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『求道のマルメーレ』#9 第四編 王女と女王(一)

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第四編 王女と女王(一)

 自堕落と節制の冬が来た。暖炉からは音も高らかに紅の火の粉が飛び散っている。地熱のおかげで雪に覆われることのない窓の外は、極夜と吹雪でほとんど何も見えなかった。温まった窓ガラスに吹き付けた雪が、身をよじっては溶けてゆく。
 やかんから昇る蒸気で鼻先を赤くした鋼は、時折手をすり合わせながら、揺れる蝋燭の隣で絵日記を付けていた。
 水をたっぷりと含んだ筆を滑らせると、星海に透明な波がうねる。ページの上をかすめるように息を吹きかけたちょうどその時、二階から大きな物音が聞こえた。それに笑みを漏らし、小皿に溶いた絵の具で筆先を染める。緩く息を吸って止め、紙に広がった水の輪郭をくすぐると、またたく間に絵の具が滲み広がった。藍色と空色が静かに溶け合っていく。幾度かそれを繰り返せば、揺らぐオーロラが現れた。背中に滲む黒刃の体温が思い起こされる。
 鋼は姿勢を正すと、ローテーブルの上に置かれた絵日記を遠目に眺めた。そして満足そうに微笑み、一つ前の日付を書きこんで乾いた目をこする。コップに入った水をあおると、トンと音をたてて置かれたその側面を水滴が伝い落ちていった。
 ふと、シーリングファンの羽音に階段を下りて来る足音が混ざる。鋼が振り返ると、折れた階段に沿って鋼の方に向き直った黒刃が微笑み返した。
「七回こけた。」
 額を伝う水滴を拭きつつ、裸足をペタペタ言わせて歩いてきた黒刃が鋼の隣に腰かける。ソファのクッションが沈んだ。
「あはは、上等上等。汗流し終わったんなら湿布巻こうか?」
「ん、頼む。」
 立ち上がった鋼が木でできた薬箱を取ってくると、黒刃が上の服をたくし上げる。あらわになった左わき腹の背中側には大きな打ち身があった。
「うわ、結構派手だなぁ。痛そう。」
「面積で分散させたから、見た目よりは平気。」
「そっか。今度はきれいに受け身取れるといいね。」
 向けられた背中に西洋白柳を煮出して作った消炎の軟膏を塗ると、黒刃は呻きとも肯定ともつかない返事をした。右肩の辺りには一昨日の打撲痕が薄く残っている。鋼は薬を塗り広げながら水の瓶を差し出した。
「冷水作って。お腹は冷えないくらいのやつ。」
 そう頼むと、黒刃は水の瓶の蓋を外し、中身を宙に浮かべて適当に温度調節をした。布を差し出すと、固く絞られた冷たいおしぼりが帰ってくる。
「ありがと。」
 鋼は布をほぐすと患部にあて、蒸発防止にハッカ油を塗った。その上から包帯を巻く。仕上げに縦に裂いた巻き終わりを結んだ。
「きつくない?」
「平気。あとは自分でやるよ。ありがと。」
 服を直し、正面に座りなおした黒刃が軟膏を求めて手を出す。すると突然、鋼は薬瓶を持った手を引っ込めてツンと口を尖らせた。
「ダメ、俺がやるの。」
 そう言ってじっと黒刃の黄色い目を見つめる。しばらくそれを見据えていた黒刃は微笑んで居直した。
「助かるよ。ありがと。」
 その手で袖をめくって前腕の打ち身を見せる。鋼は満足げに笑って、黒刃の腕を撫でるように薬を塗りだした。黄色い目が細まる。
 ややあって洗ったばかりの包帯をくるくると巻き付け終えると、鋼は得意げに鼻息を荒げた。黒刃の手が鋼の頭を撫でる。毛束があっちこっちに飛び散るのを気にも止めず、鋼は幼女さながらに顔をほころばせた。
