知ることでしょう。

神とは誰か?すべての拡張体の根源は誰か?世界とは何か?体とは何か?

私たちはこの肉体ではありません。クリシュナの恩恵なしに、そしてクリシュナに身も心も委ねる人々のいわれなき慈悲なしに、私たちはこれらの疑問の答えを知ることはできません。それどころか、私たちは繰り返しこの世界に生まれ、永遠に今していることを繰り返すのです。この世界の創造の始まりから、私たちはこの世界を行ったり来たりしています。繰り返し生まれては死ぬ。円形の鎖につながれ動いているようなもの。

私たちはこの世で幸せを求めます。

私たちは平安と平穏が欲しいのですが、実際には、平安に到達できないと思い込んでいます。

私たちは「何か」をもっともっと欲しがる。では、私たちがもっともっと欲しがる「何か」とは何ですか?私たちは自分たちが欲しがる「何か」がわかっていないのです。

だから、草、木、動物、人間、神など全生命体が平和と幸福を求めているのです。いつもそれを探しています。でも、本当の幸福とは何か、彼らは知りません。クリシュナはプレマ(聖なる愛)です。

クリシュナはアーナンダ・スワルーパ(永遠なる魂の体)です。

「サッチャン・イナナン・アナンタン・ブラフマー」
彼はパラブラフマー(最高のブラフマー)です。だからもしあなたが「クリシュナ(最高主の最高の人格を持った姿)の仕え人でありその一部であること」を実感しないのなら、どうやっても平安と平穏を得ることはできないのです。

この世界で生きるためには食べ物と洋服が必要です。私たちはそれを求めます。でも、それらを集めることは私たちの人生の最優先事項ではありません。私たちはこの疑問の答えを知るべきなのです。

「私は誰か?」本当の自己、アートマ(魂)、パラマートマ(スーパーソウル)は何もこの体の中に存在します。でも私たちはその存在を実感する必要があるでしょう。

どうやって実感しますか?

あなたはそれを悟っている身も心もクリシュナに委ねている献身者であり悟っている人物のところへ行くでしょう。その人には資格があります。その人には物質的な執着がありません。物質的な幸せやその他のことはどうでも良いのです。

だから、もしあなたがそのような献身者のところへ行くなら、その人はあなたにマントラを与えるでしょ。そして、手段(道)を与えるでしょう。あなたはその方法に従いクリシュナの聖なる御名を唱えるべきなのです。

「ハレークリシュナ ハレークリシュナ クリシュナ クリシュナ ハレー ハレー ハレーラーマ ハレーラーマ ラーマ ラーマ ハレー ハレー」と唱えます。


あなたはこのマントラを唱えるべきでしょう。苦しむ人もこのマントラを唱えることができます。老人、キリスト教徒、イスラム教徒。どんな信仰をお持ちでもこの聖なる御名を唱えられます。動物でさえ聞くことができますし、唱えることができます。そうすることで悟るでしょう。

ヴェーダ、ウパニシャッド、バガヴァッド・ギータ、シュリーマド・バーガヴァタムなどの(インドに伝わる聖典である)すべての叙事詩が何を語ろうとしているのかを。「チャイタンニャ・チャリタームリタ」(初期の嬉戯17章21節)にこう書かれています。

「闘争時代(カリ・ユガ)に置いて自己を悟るには、主ハリの聖なる御名を唱えること、主ハリの聖なる御名を唱えること、主ハリの聖なる御名を唱えること。それ以外に道はない、それ以外に道はない、それ以外に道はない。」

だから、もしあなたが死ぬ時には、どうかこの御名を唱えてください。

たとえトイレに行くときでもどこであっても、この御名を唱えて下さい。

寝っ転がっている時でもこのように「ハレークリシュナ ハレークリシュナ クリシュナ クリシュナ ハレー ハレー ハレーラーマ ハレーラーマ ラーマ ラーマ ハレー ハレー」と唱えてください。

