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ラブホの正社員×日目

本能と欲望の違いはどこだろう。僕は本能を従わなければ死ぬもの、欲望を従えば死ぬもの、と捉えている。皆さんにとってラブホテルに行くという行為はそのどちらだろうか。付き合っている相手とあなたの両者が実家に住んでいると仮定して考えてみてほしい。まだ田舎にいて若かった頃の僕にとっては、ラブホテルは欲望そのものであった。それというのも、バイト先のホームセンターで出会った彼女と僕には当時あまりお金がなかった。当時は地元の最低時給は820円だった。おまけに学生だったせいで働ける時間が少なかったためだ。仕方がないので頭を使って彼女の軽自動車で致したり、実家から車で30分ほど入った山奥で致していた。だが段々と面倒になって彼女の実家に通うようになっていった。彼女の母親はいつも僕を名前で呼んでくれたし、嫌な顔ひとつせず僕の晩ご飯まで用意してくれていた。父親の方は僕を晩酌に付き合わせては昔の武勇伝を語っていた。居心地は良かったが、僕らは時々そういうものから離れたくて、少しのバイト代をやりくりして月に一度はラブホテルで過ごした。ラブホテルでの逢瀬に、僕はいつもどきどきしていた。部屋は煙草の匂いが充満し薄暗く、精算機の機械が静寂の中で唯一の絶対として甲高い叫び声をあげるあの瞬間は未だに鮮明に思い出せる。彼女もきっと同じような感覚だったはずだ。3時間の休憩を無駄にしないように、一緒に風呂に入り行為をした。いつも決まって1時間ぐらい余していたので、その度に「逃げるは恥だが役に立つ」のDVDを1話にずつ視聴して過ごした。その後はドライブをしたり、花鳥園や動物園に行ってその日を消化していた。ホテル後の時間なんて消化試合だった。

その後半年ほどで彼女は思いもよらぬ亡くなり方をし、「逃げるは恥だが役に立つ」のDVDを全て観ることなく別々になった。それから5年経ったが、僕はドラマを途中から観ていないし、読もうと思って買った原作本も結局開く気にすらなれず全巻セットで買って放置したままだ。年始のテレビ特番やネット記事で逃げ恥の事を思い出すたびにイライラしていた。ただの八つ当たりである。僕は自分の事を心底可哀想だと思っていたし周りもそう言ったが、今思えばそれは誰にでも起こりうる出来事のスポットライトを自分が少し早く浴びることになっただけであって、そんな考え方をするべきではなかった。そう思えなかった自分が子供だったのだ。

それから数年の月日が経って僕は今、ラブホテルで働いている。昔の思い出を思い出すことのないように記憶に蓋をして淡々と日々を過ごしていたのだが、今日星野源さんが新垣結衣さんと結婚したニュースを職場で観てなんとなく当時の気持ちを思い出すと同時に、逃げるは恥だが役に立つをもう一度最初から見返してみようと思った。今度は1人で観ることになるが、今ならきっと楽しめると思う。

人生は劇的で、積極的である。そして孤独になってからが本番だ。これからどうしようか。

甘いもの食べさせてもらってます!