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我が家の8050問題と高度成長期マインド

私(50代女性・バツイチ・子供は成人)が80代の母親と二人暮らしをするようになって一年あまり。この記事では、我が家の日常におけるさほど大きくはないトラブルにも潜む、現代の日本が抱える「8050問題」の一側面を、私のストレス発散のための愚痴とともにお届けしたい。

誇り高き高度成長期世代の老人たち

「8050問題」というのは、今のところ、長期の引きこもりで社会化できないまま50代を迎えた子どもと後期高齢者になっても彼らを経済的に支えなければならない親のケースに限定されているけれども、今後は親の世代よりも豊かになれない私たち50代やそれより若い世代が抱える社会全体の問題になっていくと思う。

その時に、どちらかが一方的な被害者意識を持たないような関係性を作るコミュニケーションのあり方が必要となるはずだ。その時に単に相手の人格を問題とするのではなく、「相手はどうしてこのような言動を取るのだろう?」とバックグラウンドを想像しながらコミュニケーションすることは案外役立つ。

「8050問題」の一方の主役である現在の80代以上の高齢者たちは、いわゆる「高度経済成長」を支えてきた人たち。子ども時代に日本の敗戦と極貧生活を経験し、その後、未曾有の経済成長の担い手として日本の発展に貢献した。

家父長制と軍国主義を叩き込まれたのち、多感な青少年時代に、戦前とは真逆の「民主主義」「男女平等」「個人の尊厳」というイデオロギー教育を受け、戦後民主主義を謳歌してきた。

また、亡父の言葉によると「働けば働くほど豊かになれた」という成功体験を持つ彼らは、「努力はすべて報われるもの」「努力すれば何でも乗り越えられる」という信念や処世観を培っただろう。

私が生まれた頃、両親は風呂なしの6畳一間のアパートで暮らしていたそうだ。その後、2DKの文化アパート(共同風呂付き長屋)に引っ越し、小学校の時に今の場所に土地付き一戸建て住宅を700万円で買ったという。

これらは、あの時代昭和30年代から50年代にかけて、日本の津々浦々で見られたごく普通のありふれた風景だった。

余談だが、私が2017〜19年に東南アジアで感じた既視感とは、まさにこの時代の日本の風景の変化とそれにまつわるエネルギーだったと思う。

クアラルンプールやバンコクでは、私の大学生時代のバブル景気直前の東京の雰囲気を、ホーチミンやハノイ、ジャカルタでは中高校生だった頃の東京より少し離れた郊外の街、ヤンゴン(写真:2018年3月撮影)では私の記憶にあるかないかくらいの昭和40年代のムードを感じた。

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両親やそれと同じくらいの人から発せられるエネルギーもまた、同じような強さを感じる。彼らはとことん「結果を見せる」努力にコミットしてきた世代だ。

私たちが、日本を今のような、豊かで平和な国にしてきた。自分たちのために、社会のために、子どもたちのために。そういう自負が、老いた今でも彼らのオーラに漂っている。

しかし、子どもや孫の世代は思っている。

今の日本の豊かさは必ずしも「彼らの努力のみ」で出来上がったものではない。さまざまな条件が重なってできた現象であり、またその時代に作られてしまった問題は、自分たちが取り組まなければならない課題として山積している、と。自信を持つのはいいけどもう少し謙虚になってもらいたい、と。

そのような思いや価値観のぶつかり合いが生んでいる「8050問題」。我が家のケースはこんな感じに表れている。

※悪口にならないように書いたつもりだけど、予想外に赤裸々な内容になったので初の有料記事とします(笑)。同じような問題を抱えたり、感じている方と意識共有できたら嬉しいです。

母とともに老いる日々

一人娘なのに絶望的なほどの両親との相性の悪さから早くから家を出ていたけれど、父が余命宣告を受けたことから、2019年3月から約30年ぶりに実家で暮らすことにした。

8月に父が他界してからは、ごく自然にそのまま母と二人で暮らすようになったのは、やはり反発しながらも「老後の面倒くらいはみよう」という気持ちが心のどこかで育っていたからに違いない。

しかしその実態は、私が「親の老後の面倒をみる」というよりも、「老後の親が私の生活の面倒をみている」と言った方が近い。

後期高齢者である母は、杖こそついているものの、多少会話がチグハグになることはあるものの、まだまだ健康で、「緊急事態宣言」が出るまでは、週1回のスイミング、太極拳教室、体操クラブ、月2回のクリニック通い、月1回の読書クラブ、歴史サークルに通い、今も家事のほぼ全般を取り仕切っている。

我が母ながら「すごい」と思う。自分が同じ年まで生きられたとして、同じ生活ができる自信はない。

もっとも、それは母自身の自負にもなっている。同年代の友人もだいぶ数が減り、残っている人も施設に入っていたり病気で入院していたり、自宅にいても認知症が進んでもう話ができない人もいる。

「あの人が入院した」「あの人のご主人が亡くなったらしい」「あの家には週2回ヘルパーさんが来ている」「デイサービスに通っているようだ」という話題は、我が家の食卓のメインテーマだが、その度に、いまだに介護保険を使うこともない母の頑健さがありがたく感じると同時に、いつ我が家で同じことが起こっても何の不思議もないことを思い知らされる。現に父は亡くなる一週間前まで普通の生活をしていたのだから。

今は元気にしている母も今日できていたことが、明日できるとは限らない。それは母だけでなく、人生の折り返し地点を過ぎただけでなく去年あたりから、同年代の友人知人の訃報を聞くことが増えてきた私にとっても同じだ。

だからこそ、それが特別なことでなくても「今できることを大事にしよう」と思って毎日を暮らす。歳をとる、老いて死に向かっていくとはこういうことなのだろうな、ということを学ぶ日々である。

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