 その瞬間、窓から閃光が飛び込んだ。鋼が目を見開き、黒刃が飛び上がって耳を塞ぐ。まもなく一打の雷鳴が大地を突き破った。
 思わず首をすくめた鋼は、座ったまま窓の外を見やった。
「落ちたかなぁ。火事になってなきゃいいけど……大丈夫?」
 そう言って姿勢を直し、今度は縮こまったままの黒刃の様子を窺うと、鋼の問いにやっと気が付いたらしい黒刃が曖昧に返す。鋼は耳の付け根をさすっている黒刃の代わりに立ち上がり、窓のカーテンを閉めた。二階にあるブランケットを水で手繰り寄せようと思い、振りそうになった手で無造作に髪をかき上げると、ソファ越しの黒刃の背中に飛び付く。
「ご飯どうする?」
「ん、動いたばっかりだし、今はいいよ。」
「じゃあお昼寝しよ? 寝てる間に雷雪もどっか行っちゃうよ。」
 ついでに頬に軽く口付けて、鋼は黒刃の両手を甲側から握った。
「ストレッチまだでしょ? 手伝ってあげる。行こ。」
 言いながら鋼は、握った手をじれったく揉んでみせる。黒刃はちょっと鋼に目をやって、その親指を撫で返した。
「ありがとな。」
 鋼のあどけない笑みがさらに満足げに緩む。立ち上がった黒刃の背中から離れた鋼は、眠るのに不要な蝋燭を消して回った。暖炉にくべられた薪の具合を確認した黒刃もその後を追う。
 一階には、月明かりだけが残った。

 耳を塞ぐようにあてた腕から、潜水した時のような低い音が伝わる。閃光が部屋を満たすたび、瞼の下で瞳孔が動くのを感じる。黒刃は横になったまま、忙しなく頭や腕の位置を変えていた。
「……眠れない?」
 ふと頭の上からそう問われて唸ると、鋼の手が伸びてきて頭を撫でられる。黒刃はそのむず痒さに思わず首を垂れた。鋼が静かに笑う。
 と、何度目かの怒号が窓のすぐそばを引き裂いた。グッと耳を押しつぶして呻く。恐る恐る手を放すと、耳に血が通う音が聞こえた。そして、それに混ざる雷鳴とも脈動とも違う音に気が付く。
 視線を上げた次の瞬間、黒刃は蒼白になって上体を起こした。
 音は呼吸によるものだった。鋼が、全身を硬直させて喘いでいる。とっさに彼女の名を叫んだ。が、碧眼が動かない。体内の水分は正常に循環しているのに、その額が赤黒く染まっていく。かろうじて平静を取り戻した黒刃が鋼の襟元を緩めたその時、周囲を取り巻く水の匂いが漂った。何かが爆ぜる音がし始めた方を見やると、水差しの中身が沸騰している。
 額に滲んだ汗がすぐさま蒸発する。黒刃は乾いたのどでわずかな唾を飲んだ。単に神技が戻っただけならこんな拒絶反応は起こらない。それに「ゴースト問題及び有事を除く一年間の神技剥奪」のはずだ。あの会議からまだ半年しか経っていない。にもかかわらず女王から神技剥奪の解除宣言がないのはつまり、女王がそれを伝えられる状態にないという事だ。黒刃は自分の足がすくんでいるのを感じた。鋼ののどから獣のような唸り声がとどろく。
 第一声を放とうとして、黒刃は口を閉ざし、奥歯を噛み締めた。会いに行けとか、話をしろとか、そういう指図なら次々と浮かんでくるのだ。だがそんなことは口が裂けても言えない。あれは二人の問題で、少なくとも鋼は、自分の意志で女王と向き合おうとする過程に意味があると思っているはずだ。それを知っていながら、指図などできるはずもなかった。
 女王は、鋼を嫌って避けているわけではない。むしろ黒刃が一人で出会うと、必ず一番に鋼の様子を尋ねるほど気にかけている。女王はただ、かつて起きた悲劇への罪悪感に押しつぶされそうな鋼のために、距離を置いているだけなのだ。
 それなのに、もしこのまま会いにいけなかったら、鋼は母の愛を罪悪感に変えてしまうだろう。最後まで神親の想いと向き合おうとしなかったという罪悪感に、鋼はきっと、今よりもさらに頑なになってしまう。それを避けるには今、パニック状態の鋼に、会いに行くと自ら決めさせるしかない。