クリシュナのいわれなき慈悲によって、私たちは主の御名を唱えることができるのです。だから、私たちはこのことを知るべきです。特に、私たちインド人はクリシュナの拡張体の一部であることを知るべきです。私たちは肉体ではありません。

2日後、3日後、数日後…いつかはこの肉体はなくなります。

肉体を離れる時、私たちは次に生まれる肉体を得ます。

だから、これら全ての不安、悲しみ、物質的欲望を捨て、この聖なる御名を唱えるべきなのです。

この聖なる御名はは正当な献身者、実践者、師匠から受け取るべきです。彼らはナーラダ・ムニやシュカデーヴァ・ゴースワーミーのように、この聖なる御名を唱えることを実践しています。それは、指示に従っているのです。だからこの指示に従い師匠を受け入れたなら、私たちはその師匠からこの聖なる御名を受け取るべきです。これはどの流派も同じです。

もしあなたがそうするなら、つまり、正当な献身者から聖なる御名を受け入れその方法に従うなら、あなた、私、すべての人、全世界の創造物が平和になっていくことでしょう。

平安が来るのです。私たちは幸せである、とわかるのです。

それから、私たちはもっと幸せに、もっと幸せに、なっていくでしょう。

だから、「私は誰か?神は誰か?誰がこの世の創造主か?誰がこの世界の源であり維持者か?」というような疑問について答えを知りたいのなら、正当な精神的な師(スピリチュアル・マスター)に近づくべきなのです。

主はあなたに叡智、知性、この美しい体を与えました。

だから、全てを手放し、主に委ねるのです。

そうするなら、主はこの聖なる知恵、ヴェーダの知識を与えるでしょう。この方法に従うなら、私たちはクリシュナに会うことができ、永遠に彼に仕えることができるのです。こうすることで、全世界が平和になり、私たちは本当の平安と幸福とは何か、を悟るのです。この世界を去る時に、あなたは天国、ヴァイクンタ、ゴーローカ・ブリンダーヴァナのどこかへ行くことでしょう。そうして超越的な祝福を得るでしょう。

Q:最も美しいマハラージャよ、ご回答ありがとうございます。インドでは、私たちは敬虔な儀式を見かけます。私はトリニダット出身で先祖は150年前にインドに移住してきました。この地も同様に(そのように見かけることが)減りつつあります。最大の問題の一つとして、私たちはヴァイシュナヴァ(クリシュナの献身者)の哲学、特に「アチンチャ・ヴェーダヴェーダ・タットヴァ」(至上主と私たち生命体は同じであるが、同じではない。質的には同じであるが量的には違う)ということについて編纂されているはずのサンカラのアドヴァイタの哲学を学んだ後、どのようにそれを伝えるか、ということがあります。

私たちは自我を持たねばなりません。私たちは本当のメッセージを理解しなければなりません。サンカラの教えの最後である「サリリカ・ヴァシャ」の中で、「ゴーヴィンダ・バージャ・ゴーヴィンダ」の歌について述べられていますね。

A:その通りです。

Q:多くのインド人がこの放送を聞いていますが、魂と体の違いについて知りませんし、本当のサンカラ・チャーリャの教えについて、理解していません。マハラージャ、この点をご説明頂けますか?

A:その流派において、たくさんのクラスが行われているのは皆様ご存知の通りです。ですから、私たちは初級から上級のクラスまで修了べきなのでしょうし、修了したなら次の段階へと進むのですが、非常にたくさんの段階があります。だから私たちは一つ一つの段階が別物と考えるべきではないのです。すべての段階は一つのラインにあります。

