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コロナ騒動のなか、ベトナムで

コロナコロナと喧しい世間から逃れるようにベトナムに来て、その後インドネシアに行く予定だったけれど結局どうにも身動きが取れず、結局帰国することになったこの一週間の話。

ベトナム出張までのいきさつ

マレーシアに住んでいた2018年頃から、私は現地の日系広告出版社の仕事を請け負うようになっていた。同社の関係会社に当たるインドネシア、ベトナム、シンガポールの媒体からも仕事を頼まれるようになり、今回の出張についても半年くらい前からベトナムとインドネシアに行くことになっていた。

当初は2月下旬から3月にかけての1ヶ月ほどということだったのだけれど、先方の都合でそれが1ヶ月延びたという連絡を受けたのが今年始め。その間、コロナウィルスこと新型肺炎を引き起こすCOVID-19の感染拡大が取りざたされるようになり、中止も想定しつつ成り行きを見守っていたら、3月15日にハノイ入りのスケジュールを提案された。

当初のスケジュールは最初の一週間ほどがハノイ、その後の一週間がホーチミン、その後ジャカルタに移動して二週間、計四週間の東南アジア滞在の予定だった。この時期に1ヶ月日本を離れることに対する不安もないわけではなかったが、テレビをつければ延々とそのことばかり報道され、人の行動も関心も内向きになっていく状況に息苦しさも感じていたので、いい気分転換にしようという気持ちもあった。

ハノイ到着とホテルの閉鎖

ガラガラの羽田空港を出発したのが15日の夕方、ベトナム入国に際しては、健康状態の申請が義務付けられており、航空機への搭乗前には体温を計測された。直行便で7時間弱、2時間の時差があるためハノイについたのは同日の夜9時過ぎということになる。空港についても何だか海外にいるという実感がわかない中、まず最初の事件は起こった。

東南アジアでは必須の配車サービスアプリ「Grab」を使ってタクシー(正確には白タク)を呼ぼうとしたが、時間が遅かったせいか車がなく、仕方なく声をかけて来た運転手の相乗りタクシーに乗ることにした。料金は一応交渉したが、ベトナムドンのレートと相場がすっかり記憶の外だったので、空港から市街まで30万ドンが安いのか高いのかわからない。(後で聞いたら、多少高いが、相場範囲内だったようだった)

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しかも指定のホテルに着いたらそのホテルは完全に閉まってて、私は軽くパニックに陥った。海外では人を簡単に信用してはダメだと言われるけれど、幸いその運転手さんはいい人で、彼は手を尽くし、何とかホテルと連絡が取れた。

その結果、場所も名前も違うホテルにチェックインしたのだけれど、その間、雨の降る外で待っていたため寒さで体は冷えるし疲れるし、おまけにお風呂に入ろうとしたらお湯が出ない。コロナウィルスよりもこっちの方がよほど病気になりそうだった。つい先ほどまでは、外国にいる実感がなかった私もさすがに現実に戻された。そう、もうここは日本ではない。快適な温度のお湯が出るのも、トイレに紙が流せるのも当たり前ではない。しかもそんな中での世界的な感染症の流行は、日本などのインフラが整備された地域とは全く違う文脈を持つのだろうと想像できた。

現地のコロナ事情は?

翌日、落ち着いたところで、なぜ最初のホテルには誰もいなかったのか考えてみた。ホテルが移転したり、名前が変わっていてもホームページや予約サイトの記載がそのままになっていることは、特に海外ではよくあることだからそうなのか。あるいはコロナ騒動で客が減った最初のホテルは当面の閉鎖を決め、既存の予約客を周囲のホテルに降ったのか。

その答えは、翌日明らかになった。ホテルのマネージャーから、全室消毒するので、明日から別のホテルに移って下さいと言われ、指定されたのはもともと会社が予約してくれてた、最初の日にクローズしていたホテルだったからだ。そことここは経営的に同じ系列のホテルらしい。

ということは、今夜はこのホテルに夜中到着した人が真っ青になるんだろうな、などと思いつつ、その話を会社の人にすると「そこで感染者が出たんじゃないか?」と言われた。確かにホテルを閉めて、宿泊客を移動させて全室消毒とはただ事ではない。あるいは定期的に全室消毒するように当局から通達されているのか、私が最初の夜にホテルがクローズされていたのも「消毒」のためなのか。 

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聞いた話では、ベトナムでは感染者が認められた場合にはその人の行動を徹底調査して隔離する政策がとられているとか。例えば感染者が航空機を利用していたことがわかれば、同じ機の乗客全員に対して14日間の隔離措置が取られているとのことだった。その際には入国申請時に記入した滞在場所をはじめとする当事者の捜索活動が行われ、それでも見つからない場合には、全国放送のテレビで氏名が公開されるのだそうだ。実際にイギリス人の旅行者がテレビ放送で捜索されていたという。

隔離はそのように感染が疑われた者だけでなく、その家族や同僚などにまで対象が広げられ、一人の感染者が見つかれば、ねずみ算式に隔離対象者が増えていく。現地の人によれば、隔離者は軍の施設などに収容されることになり、4人ひと部屋で寝食を共にするとか。まるで修学旅行のようにゲームに興じる若者の姿はニュースなどでも放映されているそうだ。そのようにしてベトナム政府はコロナウィルスを「封じ込め」ようとしている、とのことだった。