 それらを分かっていながら、黒刃は打ち上げられた魚のようにパクパクと口を開閉させた。今まで彼女を救えなかったという事実に怯えて、舌がいう事を聞かないのだ。声にならない声が漏れるその寸前、碧眼がすがりつくように黒刃を見上げた。黒刃が恐怖を押さえつけるように拳をつくる。
 そして黒刃はやっと、黙ったままで、震える左手を鋼に差し出したのだった。
 黒刃の手を見るや否や、鋼の瞳は不安げに揺れ、しかし束の間、彼女は奮い立つように奥歯を噛み鳴らした。のどを引きつらせるだけだった息が鼻を抜ける。何度かの呼吸の後、分厚い鉛の甲冑を付けたような鈍さで、硬直していた右腕が持ち上がった。黒刃の黄色い瞳が、碧眼の中に映り込んで輝く。
 一吠えと共に、鋼は何か膜のような物を突き破るかのように黒刃の手を取った。水瓶の猛りが収まり、荒い呼吸が深くなる。
 黒刃はすぐさま鋼を抱き上げると、コートと靴を身に着け、厚手の手袋をはめて熱い水の瓶を引き寄せた。階段を駆け下り、鋼に帽子を被らせて、身支度もそこそこに二枚の戸を開ける。
 途端に猛吹雪が風除室へとなだれ込んだ。叩きつける雪の粒が頬をチクチクと刺す。
「この身に応えろ、手毬! 妖狐!」
 凍てつく空気が肺を満たす寸前、黒刃の叫びに応じて大小の水の塊が現れた。すぐさま玄関の戸を閉め、『手毬』に飛び込んで走り出す。
 雪に阻まれて『妖狐』の照らす先が霞んでいる。風が唸るせいで障害物の位置が読めない。黒刃は苦い顔で叫んだ。
「待ってろ、なんとかする!」
 走るのと大差ないスピードで転がる水の球は、表面を荒く波立たせ、ふらつきながら西の森へと向かった。

 ドクリ、ドクリ、と徐々に心臓が息を吹き返し、黒刃の両腕から伝わった体温が凍りついた脳を溶かす。冴えわたった神技の感覚に、鋼は身震いを起こした。人差し指の先で、生まれたばかりの命が祝福を受けている。それと同時に、親指の先で人が人を妬み殺している。そういうような情報全てを、地球上の水分子が嘘偽りなく伝えてくる。思わず涙が滲んだ。脳が焼き切れるようなパニックが収まるにつれ、手に取るようにわかる人間の活動が現実のものなのだと突き付けられて、切なくてたまらなかったのだ。そうしてようやく自分の体の存在する場所を、唯一反応のない水分子の集まりを認識する。
 一つまばたきをした鋼はおぼろげに、あぁ、そうだった、と思い出した。
 厄介ごとは大抵夏に起こる。冬ならば冷静でいられるようなことでも、暑さにたかぶった獣がこじらせるから、取り返しがつかないほど面倒な事態に発展するのは夏と決まっているのだ。
 でも、死というものだけは、いつだって四季と関係なく唐突にやってきた。あくまでも自然。神でさえも、地球上に残してきた子孫の生死を左右することはできない。それが命の自然な状態だからだ。
 そうならば、もしかしたら親にとっての子の誕生も、あるいはそういう事なのだろうか。鋼はふと、そう思った。
 何かを残さない限り、生命そのものに価値はあっても意味はない。だから生き物は遺伝子や考えを、自分の痕跡を世界に残そうとするのだ。それは善悪や倫理の概念を飛び越えた、命の気質そのもの。親になった者にとってはむしろ、抗うことのできない自然な状態だったのかもしれない。
 だがそんなふうに、言うなればなるべくしてなった親であるにも関わらず、責任が持てなかったり、自分の方が大事だったり、努力が嫌になってしまったりする者は多い。楽さを追い求めて発展していく社会の中で、時に苦を伴う子育てより、娯楽に興じることを優先する親は増えていった。
