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#193 予定調和を崩すと学習できる 24/6/6

みなさん、こんにちは。
今日は、予定調和について考えてみます。

(実例を基に編集しています)
考えるきっかけは、意識し始めると、仕事や職場の中には予定調和な出来事やアウトプットがたくさん存在するな、と感じたことです。

たとえば会議のシーンを想像してみてください。
わたしは人事部門の担当者として、事業ラインの幹部が集まる会議に参加する機会が比較的多くあります。さまざまな部門担当者から持ち込みの起案や報告の議案があります。業績レポートなど固定的な議案もいくつかあります。

その中で、起案や報告として持ち込まれる議案は、予定調和的な結論が多いと感じます。あるいは、持ち時間内で決議できない議案は、意思決定者の期待する結論ではないから、と疑問を持つような場合が散見されます。

たとえば、昨年度末に、営業企画部門から翌年度(エントリー時点の今期)の企画提案がありました。取引上位顧客に対する事業部門横断によるアカウントプランの策定と実行支援すること、各事業部門の営業担当者に対するクロスセル促進の提案支援活動、そのための商材・業界勉強会などの教育活動、そしてインサイドセールスによる探客と顧客開発の活動です。

この手の起案内容に承認をもらう議案の場合、事前交渉としてキーマンに対してコンセンサス・ビルディング(根回し)が行なわれることは理解しています。わたしも、影響範囲が広い企画は特に、事業責任者層と事前に何度か意見交換を重ねておくことにしています。このことを指して予定調和と言っているのではありません。

では、何が予定調和か、です。

1つは、その活動から得られるリターンや得たい効果を、起案承認の時点で規定してしまっていることです。半ば、決めつけていると言ってもよいかもしれません。

所管部門の人的資源以外の投資を伴う議案は、ROIや定性的に得たい効果(とトレードオフで失うもの)を示し、それが意思決定基準の1つとして大きく影響を及ぼします。この効果測定指標とROIが取れる期待値が、机上の論理ではもっともらしい一方、形式的でわかりやすい平均値や中央値を示す以上のことはしていない、そんな引っ掛かりの感覚を持ちます。

つまり、そんなにお行儀よく、教科書通りにならないのではないか、と違和感を覚える点が1つです。そして、平均値・中央値を出す制約された思考であると、その企画(=挑戦)から得られる、事業体としての組織学習の効果や成長は、せいぜい想定の範囲内であり、大したものにならないのではないか、と敷衍します。この点こそが予定調和の根本と考えます。

挑戦やトライしたことから得られることは、自分の予想外であることが大きな気づきとなり、自分に変化をもたらすことになります。これは、おそらく、自分自身の経験を思い出してもらうと、多くの人が、「たしかに」と思ってくださるのではないか、と考えます。

ですから、起案時点のROIや期待する効果について、こういうこともあるかも、の外れ値を想像した意見交換があるとよいと感じています。そのような議論がなく、持ち込まれた議案どおりに、「そういう効果を得られそうだよね。得たいよね、私たちは」と言いたいかのように合意形成している様子は予定調和に他ならない、と考えます。

同様に、今回例に出した営業企画の活動についても、事前に意見聴取等は受けていたとしても、新たに「もっとこんなことが考えられるのではないか」「AよりBのアクションのほうがより面白いのではないか」との意見が出てくるとよいと考えます。

企画した活動内容に全員が反対しない、それは平均値・中央値=教科書通りであるからです。逆を言えば面白みはない、ユニークではありません。その予定調和を崩す一手を、参加する全員が発想し、意見を出したいものです、自戒を含めて。

なぜなら、平均値では、組織としての学習や成長につながりにくいからです。つまり、事業体としての既存の価値観や方法論を変えるほどの学びや気づきが得られないからです。

予定調和を崩す意見を出す、予定調和をしない、を自身のマインドセットにも据えて行動したいと考えます。

さて、みなさんのチームや会社では、なぜ予定調和が好ましくないか、考えたことはありますか。
それでは、また。

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