サンカラチャーリャはただこの考えだけを与えています。「私たちは肉体ではない。この世界は永遠ではない。」彼はこの教えしか与えていません。

この教えは真実です。サンカラ・チャーラは自ら、彼の信者へ述べています。

「あなた方は馬鹿げている。すべての人が馬鹿げている。なぜなら、クリシュナの御名を唱えることをしないからだ。」

ゴーヴィンダ、とはクリシュナご自身です。だから、サンカラチャーリャはサンカラご自身です。サンカラは主の素晴らしい献身者なのです。

「シュリーマド・バーガヴァタム」にもこう書かれています。サンカラは偉大な献身者である。「バガヴァッド・ギーター」にもサンカラはクリシュナご自身であると述べられています。だから、彼は何もバクティに反していません。この教える雰囲気こそ、私たちがクリシュナに仕える時に取るべきなのです。だから、私たちは皆、一つの線上にいます。チャイタンニャ・マハープラブは「アチンチャ・ヴェーダヴェーダ・タットヴァ」の哲学について学びました。

これらの哲学については後ほど学ぶとして、まずは、

私たちは自分の家が火事になっている、ということを知るべきです。まず、水で消火しなければなりません。焼け死んでしまいます。それから、私たちは火元を探すことができるのです。

だから、私たちは本当のアートマ(魂)について悟るべきです。まずあなたは本当の自分を知るべきです。

サンカラら全てのアーチャーリャ達は、私たちは肉体ではないことを教えてくださいました。

肉体の中に「何か」があります。その「何か」とは何か。それは、クリシュナの拡張体の一部です。

だから、私たちは皆一つの線上にいます。だから、私たちはまず「バガヴァッド・ギーター」を読むべきであり「シュリーマド・バーガヴァタム」を読むべきなのです。

それらの書物は何を記しているのか。クリシュナは姿を持ちますが、サンカラはこの区分ができません。私たちは決してクリシュナではないのです。サンカラとは誰でしょうか?彼は仕え人であり、ヴァイシュナヴァです。ヴリンダーヴァナにいます。そこではゴーピーシュワラ・マハーデーヴァとしてクリシュナのお世話をしています。ラーマの嬉戯の中では、サンカラはハヌマーンです。始まりから混同してはいけません。でもすべてがはじめに語られる、というわけではありません。


サンカラチャーリャは言いました「あなたはブラフマーですが、パラブラフマーではない。」
だから、すべてのヴァイシュナヴァの哲学が同じなのです。クリシュナがパラブラフマーです。サンカラはシュリーマド・バーガヴァタムでも述べています。


「これまで述べた化身はすべて、主(マハーヴィシュヌ)の部分、あるいは力をあたえられた生命体であるが、根源の至上主は、主シュリー・クリシュナである。これらの化身は、悪魔たちによって、苦しめられた時はいつでも、神を信じる者たちを守るために現れる。」(1巻3章28節)

クリシュナはバガヴァーン・スワヤン、唯一の至上者です。サンカラと混同してはいけません。サンカラにはパールヴァティと二人の息子のガネーシャとカルティカがいますが、一つにはならないでしょう。誰もクリシュナと一緒になれないのです。もし水とミルクを混ぜたら、それらが一つになったと思うかもしれませんが、実際には一つになっていません。機械を使ったりすれば、また分離します。二つのコップを水で満たして、一緒にしても一つにはならないでしょう。水の質は飛び向けており、地面に吸収されます。もし一つになっても、水は地面に落ちることはできなかったでしょう。

「ひとつ」とは何か。「ひとつ(ワン)」という概念とは?o-n-eの三文字で「ワン(ひとつ)」。でもワンとは?ヒンディー語では「エク」と言います。それは二文字です。ウルドゥ語では三文字。

さて「ひとつ」とは何か?

究極的には多様性であり、結合における多様性です。

全世界がクリシュナの中にあります。だから世界はひとつなのです。

たくさんの考えがありますが、数えるならひとつ。

その中にたくさんの点が集合しているのです。

だから私たちの全てのアーチャーリャはひとつの線上にいます。そして、私たちはその道を進むべきなのです。そうして、ただクリシュナだけが人格を持った最高主であることを確信するでしょう。