 そりゃそうか、と鋼は思う。子からすれば神のような親だって、そもそも人間だ。完璧なはずがない。医療の陰やシステムの上で大の字に手足をばたつかせて、仕方なかったと叫びたくなる時だってあるのだろう。こどもに向かって言い訳を連ねたくなることだって、きっとあるのだ。
 そうだとすれば、彼らは何と哀れなのだろう。自分の選択の責任を取るための選択や、心のありようを間違えないための果てしない努力の末に、指先をかすめては逃げていく幸福の尻尾を掴むのは、きっと数十年やそこらでできることじゃない。自分自身に対してさえそんななのに、こどもはどんどん変わっていく。かけるべき言葉に悩んでいる間にこどもは成長してしまって、答えが出る頃には必要な言葉も変わってしまっている。残さなきゃいられないのに、残したものをいたわるには円熟するのが遅く、寿命も短すぎるのだ。
 悲哀の生き物がいるなら、それは人の形をしているのかもしれない。そう思いながら鋼は目を伏せ、脳裏に描いた。胸の真ん中に揺れながら淡く光る核を持った、人間の姿を。楽園の在り処を知らず、真実の愛を体現することもできない、弱く小さな動物を。
 視線を上げても、もう現実と意識を隔てる半透明な膜は見えなかった。獣の影でさえも、冷えたうなじから滲んではいなかった。ただ息と血だけが暖かく満ちている。
 一つ息をこぼすと、鋼は黒刃に預けていた頭部をもたげた。肩を支える黒刃の手を撫で返し、進行方向に顔を向ける。黒刃が鋼に視線をよこすと、『手毬』のスピードが少し緩んだ。
「……平気か?」
「ありがとう黒刃。もう大丈夫。舵、代わって。」
 そう言った鋼は、五感よりも水分子に対する知覚を研ぎ澄ました。黒刃が彼女を手放し自立させた瞬間、『手毬』の操作権が鋼のものになる。若干の方向修正と共にスピードが上がった。のけぞった二人の体を水が優しく受け止める。立ち並ぶ木々の間をすり抜けて、二人を乗せた『手毬』は吹き降ろされる雪を次々に舞い上げながら進んだ。小枝が水の表面をかすめる。フクロウが甲高く泣くように呼んでいる。薄く積もった雪に広がった体温から、赤い鉄さびの臭いがする。
 吹雪に阻まれて、近付いているはずの湖を目視で確認することはできなかった。けれど確かに、風の隙間を縫った声が二人の耳に届いた。
「違う! それはニェフリートが決めることだ。私やお前が決めることではない!」
 音の意味を理解するのに数秒を要し、鋼はやっと、生体と認識できない二人目の存在に気が付いた。
 そして次の瞬間、鋼には、キャロディルーナが呻き、吐血したのが分かった。
「母様‼︎」
 言い慣れない言葉が思いがけず口を突いて出る。女王の腹部にある氷の塊に意識が奪われて、『手毬』はまもなく糸がほどけるように弾けた。前方へ投げ出された二人の体が宙を舞う。落下の衝撃から鋼を守ろうと、黒刃の両腕が頭を包むように伸びてくる。
 その一秒にも満たないはずの飛躍のさなか、鋼は雪のはざまに見たものに薄く口を開けた。母女王の視線の先に立った、まるで自分そのものといった佇まいの何者かの姿と、それがこちらに向けた微笑みを。その唇がまた会おうとでも言うように動き、そして次の瞬間に掻き消えたのを。
 水の膜と雪を緩衝材に、鋼をかばった黒刃の体が地面にぶつかる。浅くかぶっていた帽子が脱げる。受け身の回転に任せて上体を起こした二人は、崩れた女王に、もといその背後に突っ立っている影に目を見開いた。
 工業油のような臭気と、それに混ざった鉄の臭いが鼻をつく。真っ黒な眼孔は、うつろに女王を見つめていた。骨と皮だけの紫がかった手が、女王の背中に突き刺さった氷柱を握りしめている。女王の口から、血の混ざった唾液がぱたぱたと滴る。
