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受験勉強より就職活動を頑張ったらどうなった④就活編-後編


大人になって随分経った今ならわかる。

大学生にとって、いい企業や自分に合う仕事を一発で見極めるのは難しい。
大学と同じで、名の知れている企業だったらホワイトなのか?決してそうではない。
その企業が、定年まで勤め上げなければならない運命の相手というわけではない。
いま周りを見渡しても、転職をしていない人を探す方が難しい。


就活ではいろんな場所へ行った。
東京ビックサイト、秋葉原UDX、両国国技館、幕張メッセ、品川にあった楽天タワーなど有名な企業に、Fランでも就活なら足を運べる貴重な機会!

何百社も集まる企業エキスポのようなものはお祭り感覚で楽しい。お土産いっぱいもらえて、特にボールペンはいっぱいたまる。笑


就活の全てを書き記すとキリがないので、
印象的だったものをいくつか。

国内シェア95%のメーカー

説明会にグループワークが含まれているのも多々あり、自己紹介のたびに大学名という強めのカードを切られている気分になっていた。

ここでは早稲田と慶應の女子が、私を挟んで会話する。
「ドイツに留学していたから、1年遅れてるんだ」
「へぇドイツのどこにいたの?」
「なんとかブルクなの」←知らなかった
「あ〜いい街だよね」
「商業都市だね〜」
「そうだね〜」

商業都市だね〜と、割り込んだのは男子学生。
私はぽかんとしていた。

こういった経験が一度や二度ではなかったのに、最後まで就活をやり遂げた自分を褒めたい^ ^
グループワークもしたが、ここは落ちました。

印象が変わった業界

私はとにかく「広告デザイン」が好きで広告批評を愛読し、当時大活躍だった佐藤可士和さんの本を読み漁ったりしていた。
卒業制作も広告アートに関するもの。
大手でなくてもいいが、広告に携わった仕事がしたいと思っていた。

が、私が見た限り、Fラン大学生とは目を合わせない企業が多かった。あ、エンタメ業界も…。

地元の広告会社、雑誌社でさえもかなり上から目線で。大して大きくないビルの、日当たりのよくないオフィスで作文と面接があったときのこと。
「あなたの夢はなんですか?」とだけ書かれたA4用紙。

クリエイティブ系はこういうのが多いんだよなぁ。
私は、Fラン大でさらに厚かましくも
なるべく私のままで受け止めてくれる企業で働きたかった。

「私の夢は親孝行をして、母を幸せにすることです」

その作文の書き出しを見た瞬間、人事に鼻で笑われた。同じくその瞬間、お互いに相容れない存在だなと思った。

ベンチャー企業では野心を語ればよかったのだろう。大きな夢と熱意を。
だが私には野心なんて微塵もない。嘘はつけない。

その会社は、数年後倒産して姿を消した。

あとは、広告に関連すると思っていた印刷業界は堅い印象の業界だった。昔ながらのパッケージ印刷会社などは、工場の人もデザインする女子も全員作業服で働いていたり。
まぁ業界に関わらず、その会社のカラーがあるけど…

Fラン大にも優しかった人事の人は商社、ITでした👏

PC機器メーカー

いろいろ見ていくうちに、ITやPC機器メーカーの人の良さと社風やオフィスの明るい感じに惹かれていった。
PC機器メーカーではパンフレットや説明書の作成をする職種に応募し、本社で行われるグループ面接までたどり着いた。
「当社のパンフレットで、何か改善点はありますか?あなただったらどうしますか?」と無茶振り。

グループワーク、グループディスカッションと場数をこなしていた私。
「どうせならおもろいこと言いたい」という普段の私。

短時間で頭をフル回転させ、
「女性が機器の横で頬杖をついてポーズを決めている表紙。こちらに若干違和感があるので、もっと商品がメインで、商品の魅力が伝わるような写真にしたいですね」
と言って失笑をいただいた。

その会社には、落ちました。笑

運命の企業

その企業との出会いは、一番初めに行った合同企業セミナーだった。
なんとあのときギラギラ男子学生に「丸いっぱいつけた方がいいですよ!!」と言われ付け足した企業の一つ。

とにかく、会う人事の人、先輩社員、全員の人柄がよく、Fラン大の私とも目を合わせてくれた。
緊張する控え室では
「緊張するよね〜笑
けど大丈夫!リラックスして行ってらっしゃい^ ^」
と励ましてくれるおばちゃん社員。
グループワークで「あなたはこの会社の社長になりました!まず最初に何をしますか?」という問いに
「まずは当たり前ですが、社員の皆さんに挨拶をたくさんします!あと、トイレ掃除をやります。」
というと選考する社員が笑ってくれた。
(実際、トイレ掃除をする社長がいる企業は成功するなんて話を聞いたことがあった)

しかも、選考で出会う学生の人たちも良い子ばかり。会社は綺麗な自社ビル。
後半の選考は地元で行われるため、東京からの交通費を3万出してくれた。
こんないい企業、受かるわけないと本当に最後まで思って、合格通知が来るたびにびっくりしていた。
けど、働けたら素敵だろうと。

最終面接でも、顔を合わせた子と
「お互い受かるといいね!内定式いなかったら…ごめん。笑」と言い合った。
めちゃくちゃいい子たちなのだが、やはり外大、国公立大だったりする。
Fランはマジで私だけだった。
最終面接まで通してくれてありがとう!という気持ちで挑んだ。

嫌になるほど繰り返した自己分析。

暗記した自己PRや志望動機。

繰り返すうちに、
自己暗示のように自分のことが少し好きになれていた。

「私の長所は、どんな嫌なことや困難なときでも楽しみを見つけて取り組めることです!」
「お客様に笑顔で助かったよ、ありがとう、と言ってもらえるような仕事がしたい。使う人のことを常に意識して物作りをしたいです。」

澱みなく本心で言えた。
「あと何か質問などありませんか?」と聞かれ、
最後に意気込みを言わせてください!と
もう一言、意気込みを伝えた。

たぶん偉い人であろう面接官が
「頑張れる?」と優しい笑顔で聞く。

「はい!頑張ります!」


後悔のない面接を終え、
控え室のドアをノックし、入った先がなぜか
社長室だった。
(廊下ですら方向を見失う方向音痴)
「あわ!!失礼しました!間違えました!」


その企業が、私に内定をくれた運命の企業だった。笑

ベンチャーに馬鹿にされ、目も合わせてもらえない説明会、あっけなく落とされ続けた書類。
内定式で会った面々は、もちろん私より学歴では上の人ばかり。
この企業は、最初から最後まで学歴でなく「人」として私を見て、私以外の誰かを落とし、私を採用してくれたのだ。

内定をもらい、就職したその会社は
当時から有名だったが現在も資本金80億越えの企業である。
今思っても、Fラン大の私が入れたのは奇跡か何かの間違いでしかない。

入社してからも、働く人たちの人の良さに驚きしかなかった。
もちろん入ってからも誰も私のことを学歴なんかで軽視しない!
手厚い研修、無理強いしない飲み会、ユーモア溢れるコミュニケーション、仕事は責任持って取り組む姿。
私はこの会社のために頑張ろう!
研修でお金をかけていただいた分も貢献しよう。

心に強く誓ったのであった!


次回は社会人〜現在のアラフォーに至るまでを
書きます◎


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