そして私たちはプレマを持つことになるでしょう。私たちはゴーピー(牛飼いの乙女)のような愛と愛着を持つことになるでしょう。それは、ヴリンダーヴァナの住民やハヌマーンのようでもあり。主をこのように愛するのです。この愛と愛着こそがヴィシュヴァ・ダルマ(全ての人に当てはまる不変の法)なのです。これが「シュリーマド・バーガヴァタム」「バガヴァッド・ギーター」で語られていることであり、全てのアーチャーリャたちが一つの線上にいるのです。

Q:ここでの問題はサンカラ哲学が語られている、ということです。基本的に私たちはその教え(サンカラ哲学)を受け入れません。ブラフマンのまやかしを見ているからです。私もクラスの中で何度も言ってきました。私たちが見ているものは実際に光なのか、それとも太陽ご自身から発せられる光なのか、それがクリシュナなのか。ブラフマンのまやかしを、彼らは見ています。彼らはクリシュナの人格を決して理解しようとしません。

A:あなたは、ヴェーダがガヤトリーから来ることを知るべきです。

Q:ガヤトリーからですか?

A:そしてガヤトリーはブラフマーからくる。ガヤトリーマントラでは、私たちは「オーム・ブーヴァ スワハ タット サヴィトゥル ヴァレニャン ヴァルゴ デヴァーシャ ディーマヒー ディーヨ ヨー ナー プラチョーダヤート」と唱える。サヴィトゥルとは太陽という意味であり、サヴィトゥル ヴァレニャンとは太陽を崇拝する御方、という意味である。その御方とは誰は?ヴァルゴ デヴァーシャ、クリシュナのヴァルゴ デヴァーシャとは。ヴァルゴとはエネルギー、力。誰がその力なのか?シュリーマティ・ラーディカー、シータ、他の神々も力である。ディーマヒー、私たちはその力を瞑想する。その力の化身が太陽に力を与え、太陽は全ての創造物を照らす。この太陽の力はそのシャクティが与える。だから、プラチョーダヤート、主とは何か、主はどのように認められるのか、主の全ての神聖な側面は主の内的エネルギーのいわれのない慈悲によって私たちのハートの中に立ち現れるのです。これがこの「ガヤートリー」の意味です。

ですから、もしあなたがサット・チット・アーナンダ(永遠で知識と至福に満ちた存在)であることを悟りたいなら、そのシャクティの蓮華の御足に意識せずに服従するべきです。

私たちの全てのアーチャーリャは私たちの知識の有無にかかわらず、私たちが何者かに関わらず、特にこのカリ・ユガの時代にもしハレークリシュナを唱えたなら、その御名がパラブラフマーの主クリシュナご自身であると幸運にも悟ると教えてくださいます。

主はご自身の全てのエネルギーをこの御名に与えています。

もしあなたがこの御名を唱えるなら、御名はより高い段階へ導いでくださることでしょう。高い段階に入る献身者はすべてを悟られています。シュカデーヴァ・ゴースワーミーは、その高い段階に入る献身者の象徴です。


「精神の師(グル)に敬意を払ってこの知識を学び、恭しく問い、師に仕えよ。絶対真理を覚った師は、経典の真意に精通しているので、弟子に知識を授けることができる。」(「バガヴァッド・ギーター」4章34節)

もしあなたが丘の頂上に行きたいなら、登らねばならない。

登らなければ、たどり着けない。

だからもしこの知識が欲しいのなら、とても神聖なものなので、

何かをする必要がある。

まずは調査をしなければならない。

そのために幾らか時間を費やさねばならない。

聖なる御名を唱えることで、クリシュナは正統な師やヴァイシュナヴァとの交際を与えるでしょう。彼らが来てくださり、またはクリシュナご自身が来てくださり、どの知識をどうやって増やすかを教えるでしょう。この知識の本質を教えるとともに、どうやって主にたどり着くかも教えるでしょう。そして、あなたが本当は誰か、を悟るでしょう。彼は、どうやって心の平安と幸せを得るかも教えるでしょう。これが本当に必要なことです。

Q:マハラージャ、あなたが忙しいことを私は知っています。来てくださってありがとうございます。最後にもう一つだけお伺いしてもよろしいですか。

A:はい

Q:アメリカには150〜175万人のインド人(当時)が住んでいます。その約8割の子どもが敬虔な儀式をしないそうです。

A:はい

Q:これは恐ろしいことです。この放送を聞いている親御さんたちに何かこの状況についてお話いただけることはありませんか?