 目に沁みるほど強烈な臭いに黒刃は顔中をしかめ、感情任せに威嚇の声をあげて鎌首をもたげた。しかし、次の言葉を発する寸前、鋼の腕がそれを制した。
「女王の安全を確保して。今回は、俺がやる。」
 静かな声音だった。きゅっと顎を引いた黒刃が、返事代わりに鋼のこめかみに手を当て『蜥蜴』を呼ぶ。間合いの外側まで黒刃が下がったのを認めると、仁王立ちになった鋼は親指の付け根に爪を立て、痛覚が麻痺していることを確かめた。
「初手で女王を連れて退避。『金継ぎ』で体の区切りを維持して待て。」
「了解。」
 体勢を整えた黒刃の気配を酌み、鋼が泳ぐように両腕で宙をかく。そして、今まで見たどの個体よりも二回りは大きなゴーストに向かって腰を落とし構え、緩く開いた両手をしかるべき角度に留めた。周辺の水分子が、ビタリと動きを止める。
「雨蛙。」
 弦を弾くような発声の瞬間、吹き付ける雪が一気に水に置き換わり、降り注いだ雫が重力にあらがって鋼の体に寄り添い絡みついた。ネグリジェの長い裾が裂け、温水の塊が靴の代わりに素足を覆う。瞳のシアンブルーが屈折して、鋼の体表はまるで溶けかかった氷のようにきらめいた。だがゴーストはその様子にまったく目をくれず、女王の背中に刺さった氷柱をひたすらに凝視し続けている。鋼は眉根を動かし、されど邪念を振り払うように全身の神経をそばだてた。
 次の瞬間、脚部に絡みついた水が大地を押し、鋼の体を猛スピードでゴーストに向かってはじき出した。
「鎌鼬!」
 呼び声に応えた空中の水蒸気が液化し、高圧カッターとなってゴーストの両腕を切断する。刹那、水のポールが地面から伸びた。ポールに両手で飛びつき地面と平行に倒立した鋼の足が、ゴーストの胸部をタップダンスするように蹴りつける。鈍い音が残像を追って七回連なった。衝撃でゴーストの体がえぐれる。
 間髪入れず水のポールがバトンのように回り、体軸を中心に空中回転した鋼は、ゴーストの脇腹に向かって回し蹴りを放った。あばら骨の浮きあがった体が二メートルほど斜め後方へ飛び、地面を転がって大木に叩きつけられる。枝に積もっていた雪がその上にドサドサと落ちた。
 予定通り、黒刃が女王を抱えて後方へ飛ぶように逃げる。着地し再び構えを取り直した鋼は、注意深くゴーストの様子をうかがった。
 雪の塊を背負ったゴーストが短くなった腕で体を支え、関節をぎしぎしと軋ませながら立ち上がろうともがき始める。金属のこすれ合うような音がこめかみを這いずり、鋼の耳へ届いた。しかし、ゴーストの視線はやはり、女王から離れない。
 思考する暇を得た鋼は、二、三度のまばたきと同時に意識を切り替えた。白い息が漏れる。
 これで女王に対する具体的な執着が存在するのは確実になった。問題は、この執着の出所がなんなのかということだ。
 女王が幻想界のみに知られた存在である時点で、現世界の人間は女王に対する執着を持ちえない。つまりこのゴーストは、自らを形作る魂たちの執着以外に、何らかの命令を受けて行動している可能性が高い。
 どうも活字にはできない情報を覚えておかなければならないらしい。鋼は眉をひそめ、二つの文を頭の隅に強く刻み付けた。
『犯人はエレメント神の中にいる これは裏切りだ』と。

この度のお話、お楽しみいただけましたでしょうか。今後も、内容やテーマに対して責任をもち、読んでくださるみなさまに思いが届くよう、作品と真摯に向き合っていく所存でございます。 もしも支持したいと思っていただけるようであれば、サポートという形でお気持ちをいただけると恐縮です。