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#100 背伸び経験の民主化と真の背伸び経験との差分を理解する 24/3/5

みなさん、こんにちは。
キャリア開発、人材育成のために、ストレッチした仕事を任せること、について考えます。

先日、ある部長が、課長と次期課長候補の人材開発のために、次の挑戦機会をどう提供したらよいか、話をしてくれました。
そこで若干の違和感を覚えたことがあり、考えるきっかけになりました。

違和感の正体は、その対象者にとって新しい業務であればなんでもかんでも、「挑戦」「成長機会」と発言されていたことです。
これをわたしは、「挑戦」「成長」をバーゲンと感じます。ポジティブにとると、経験の機会を提供することが人の成長に必要な栄養素である考え方が一般化してきたと言えます。
しかしながら、現実に使われる場合は大抵、その中身は本質とずれてしまっていることです。過度な一般化、これが背伸び経験の民主化と考えます。

なぜ違和感を覚えたか、もう少し掘り下げます。
それは、人材開発を意図した新しい機会を提供するの意味が、担当したことのないジョブ、だけの意味合いだけだったからです。
そのジョブを渡すメンバー(課長と課長候補)の発達課題と、それにフィットする業務自体の課題、たとえば改善や自動化への移行など、この両者の意味づけがなかったからです。

別の言い方をすれば、仕事は問題解決です。
ですから、何の問題解決をし、そのための課題設定は何なのか、が起点です。そして、その課題が、メンバーの発達課題と、どこがどのようにつながるのか、意味設定がなされてはじめて、ストレッチングアサイメントの意味を成すのではないかと考えます。

それがすっぽ抜けた場合、仮にその業務アサインメントが良い機会の提供だったとしても、その効果や生産性は半減すると考えます。なぜなら、結果論として成長できた、と帰結するからです。その業務課題に取り組み過程で、自分自身の発達課題と紐づけて、ここが頑張りポイントなど、自分が意識して取り組む場合と、成り行きで実践することとは異なるからです。

もう1つの違和感の理由は、失敗のない仕事だからです。
こちらがより重要な論点です。
成果だけを志向するならば、失敗はない方が良いです。成果を創出するまでの時間、かけるパワーを考えれば言うまでもありません。
しかし、今回の話は、課長と課長候補の人材開発を企図した背伸び経験、ストレッチングアサインメントが趣意です。
ですから、修復・修正可能な範囲の失敗、意図的なコケさせ方の設定を事前に想定しておくことが、この部長がこのアサインメントを行う上での設計ポイントの1つだとわたしは考えます。

今回の話を聞けば、ダイバーシティ推進と働き方の選択肢を広げる文脈の業務です。会社全体がそれらを促進しようとしている人事施策です。
そのため、はっきり言ってしまえば、制度やしくみの導入や更新・変更にほとんど多くの意思決定者がイエスを言うことが予め見込まれる話です。
同様に、従業員目線でも、改悪点がなく、賛同をしやすい内容のため、従業員理解・浸透の側面からも、あまりストレッチの要素が少ないことが想定されます。

こう考えると、課長や課長候補にとって、どのポイントがストレッチな要素で、どの点が彼彼女の発達課題とリンケージするのか、客観的に見ても疑問が残るアサインメントです。
適切な壁を意図的に設計し、たとえば、多様なステークホルダーの利害にどのように折り合いをつけるか、情と理の合意形成を図り方にトライする、プロジェクトのQCDSのどのトレードオフを意思決定するか、などを見込んでおくことが、学習効果に大きく影響すると考えます。
もちろん、事前の設計と現実は異なり、違う形で壁が表れて偶然が生まれることで学習を促進することも多分にあります。

いずれにしても、場当たり的にアサインメントして、結果何か得られれば良いだろうのもとだと、学習効果とその生産性は半減してしまうと考えます。

ですから、人材開発を意図したアサインメントの際は、上長は、当人の発達課題と、ジョブの業務課題をつなぎこむ作業を丁寧に行うと、狙った効果よりも高いリターンを得られる可能性を広げると考えます。

みなさんは、どのようにストレッチな、背伸び経験の機会を提供されていますか。
それでは、また。

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