『1999年のサーフトリップ』第11章
<仁淀川河口>
「大岐の浜」の次に覚えてるのは「仁淀川河口」というポイント。
「大岐の浜」から徳島方面に直線距離で6、70キロの場所。土佐市か高知市かその辺。「仁淀川」と言えば、宮尾登美子の小説で有名。宮尾登美子の「み」の字も知らん多くのサーファーにとっても「仁淀川」は有名。日本の三大河口ポイントのひとつが「仁淀川河口」。あとのふたつは徳島の「海部川河口」と神奈川県の小田原近くの「酒匂川河口」。三大河口ポイントの内ふたつが四国にあることになるね。「海部」にはこの後入ることになる。それはまた書く。
俺たちがその時唯一の地図替わりに持ってきた「サーフィン・ア・ゴー・ゴー」の「仁淀川河口」のポイント紹介にはこうある。
「日本のリバーマウスの中でも、最大級のサイズと距離、そして最高級のブレイクを誇る仁淀川河口。マキシマムサイズは10ft.以上、コンディションが整った時には、1本の波に3つのチューブセクションが現れることもあるという、スケールの大きな超一級のブレイクだ。そんな仁淀のベストデイに居合わすことができたら、河口大橋からトップサーファーたちのド迫力のセッションを見学しよう。仁淀川は、川幅が他と比べて広いため、降雨量の多い秋口にしかベストなコンディションは望めないが、厳しい条件をクリアして現れた波の迫力は、海全体が揺れ動くかのようで、沖へ流れるカレントも強烈。サイズのある日がエキスパートオンリーなのは当然。波の小さい時でも、河口の波に慣れていない初~中級者は自分の技量をわきまえて、決して過信しないこと。そしてローカル優先の気持ちを忘れないことが大切だ。日常的なサイズの時には、河口内が5つ位のポイントにわかれ、高知市内のローカルたちの練習場になっている。」
いやはや、相当なもんやね、このポイントは。いかにもローカルがうるさそうだ。
同じ高知の四万十川の圧倒的な知名度に隠れてしまっているが、仁淀川の水質は全国一を誇ると言われる。上流から中流域にかけて日本の原風景を封じ込めたような風光明媚な川筋だ。でも、河口に関する限りその評価に値するとは思えんな。仁淀に着いたのは3時頃だったかな、空はどんより曇ってた。砂浜なんてまったくなくてさ、高くそびえ立つ堤防の下に大小の黒くて丸い石と、打ち上がった海のゴミがゴロゴロ転がってるきりの寂しげな場所だったよ。前にも書いたかもしれんけど、この辺の浜は土壌が黒い。だからどれだけ水がきれいでも岸から見る海は黒くしか見えない。目の前に広がるのはほぼモノクロームの風景。波が引くたびに石がカラカラ音を立てる。仁淀川河口は日本有数のシラスウナギの漁場で、冬になると海からやってくるこの「白いダイヤ」を狙って有象無象が目を血走らせて押し寄せる。石ころだらけの川床がウナギには居心地がいいのかもしれないけれど、漁の道具を置くためにこしらえた仮設小屋の残骸の色褪せたブルーシートも何だか物悲しかった。賽の河原ってきっとあんな感じなんじゃないかな。しかし、キャプテン・メモハブはサーファーだ。ウナギたちと同じようにもっと別の目でこの河口を見てた。
しばらく堤防の上からポイントの様子と波をチェックしてから、そこの駐車場で塩ラーメン作って食べた。具はキャベツと卵と煮干し。塩ラーメンなんて食べたことなかったな。だけど、具をたくさん入れるなら塩ラーメンがいいよ。とりわけ美味しくはないけど、何を入れても不味くもならない。味の調整もし易い。何より飽きないのがいい。俺たち一日一食はラーメンだから。
ラーメン食べてたら、横で同じように波チェックしてた若いローカルが話しかけてきた。
「カッコイイ車だね。どこからきたの?」
山口です。
「山口かぁ、行ったことないな」
仁淀川河口のような場所でよそ者にローカルが話しかけてくる時、その理由は2種類くらいしかない。目の前の見慣れない連中はこのポイントに入っていい奴か否か。品定め。そうでなければ、ただの暇潰しだ。この若いローカルはそのどちらでもあるような気のいいニイちゃんだった気がする。何しろ、この時の仁淀には大した波はなかったし、これからやってくる気配もまったくなかった。そんな日は気難しいローカルもそんなに窮屈なことは言わないのかもしれない。彼の相手は人畜無害な丁寧さでメモハブがそつなくこなした。その他のポイントの情報なんかも訊いてたようだった。ローカルがその場を離れるとまたしばらく海を見てから、この程度の波だったら俺たちが入っても文句は言われんだろうという結論に落ち着いた。ただ、その日はやめて、翌日の早朝にまた来ることにした。その晩は仁淀川を遡った川べりにスペースを見つけてとっとと寝た。この辺りからメモハブが一人用のテントで寝て、俺が車で寝るというスタイルが定着した。ここから先はずっとそうだった。