A:わかりました。ヒンディー語でお話しましょう。(とヒンディー語で話す)
ヴェーダの知識なしに、私たちは幸運に生きられません。クリシュナはアンチャリャーミ(内導主)です。彼はサルヴァ・サクティマン(すべての力の持ち主)です。

この「サナータナ・ダルマ(永遠の法)」とハリナムを唱えることを教えるだけで、私たちは幸運に生きられます。

この事実に達するなら、ほんの少しのことだけ考えればよくなります。私たちはどうやって、人生で平安と幸福に達するか。

将来的に、この世界がどうすれば平安と幸せになるか。私たちはこの幸福のためになることをするでしょう。先生が学校で学ぶように、親も学ぶのです。親は目の前の子供への責任を考えるべきです。イスラムの文化では、子供はカルマについて学ばされます。コーランも学びます。だから、なぜ私たちが子どもたちに「バガヴァッド・ギーター」や「シュリーマド・バーガヴァタム」について小さい頃に教えないのでしょうか。私たちはどうしょうにがヤートリーマントラも受けるべきです。なぜそれをしないのですか。

キリスト教徒は週に一度は子どもを教会へ行かせます。金曜日か土曜日に教会へ行き、書物からたくさんの教えを頂き、聖書も読みます。

なのに、なぜ親は最低でもギーターの一つの章、あるいはひとつの節でも読んであげないのですか。

幸運になりたいなら、師の言葉の発祥地であるインドに到達し、吉兆な社会に達し、世界を平安と幸福にしたいのなら、私たちはすぐに子供たちにそれを教えなければなりません。ガヤートリー・マントラを受け取り、それを常に唱えるように教えるのです。

マントラを唱えることで得られる恩恵についても教えねばなりません。バガヴァッド・ギーターとは何か、も教えるべきです。バガヴァッド・ギーターに書かれているクリシュナの教えについて話し、他者や動物を殺す人々に背を向けねばなりません。動物たちを殺した後に、あなたは生き返らせられるというのですか?
(音声途切れる)
あなたはどんな生き物も創造できないでしょう。でもあなたは動物を殺し、新鮮なうちに食べられる。するとすぐにあなたの知性は破壊されます。

もしあなたが新鮮なヤギや豚の肉を食べるなら、あなたの知性もまたヤギや豚のようになります。

日夜、あなたはこのようなことばかり考えるでしょう。「食べること、飲むこと、たくさん性交すること」

だから、純粋な食べ物を食べるなら、あなたの知性も純粋になるでしょう。

あなたの子供もまた同様です。彼らの将来と世界の将来を正すことができるのです。これは提案です。そして、この哲学を教えるのです。何者も嫌悪しません。すべての人と良好な関係をきづきます。イスラム教徒であっても、キリスト教徒であっても、動物であっても、誰であっても。すべての人は愛に支配されます。誰も嫌悪感では支配されません。これが私のメッセージです。

あなたはアートマ(魂)であることを知るべきです。

アートマ、魂はクリシュナの拡張体の部分です。魂は永遠で不変です。私たちは皆クリシュナの仕え人です。皆様全員、どうかこのことを分かろうとしてください。あなたのお子様に小さいうちからこのことを教えてください。食べる時も腕に抱く時も、常にそれを教えることが皆様の義務です。そうすれば、彼らが将来大人になったなら、世界平和と幸福のために働くことでしょう。それが彼ら自身の幸福と富にもつながる働きとなるでしょう。

Q:マハラージャ、大変ありがとうございました。そろそろ終わりの時間です。

A:ハレークリシュナ


引用:https://www.facebook.com/bhaktabandhavofficial

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