「外国人はもう少しいい施設、例えばホテルなどに収容されると思いますよ」とは、ローカル社員さんの話。韓国人旅行者が収容先の食事が三食バインミー(ベトナム風サンドイッチ)はあんまりだとTwitterで愚痴ったため、待遇が改善されたとか。どこの国でも、どこまでが本当でどこまでが予想でどこまでがフェイクニュースなのかわからない話が飛び交っているのは同じなのかもしれないと思った。

そんな話をオフィスで笑いながらできたのも17日まで、その翌日からはみな自宅勤務となり、18日からはベトナム政府は日本からの入国を制限し始めた。日本人の入国制限はベトナムのみならず、それまで市街地での電車やバスの運行を減らすという間の抜けた対策しかしてこなかったインドネシアでも発表され、私のジャカルタ行きはこの時点でなくなった。

ホーチミンで情勢急変

19日にホーチミンに移動。その時点ではまだビザが切れる30日かその前日くらいまではベトナムにいる予定だった。しかし、次はベトナム航空が日本便の運休を発表し、他社もそれに続くと予想されたので、航空運賃が高騰し始めた。そのため、早めに帰国便を予約する必要が出てきたのだが、問題はいつ帰るか、だ。

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ベトナムでの取材も、インドネシアでするはずだった取材も全てZOOMを使ってすることになったので、実質的に私がここにいなければならない理由はなくなった。ならば、予定のない週末に帰国し、落ち着いた環境で次週からの取材を迎えた方が合理的だろう。そんな判断から、私は帰国を決意。今こうして、ホーチミンの空港でこれを書いている。「家に着くまでが出張」なので、まだ気は抜けないけど、明日の昼には日本に帰れることになって安心している。少なくとも、来週のチケットを取らなくなってよかった。

今だから言える話

実は、この一週間、体調的に常に万全だったわけではない。特にハノイ到着の夜に、雨に濡れた後、水シャワーを被ったことで軽い風邪の症状が出てきてしまった。コロナの初期症状は風邪と同じなので、たとえ風邪だったとしても、ここでは隔離対象者になってしまう。特に飛沫感染による拡大が指摘されているコロナウィルスにとって、咳をしている人間は周囲にとって警戒すべき相手になる。そのため、いつもなら飲まない風邪薬を服用して症状を抑えた。

何だろう、この違和感。普段だったら労られるはずなのに、今は風邪を引くと警戒され、「私に病気をうつさないで」と非難されてしまう。だから、今は感染者にも被感染者にも感染被疑者にもならないために、人と接しないことや外に出かけないことが重要、らしい。

コロナウィルスはインフルエンザや他の感染症に比べても重症化する確率も、致死率も決して高くないとされている。しかし、感染力が非常に強いため、基礎疾患があったり、免疫力が落ちている場合には重篤な症状を引き起こし、死に至らしめる。未だに治療薬もワクチンも開発されていないため、感染の拡大を避けるためには、どうしてもそのような対処をする必要があるというのが一般的な考え方だ。

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私はそのような圧力に息苦しさを感じて日本を脱出した。感染者か被感染者か感染被疑者になる可能性があったけれど、それが何だというのだろう? 人はいつか誰でも死ぬのだ。そして、どのような死に方であっても、死ぬときは誰でもそれなりに怖いし苦しいのだと、昨年89歳の父を看取ったときに学んだ。

だから、人はなるべく好きなことをやり、好きなように生きるべきだというのが私の死生観である。いつ終わりが来てもその時まで「生き切った」と思えるように。

しかし、そんな私の隣にいる人は、そう思わないかもしれない。人は誰でもできる限り長く安全に生き続けるべきだという考えを良しとする人かもしれないし、自分を必要としている家族などがいて「とにかく今死ぬわけにはいかない」と思っている人かもしれない。あるいは小さな子どもなど「今感染などでリスクにさらすわけにはいかない」人が身近にいる人かもしれない。

だから、たとえ私がコロナで死ぬことがあっても、そういう人に、病気をうつすわけにはいかない、と思う。逆に考えや立場の違う人から「あなたが何をどう考えてどのように死ぬのも勝手だけれど、私や私の周りの人を巻き添えにしないで」と言われることは辛く、むしろウィルスそのものよりも怖い。

人と自分との違い、それは当たり前でであるけらど、それをはっきりさせなくても良い社会、あるいはわかっていても放置できるという状況が、平和と言えるかどうかはわからないけれど「平穏」なのだと思う。しかし、小さな違いが即「分断」や「対立」を生むような状況は簡単に出現してしまうもののようだ。

このような現実に対して、何かの結論が出たわけではないが、たった一週間のベトナム滞在、しかも何かここに来なくてはできなかった仕事したわけではないのだけれど、それでも来て良かったと思っている。普通だったら、このような情勢の中では海外出張など行くべきではないと考えるのかもしれない。私は頭がおかしいのかもしれないが、それでも構わない。堂々と「この体験ができて良かった」と言いたいのだ。

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