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【短編小説】ビビットカラーと除湿器⑧完

 彼女のビビットカラーのパジャマを着たいという衝動に襲われてからというものの、それはまるで呪いのように僕の心の中にい続けることになった。今日はいつも使っている黒や白のハンカチではなく、彼女からビビットな中でもまだ男の自分でも持ちやすい水色のビビットカラーのハンカチを借り出社した。ハンカチは、ハンカチという小さな物体にもかかわらず、まるで鉄の塊を持っているかのようにポケットに重みを感じた。
 会議中、上司の案に対して自分の意見が沼の底から這い上がってはきたものの、それを指で掴んで引き上げることなく再び沈めようとした。しかし、そのときなにかが引っ掛かるような気がした。僕は無意識に、彼女に借りたハンカチを握っていた。ちらりと視界に入ったビビットなカラーは、不思議とその奇抜な色とは違い心を鎮めてくれた。
 僕は仕事の帰り、デパートに寄って1足の靴下を購入した。まだ彼女の帰っていない家に帰ると、僕は早速買ってきた靴下を、ミノムシのように足に包ませた。足が光を放っている。
「ただいまあ」
 彼女の声が聞こえてきて、僕は咄嗟に靴下を脱いだ。
「ああ、おかえり」
 脱いだ靴下はしかし、彼女の視界に確実に入っている。
「あれ、その色、自分で買ったの?」 「ああ、うん」
「いいじゃん、ビビットなカラーの靴下」  僕は、発光している黄色の靴下を再び履いた。
「あのさ、ありさがビビットカラーを着るようになったのって、やっぱり家のせい?」
 彼女は「うーん」と、染みのない天井を見ながら考えて「違うよ」と言った。 「違うの?」
「うん、違う。確かに、それも原因かもしれないけど、直接の原因ではないよ。まあ、こういう色を着るようになったのは、よくあることかもだけど仕事へのストレスかなあ。いろいろ、あったんです。話したくないこととかもね」
「なるほど、大変だったんだ、ごめん全然気づかなくて」
「いいよ、もう過ぎたことだし」
「じゃあ、湿度が嫌いのも?」
 彼女は湿度で広がっていない纏まった髪の毛を一度手で揺らしてから、話し始めた。
「纏わりつくものが嫌いになったの、いろんなものね。湿度だけじゃなくて、目に見えないいろんなもの」
 僕はその言葉を聞いて、足を覆っている黄色のビビットな靴下を見た。黄色は、まるで僕の写しかのようにも見えた。
 週末になると、僕は彼女と共にハンカチだけではない別のビビットなカラーのものを買いに行った。ビビット初心者の自分に、彼女は僕でも着ることのできる優しいビビットカラーの洋服を数着選んでくれた。家に帰って鏡の前でそれらの服を着るが、まだまだ僕はビビットなカラーに負けている。彼女のように、ビビットなカラーを自分に合わせることができていない。けれども、ビビットなカラーに身を包んでいる自分も、悪くはないと思った。
「いいじゃん」  
 彼女は僕を見て言った。
「そう?」
「うん、似合ってる。それに、なんか表情もいつもよりも開放的」
 と、彼女はピンク色のビビットなカラーの服を着て、除湿器を背負いながら笑って言った。

 


              了

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