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つづく日々を 奏でる人| 私が星野源の音楽を聴く理由

2016年。
逃げ恥そして「恋」という曲で
日本に大きく名が知れた、星野源という人。

深く知らない人にとっては
彼はものすごい成功者に映ると思う。

確かに成功者で、誰もが認める好青年。
あらゆる才能に溢れ、皆が憧れるものを手にしている。

けど星野源は、実はもっともっと私達の隣にいる。

何年も前から、ずっと変わらず。

さらにいうと、彼は
”死” と ”今” っていう奴等と仲良く手を繋ぎながら、私達の隣にいようとしてくれる人だ。

それを書く。


彼の人生は決して平坦ではなかった。
居場所がなく落ち着かない経験やどん底、虚無感を味わう日々。重い病気。
現在43歳という年齢にしてはいろんなことがありすぎた。多くの人はそのうち彼の輝かしい活躍と栄光の数年分しか知らない。

30代で開頭手術を2回している。
脳動脈瘤を取り除く手術だ。

「助かるかわかりません。けど全力で」と名医に告げられ、2回目の時は万が一に備えて自分の周りの人に何か少しでも残せるようにと、入院中も映像を回し続けた。
周りを心配させないように努めた。
痛い痛い痛い、とICUでもがき、苦しみ病室でも曲を書き続けた。
その壮絶さと苦悩は計り知れない。

私には、開頭手術をして助かった友人、くも膜下出血でそのまま亡くなった友人、手術をしたが体に麻痺が残った親類がいる。

目の当たりにした上で
脳の病気、手術はとても怖く、なのにほとんど予兆なく誰にでも起こり得る、運や悪い奇跡のようなものだと実感している。

結果、いま後遺症もないまま彼は音楽を作り
歌い続けている。
彼の培ってきた人格や、クリエイティビティ、優しい歌声がそのままに今生きている。
そんな奇跡があるだろうか?

彼は
一度死んだと思って今を生き直している。
そもそも病気になる前から
「この世は地獄」と思って生きていた青年が
「地獄で上等。這いつくばってでも進む。」
とか
「地獄の割には、良いこともあるんだな」
という気概で今を生きている。

さらに元々持っていた彼の本質として
周りの人や他人を自分自身かのように考え、
寄り添おうとしてくれるところがある。

曲を聴くとわかるほかに、
コロナ禍で世の中が自粛となったとき
自由に音楽で繋がろうと世界中に呼びかけ
「うちで踊ろう」はムーブメントとなった。

今年の元旦に起きた能登半島地震。
休暇予定だったが、不安な人たちのために
ラジオの生放送を自ら願い出て決行。
集まるメールを読みつつも
「いつも通り話そう」と本当にいつも通りの
下ネタや笑い声で溢れる放送をした。
石川県民の自分は笑い、泣き、その夜は救われた。

そしてその時、最新曲「光の跡」は2023年、
石川県を訪れたときにできた曲だと話してくれた。
光の跡は、夕陽が沈む日本海に揺れる美しい水面。

私は彼の考える「家族」についての歌詞が好きだ。
が、この曲を聴いて私はさらに衝撃を受けた。

「人はやがて消え去るの」

歌い出しの一節。

実は星野源の曲は全て「消える」ことを前提に歌われていて、それでいて「今」を生きること、それが未来へ「続く」ことが一貫して描かれている。

「綺麗だね」
「今日はこんなことがあったよ」
くだらない話だって共有したい誰かがいること、
目の前の人の笑顔、
当たり前のようで当たり前じゃない、
全ての日常の「今」が何よりも尊いこと。

そして光の跡ではこうも歌われる。

抱きしめるのはなぜ
笑い合うのはなぜ
消えていくのになぜ
忘れたくない思い出を増やすのだろう?

星野源/光の跡

なんでだ、明るいのに物哀しい。
キラキラしたメロディに涙が溢れる。

ほら、景色が増えた。

終わりは未来だ。

星野源/光の跡

忘れたくない景色を増やす。
それが私たちの生きがい、なのかも。

そしてこの日常が未来へ続く。
私たちが消えても。

命は続く 日々のゲームは続く
君が燃やす想いは 次の何かを照らすんだ

星野源/Continues

彼はただただ明るく前向きなんかじゃない。
地獄を生き、死を目の前にした、
いや今もしているからこそ書く。

「命は伝う」

そして日常をこうも表現する。

くだらないの中に愛が
人は笑うように生きる

星野源/くだらないの中に

彼の一貫して伝えてくれる、代弁してくれるメッセージが、心地よい音たちが、
クソで、くだらなくて、笑える日常を
愛しく変えてくれる。
「死」を意識した尊い「今」を妙に避けることなく
優しく歌にしてくれる。

だから私は、星野源の音楽を聴く。


たとえ消えても、星野源の音楽と
私たちの日常は伝って、続いていく。

つづく日々を奏でる人

星野源/アイデア


それは彼自身でもあり、私たちそのものだ。


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