さて、翌日の早朝ようやく仁淀に入った。やっと乗れるくらいのサイズの波しかない平日の夜明けにもかかわらず、すでにサーファーが何人かいた。堤防から下の河口に伸びた単管の足場をもたもた降りて三途の河口に足を突っ込んだ。とりあえず誰彼構わずに「おはようございま~す」なんて言いながら。6月の河口の水はまだ少し冷たかった。俺の仁淀の印象は海の中でも岸で感じたのと変わらず良くなかった。まあ、ローカルに遠慮しながらなるべく邪魔にならない所にいて、そこにたまに来た波を掴まえようとパドルして波に置いて行かれるって繰り返してただけだからね。しょうがないね。
結局一本の波にも乗れないまま俺は30分くらいで海から引き揚げた。さっさと着替えて、四国へ向かう途中、山大の近くの古本屋で見つけた『ビッグ・ウェンズデー』の原作本をパラパラめくったり、ウトウトしたりしながらメモハブが上がってくるのを待った。果たしてキャプテン・メモハブはなかなか戻ってこなかった。間延びした太陽が真上に差し掛かり、すっかり腹も減って、『ビッグ・ウェンズデー』はどうやら全然面白くないという結論に達した頃、キャプテン・メモハブはようやく海から上がってきた。5時間が過ぎていた。
キャプテン・メモハブは目をギラギラさせて、口元はヘラヘラと笑っている。
「さすが仁淀やね。海ん中に龍がおってその背中に乗ってるみたいなパワーやね。地球が動いてるんを足の裏に感じるんだよ。ここに何か神々しいものがおると言われたら俺は信じるかもね」
そのようなことをまくしたててしきりに感心してた。麻薬でハイになってるみたいな感じだったよ。
「そうか…」と俺は言った、「そう言えばこの間、メモハブに会う前にさ、ベトナムで夕日に照らされたメコン川の河口を飛行機の窓から見た時にさ、こんなでかい河なら龍がいるかもなと思ったことあったな…。でも違うな。あの河が龍そのものだったんやね。そうか」
「なるほど」
そんなとりとめのないことを話しながら俺たちは塩ラーメンを食べた。また現れた昨日のローカルのニイちゃんと軽く挨拶を交わして仁淀を後にした。
『ビッグ・ウェンズデー』が退屈な小説だったとしても、出だしの美しさについては認めないわけにはいかない。見開きにはまずこんな言葉があって、
「過ぎ去った日々の海は、自由奔放で美しい女性のようだった。子供のような心を持ったたくましい男たちは彼女に忠実だった。彼女の優美さとともになに不足なく生き、あるいは、彼女の意のままに、死んでいった。 ―ジョセフ・コンラッド」
次のように物語は始まる。
「いつも夜明け前になると峡谷から吹きおろしてきた風を、ぼくは覚えている。熱い風だったが、どこかやわらかで、あたたかい場所の香りをたたえていた。
雑木林のような樫やマンザニータの生えたけわしいスロープを吹きおろし、海岸ぞいに建っていた古い木造の小屋のあいだをさらにむこうに吹き抜けていた。
夜明け前にもっとも強くなるその風は、ザ・ポイントのあたりを吹き渡るとき、夜のなかにまだ見えない波の腹をくぼませ、波頭から波のうしろへむかって、白い飛沫を巨大な羽毛飾りのように舞いあがらせた。」
余分なものを一切取り払ったサーフィンのエッセンスが見事な美しい言葉になってる。やがてサーファーたちは、サーフィンのエッセンシャルな世界の外へと押し出され、自らの人生に直面していく。そして、人生というのは本質だけで出来ているわけではなかった。
片岡義男の翻訳がいい。だけど、それも原文には及ばない。以下はアマゾンのレビューから引く。
"I remember a wind that blew through the canyons before dawn."
Written by longtime surfer, Denny Aaberg, the book captures the magic of Malibu and the enchanting but messy Sixties beach life.
As the narrator put it,
"There was nothing to win, nothing to lose. It was just you and the wave."